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16 熱誠
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晴也は眉をコームで整え、指先で前髪を摘んでから、ゆっくりと新しい眼鏡をかけた。眼鏡はすぐに届いたが、結局今週はめぎつねでそれを着けてみる機会は無かった。
木曜に来ている新人はサラリーマンで、これまでに女装の経験がほぼ無かった。晴也や美智生に化粧を基礎から教えてもらい、身長がぴったり同じのママからドレスを借りて、張り切っている。彼がドレッシーなコーデ中心になるため、晴也と美智生はそれに合わせることにしていた。そのため眼鏡が似合わないのだ。
クリーム色の綿のニットと、グレーと紺の生地に地模様の入ったAラインのスカートは、思ったよりカジュアル感が薄かった。眼鏡をかけると、偏差値が高い目の女子大生のように見えなくもない。イエロー系のシャドウもフレームに合うので、晴也は満足する。
優弥によると、水曜も今日も、ルーチェは席数を増やしてドルフィン・ファイブのショーに対応しているらしかった。水曜は席を取れなかった数名のファンが、終演後に晶が出てくるのを待っていたと聞き、晴也は大したものだと思った。晶は――ショウは、人気がある。あのルックスであのダンスなのだから、当然と言えば当然なのだが。
晴れていた昼間はやや日差しが暑く思えたが、日が落ちると空気がすっと冷えた。晴也は薄いコートを羽織り、パンプスにストッキングの足を入れる。自宅から新宿までの距離を女の姿で歩くのは、もうどきどきしない。靴の踵がリズミカルに立てる音を聞きながら、駅に向かった。
新宿駅の西口を出て、慣れた道を進む。めぎつねの入るビルを見上げ、今日は新人2人と頑張ってみるから休んでと言ってくれた麗華とママに、晴也は胸の内で礼を言った。
ルーチェの入るビルの前は、いつになく人が多かった。その中に、トレンチコートから紅いスカートを覗かせている美智生と、今夜も観劇スタイルの明里が立ち話をしているのが見えた。
「ハルちゃん、おはよう」
美智生が先に晴也に気づいた。というよりは、明里が近づいてくる女を兄だと気づかなかった。
「ええっ、お兄ちゃん! それは萌え系コスプレ?」
明里が目を丸くするのを見て、コスプレじゃないぞと晴也は突っ込む。
「真面目な女子大生風だ」
「そういう人はこんな時間にこんなとこに来ないわよ」
美智生が笑った。
「確かに、眼鏡を試したいってそういうことだったのか」
明里が晴也に顔を近づける。
「お兄ちゃん、新調した眼鏡ってそれ? 普段も使ってるの?」
「そうだよ、何かおかしい?」
「いやいや、真っ黒じゃないんだと思った訳よ、黒縁一辺倒だったのに……」
美智生が意味も無く声をひそめた。
「恋をすると男子も変貌するんだよ」
「ああ、なるほどですねぇ……」
関係ないですと晴也が突っ込んでいると、ソフトスーツを着たナツミこと夏紀が手を振りながらやって来た。ジャケットの裾からふわりとした白い生地が覗いて遊んでいるのが、何げに可愛らしい。
「おはようナツミ、どうして女で来ないんだよ」
美智生に言われて、夏紀はえーっ、と肩を揺すった。
「家から出てくるのにこれが精一杯でした」
「これいいね、婦人もの?」
晴也がフリルを指さすと、夏紀は嬉しげに、男性用のダンスのなの、と答えた。
「あ、社交ダンスのラテンとかで着るような?」
「そうそう、胸があまりびらびらしてないのを探したの」
明里は夏紀と初めて会うので、互いに挨拶を交わす。夏紀は晴也と明里を見比べ、くすっと笑う。
「ハルちゃんが妹に見えるわね」
「言うと思った」
晴也は唇を尖らせながら、地下への階段を一列に並んで降りる。自動ドアが開くと、ルーチェの店員たちがいらっしゃいませ、と一斉に声をかけてきた。コートを預けながら中を見た美智生が、開口一番に凄いな、と言った。
「席を詰めていますから今日は少し窮屈かも知れません、申し訳ありません」
店員に言われて客席を見ると、いつもよりテーブルを増やしていて、人の頭がびっしり並んでいた。晴也たちが案内された上手のカウンター席も、いつも3席のところを4席にしている。美智生が夏紀を舞台に近い方に座らせると、彼は素直に喜んだ。
「うわぁ近い、鼻血出たらどうしよ」
「ブラウス汚すなよ」
カウンター席に一番近いテーブルに、藤田と牧野を含むめぎつねの常連が座っていた。
「ハルちゃんおはよう、眼鏡可愛い」
「おはようございます、ありがとうございます」
藤田たちにはどうも伊達だと思われている様子だが、いいことにしておく。
「あっ、ナツミちゃんが男だぁ」
「もうっ! 言わないでよ、私ミチルさんやハルちゃんみたいに家から女では来られません」
「ナツミが普通だよ、ミチルとハルちゃんがヤバいというか、普段から女装なの?」
常連客の言葉を、晴也は否定しておく。
「この辺に来る時だけですよ」
渋谷にも行ったことがあるけどな。まあいいか。
