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10月

3-①

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 さくは部屋に入ると、持参していた消毒液を自分と晃嗣の手にスプレーした。そして晃嗣のコートを預かってハンガーにかけ、何か飲んでいてください、とソファを示した。彼は自分もコートを脱ぐと、身軽にくるくると歩き回る。サービスのための段取りがあるのだろう。
 今日はカウンセリングのようなものでもあるため、1時間半の予約を取っていた。冷蔵庫からペットボトルの茶を出した晃嗣は、ファストフード店のオレンジジュースの甘ったるいあと口を洗い流した。

「お風呂の前に少しお話ししましょう」

 さくは少し間を空けて、晃嗣の右に座った。いきなりべったりくっついてこない辺りも、気を引く計算なのだろうか。

「柴田さんは今、恋人募集中だと……」

 あけすけに言われて、晃嗣は戸惑う。

「あ、そういう人が見つかればそれがベストなんですけど、その……ずっと一人なものですから、とにかく話をする相手が欲しくて」
「一人暮らしは長いんですか?」
「就職してからなので、大学生になって東京に出てきた人たちよりは短いんでしょうけど」
「一人は気楽ですよね、でも誰か傍にいてほしい時は絶対にありますね」

 さくはありきたりな会話を、上手に進める。高畑朔は若いのになかなか営業上手だと専らの噂だが、もしかするとこちらの仕事で話術を磨いているのかもしれない。
 晃嗣がついじっと顔を見つめたせいか、さくは照れ笑いを見せた。可愛らしくてどきりとする。

「やだな柴田さん、そんなに見ないで」
「……会社にあなたにそっくりな子がいるものだから」

 さくは晃嗣の言葉に目を丸くする。

「そうなんですか? だから指名してくださった? あ、今夜は指名じゃないか……」

 とぼけているのか。しかし晃嗣も、今この場所で、目の前のスタッフの正体を無理に暴くのは良くないような気がしていた。せっかく自分を楽しませようとしてくれているのだから。

「先週神崎さんに私の好みを伝えたら、その社員によく似たあなたが来たってことのようです」
「じゃあ、その社員さんにアプローチなさったらいいのに」
「だって私よりだいぶ若いし、狙ってる女子社員多そうだし、ゲイじゃないだろうし」

 そうか、とさくは残念そうに首を傾けた。気の良い子だなと思う。

「じゃあ今日は柴田さんが恋人といる気分になれるように頑張りますね、おしゃべりしながらお風呂入りましょう……歯磨きとうがいにもご協力ください」



 みだりに広い風呂で、初対面の人間に裸を晒すのは心許なかったが、さくは腰にタオルを巻いて、楽しげにスポンジを泡立て始めた。さくはやや女性っぽいつるんとした顔に似合わず、引き締まった男らしい身体つきをしていた。たまにプールで泳ぐのだという。

「高校生まで割と真面目に水泳やってたんです」

 さくは晃嗣の背中を流しながら、少し耳に唇を近づけて話す。さくの胸筋や腰に見惚れていた晃嗣は、吐息が耳許をかすめるだけで背筋がぞくぞくした。まずいかも、と思う。

「私が男が好きだと自覚したのは、水泳部の練習が窓から見えるようになった時で……」

 気持ちをごまかすように、晃嗣は話す。

「教室の窓から、ですか?」
「はい、私吹奏楽部に入ってて、パート練習をする教室の窓がプールのほうを向いてたんです」

 さくはくすくす笑った。

「楽器の練習どころじゃなかった?」
「1年生の夏はどきどきして困りました、2年生になって慣れましたけど」
「楽器は何をやってらしたんですか?」
「サックスです」

 晃嗣の返事に、かっこいい、と感心したようにさくは言った。

「もう音はたぶん鳴りませんよ」
「えーっ残念、でも楽器できる人とかほんと尊敬します」

 身体を洗ってもらうのは心地よかったが、流石にさくの手が腰から下に伸びてくると、落ち着かなくなった。ここからは自分で洗うというと、さくはスポンジを手渡してくれる。
 丁寧に泡を流し、一緒に湯船に身体を沈める。マスクを外したさくの横顔が美しい。昼休み、食事をする相手が毎日いる訳ではない晃嗣は、今やマスクを外した顔を見せあうという行為自体が、親密さを表すのだと気づく。

「……あなたはどうしてこの仕事をしてるの?」

 晃嗣はさくに訊いた。それくらい構わないだろうと思った。
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