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第4章 鶴呼びの娘、旅に出る

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「えっ! それお父さんに話した?」

 大学のゼミの友人である佐谷さたに郁恵いくえが、ビールのジョッキを持ったまま目を丸くした。しかし知沙は、どうして痴漢に襲われたことを桐生拓人に報告せねばならないのだと思った。

「あの人に言う必要ある?」
「あるって! 知沙が株式会社キリュウの社長の娘だから、かもしれない」

 ビールを飲み下して、まさか、と知沙は声をひっくり返してはみたものの、あんな大きな会社を経営していれば、桐生家がどこで敵をつくっていてもおかしくはなかった。

「……だとしたら迷惑過ぎる」

 知沙は憮然とする。被害届を出したものの、車は盗難車で犯人はおそらくわからない。郁恵はごめん、と微苦笑した。
 郁恵は大会社の専務だった父親を高校生の時に亡くしていて、いきなり父だと名乗り出た男との関係に悩む知沙と、何故かうまが合った。知沙は学生時代の友人たちとは今でも仲が良いが、一緒に飲むことが一番多いのは郁恵である。

「脅す訳じゃないよ、でもその可能性も否定できないと思って」

 知沙の知る同世代の友人知人の中で、郁恵こそが本物の「育ちのいい女性」だった。誰に対してもフラットに接し、所作が綺麗で、清潔感がある。この秋に結婚することが決まっているが、こういう子が友延家とやらに相応しいのになぁと、知沙は無意味に残念に思う。
 愚痴っぽくなるのは嫌だったが、もやもやが増すばかりなので、知沙はお見合いの件も友人にざっくり話した。郁恵は、会ってみたら? とあっさり言う。

「ほんとに駄目っぽいお相手なら、強要しないでしょ」

 ジョッキを傾ける郁恵は、育ちはいいが安居酒屋が結構好きである。知沙は首を捻った。

「どうかなあ、かなり結婚に持って行きたそうだもん」
「良さそうな人なら結婚したらいいと思うけど? とにかく知沙、疲れてるっぽい……有休使ってリフレッシュして、前向きになろうよ」

 郁恵の言葉に、はっとした。今年に入ってから有給休暇を消化していないので、人事と課長に休めと言われたばかりだった。

「5月分のみんなのプレゼン資料、作り終わったらどっか行こうかな……」
「いくら営業事務だからって、知沙が全部作ることないじゃん! ほっといて休め休め」

 郁恵は明るく言い放った。聞いていると、それがベストのような気がする知沙だった。



 その10日後。
 知沙は小田原に向かう、新幹線こだま号に乗っていた。平日の真っ昼間なので車内は空いていて、知沙の隣には誰も座っていない。しかし、通路を挟んだ斜め後ろの席に、桐生家の家政婦・峯子がいる。こんなことになったのは、知沙の失態でもあった。
 父親に痴漢の件を報告した。拓人は電話の向こうで絶句し、娘に害をなされるような覚えでもあるのか、田園調布にすぐにでも引っ越して来いと言ってきたのだ。そんなことを了承するわけにはいかない。
 とりあえず知沙は、頼子との思い出がある箱根のホテルに1泊し、これからのことを考えたいと必死で拓人に訴え、話を収めた。ただ、一人旅などもっての外だと吠える拓人の、峯子を同行させるという条件を飲まざるを得なかった。
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