「ハルちゃんの今日の萌え系はショウさんの趣味?」
「ちっ……違います、眼鏡に合わせただけです」
いひひ、という笑いが周囲に広がった。まったくどいつもこいつも、俺を弄りやがって。晴也は密かに口をへの字にする。
木曜に来ている新人はサラリーマンで、これまでに女装の経験がほぼ無かった。晴也や美智生に化粧を基礎から教えてもらい、身長がぴったり同じのママからドレスを借りて、張り切っている。彼がドレッシーなコーデ中心になるため、晴也と美智生はそれに合わせることにしていた。そのため眼鏡が似合わないのだ。
クリーム色の綿のニットと、グレーと紺の生地に地模様の入ったAラインのスカートは、思ったよりカジュアル感が薄かった。眼鏡をかけると、偏差値が高い目の女子大生のように見えなくもない。イエロー系のシャドウもフレームに合うので、晴也は満足する。
優弥によると、水曜も今日も、ルーチェは席数を増やしてドルフィン・ファイブのショーに対応しているらしかった。水曜は席を取れなかった数名のファンが、終演後に晶が出てくるのを待っていたと聞き、晴也は大したものだと思った。晶は――ショウは、人気がある。あのルックスであのダンスなのだから、当然と言えば当然なのだが。
晴れていた昼間はやや日差しが暑く思えたが、日が落ちると空気がすっと冷えた。晴也は薄いコートを羽織り、パンプスにストッキングの足を入れる。自宅から新宿までの距離を女の姿で歩くのは、もうどきどきしない。靴の踵がリズミカルに立てる音を聞きながら、駅に向かった。
新宿駅の西口を出て、慣れた道を進む。めぎつねの入るビルを見上げ、今日は新人2人と頑張ってみるから休んでと言ってくれた麗華とママに、晴也は胸の内で礼を言った。
ルーチェの入るビルの前は、いつになく人が多かった。その中に、トレンチコートから紅いスカートを覗かせている美智生と、今夜も観劇スタイルの明里が立ち話をしているのが見えた。
「ハルちゃん、おはよう」
美智生が先に晴也に気づいた。というよりは、明里が近づいてくる女を兄だと気づかなかった。
「ええっ、お兄ちゃん! それは萌え系コスプレ?」
明里が目を丸くするのを見て、コスプレじゃないぞと晴也は突っ込む。
「真面目な女子大生風だ」
「そういう人はこんな時間にこんなとこに来ないわよ」
美智生が笑った。
「確かに、眼鏡を試したいってそういうことだったのか」
明里が晴也に顔を近づける。
「お兄ちゃん、新調した眼鏡ってそれ? 普段も使ってるの?」
「そうだよ、何かおかしい?」
「いやいや、真っ黒じゃないんだと思った訳よ、黒縁一辺倒だったのに……」
美智生が意味も無く声をひそめた。
「恋をすると男子も変貌するんだよ」
「ああ、なるほどですねぇ……」
関係ないですと晴也が突っ込んでいると、ソフトスーツを着たナツミこと夏紀が手を振りながらやって来た。ジャケットの裾からふわりとした白い生地が覗いて遊んでいるのが、何げに可愛らしい。
「おはようナツミ、どうして女で来ないんだよ」
美智生に言われて、夏紀はえーっ、と肩を揺すった。
「家から出てくるのにこれが精一杯でした」
「これいいね、婦人もの?」
晴也がフリルを指さすと、夏紀は嬉しげに、男性用のダンスのなの、と答えた。
「あ、社交ダンスのラテンとかで着るような?」
「そうそう、胸があまりびらびらしてないのを探したの」
明里は夏紀と初めて会うので、互いに挨拶を交わす。夏紀は晴也と明里を見比べ、くすっと笑う。
「ハルちゃんが妹に見えるわね」
「言うと思った」
晴也は唇を尖らせながら、地下への階段を一列に並んで降りる。自動ドアが開くと、ルーチェの店員たちがいらっしゃいませ、と一斉に声をかけてきた。コートを預けながら中を見た美智生が、開口一番に凄いな、と言った。
「席を詰めていますから今日は少し窮屈かも知れません、申し訳ありません」
店員に言われて客席を見ると、いつもよりテーブルを増やしていて、人の頭がびっしり並んでいた。晴也たちが案内された上手のカウンター席も、いつも3席のところを4席にしている。美智生が夏紀を舞台に近い方に座らせると、彼は素直に喜んだ。
「うわぁ近い、鼻血出たらどうしよ」
「ブラウス汚すなよ」
カウンター席に一番近いテーブルに、藤田と牧野を含むめぎつねの常連が座っていた。
「ハルちゃんおはよう、眼鏡可愛い」
「おはようございます、ありがとうございます」
藤田たちにはどうも伊達だと思われている様子だが、いいことにしておく。
「あっ、ナツミちゃんが男だぁ」
「もうっ! 言わないでよ、私ミチルさんやハルちゃんみたいに家から女では来られません」
「ナツミが普通だよ、ミチルとハルちゃんがヤバいというか、普段から女装なの?」
常連客の言葉を、晴也は否定しておく。
「この辺に来る時だけですよ」
渋谷にも行ったことがあるけどな。まあいいか。
「ハルちゃんの今日の萌え系はショウさんの趣味?」
「ちっ……違います、眼鏡に合わせただけです」
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