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14 万彩
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晴也はビューラーを置き、ナツミの方を向く。
「ナツミちゃんの言動がどんな影響をもたらしたかわかんないけど、先週は前から俺の中でくすぶってたことが露呈しただけだ」
ナツミは鏡の前に来て、肩を落とす。
「私もハルちゃんみたいに可愛かったら、ショウさんに振り向いて貰えたのかなあ……」
「おまえっ、何くだらねぇこと言ってんだ!」
その時、美智生の声が割って入った。晴也は驚いて彼を振り返り、ナツミはぱっと顔を上げた。
「ハルちゃんとショウは昼間の仕事でも顔を合わせてるんだよ、関係性が違うんだ……おまえの容姿がどうであれ、ショウはハルちゃんにしか惹かれない、嘘だと思うならショウに直接聞け! ショウはおまえの馬鹿さ加減に幻滅するだろうけどな!」
晴也は美智生の鋭い言葉に焦る。顔を一気に歪ませたナツミは、ぼろぼろ涙を膝の上に落とし始めて、化粧どころではなくなった。
「ミチルさん、言い過ぎですよ」
「いいんだ、ナツミは自分に甘い、こんなんじゃこれからトランスジェンダーとして社会で生きていく前に自滅する」
晴也は声を上げて泣き始めたナツミに、ティッシュの箱を渡す。
「俺こそごめん、ナツミちゃんがそんなにショウさんのことが好きだって思わなかったから、無責任なこと言ってたかもしれない」
晴也の言葉にナツミは首を振った。また強い言葉が飛んで来る。
「泣き止めナツミ! ここは職場だ」
晴也は眉を吊り上げる美智生に思わず言う。
「泣かせてあげて、だってナツミちゃん4月から社会人なんですよ、これから泣きたくても泣けない時がいっぱい出てくるのに」
「まったくハルちゃんは甘いから……」
ママが来て、バックヤードが修羅場になっていることにあ然とした。
「おいおい、何事だ? 事情は後で聞く、とにかくミチルとハルちゃんはスタンバイしろ」
晴也は慌てて化粧の続きを始めた。美智生はルースパウダーを顔全体に軽くはたく。今日はウィッグ無しで店に出る様子だった。
「はいミチル、怖い顔しない」
ママに言われて、美智生はすみません、と息を吐いた。彼が箱から出したのは、藍色の7センチヒールである。
「しばらくハルちゃんとミチルに任せる、混んできたら呼んで」
ママはパンプスを脱ぎ、泣きじゃくるナツミのそばに座布団を持ってきて座った。ママに任せたほうが良いだろう。晴也も髪の先にワックスをつけて手早く整え、最後に口紅を塗った。
「まったく何言ってんだあのガキは……」
美智生のぼやきが聞こえた。晴也は踵の低いクリーム色のバレエシューズに足を入れながら、美智生につい謝ってしまう。
「……いいんだ、俺がどやしつけてハルちゃんがフォローするって役割分担で」
美智生は声をひそめて、テーブルのキャンドルに火を灯し始める。晴也はえっ? と言ってから有線のボリュームを調節した。
晴也がカウンターの食器類を使いやすいように前に出していると、美智生はようやく表情を少し緩めた。
「ハルちゃんがそんな感じだから、ナツミが救われる」
「そんな、ミチルさんが悪者にならなくても」
晴也は驚いて言い、美智生にしっ、と人差し指を立てられた。
「俺はうるさい先輩でいいのさ、ナツミが辞めるまでに一回ピシッと言ってやりたかったからちょうど良かった……きっとショウもハルちゃんの優しさに和んでるんだろうな」
「……ショウさんに早川さんのことで甘いって言われたばかりです、俺結構鈍いし怒りが持続しないのかも」
美智生はくすっと笑った。
「精神衛生上、怒りは早くに忘れたほうがいい、ショウの心配には多少共感するけど」
「……でも瞬間湯沸かし器の称号も得てるんです、たまに自分が怖いです」
晴也の呟きに美智生は少し首を傾げる。
「ショウを殴ったことか? あの時ハルちゃんは精神的に限界来てたんだから仕方ないよ……しかもかなり酒が入ってるのを知ってて、ショウはハルちゃんを煽った」
晴也はアイスバケツにかけてある乾いた手拭いを取り、畳んだ。
「あっそうだミチルさん、俺自分のことで目一杯で伺ってなかった、ご家族との話し合いってどうだったんですか?」
晴也の問いに、美智生はえっ、と言い目を丸くした。
「まあ想定内の反応だった、一番上の姉は勝手に責任感じて、母親は泣いて、父親はしばらく口きいてくれなかった」
晴也はええっ! と小さく叫んだが、美智生は笑う。
「もうだいぶ軟化してきたよ」
「でも……お姉さんは何に責任を感じてらっしゃるんですか?」
美智生は高校と大学の文化祭で、複数回イベントの女装をしたが、いつも2人の姉が喜んで手伝ってくれたらしい。
「それで私のせいだなんて言われても、こっちが困ると思わないか?」
晴也は美智生の家庭で起きたことが、他人事には思えない。明里が間に入ってくれたとしても、両親や姉夫婦はどんな顔をするか……。
「ハルちゃん、まだ悩まなくていい、ショウとほんとに一緒に生きて行こうと決めるまでは女装とショウのテクを楽しめばいいよ」
美智生はのんびりと言った。ショウのテクとは何のことだろうか……晴也は赤面しそうになるのを堪える。
3人のサラリーマンが扉のベルを鳴らして入って来た。晴也は美智生といらっしゃいませ、と声を揃える。
「ハルちゃんに会いに来たよ、彼氏と仲直りした?」
早速言われて、晴也は苦笑した。3人をテーブルに案内しながら、お陰さまで、と応じると、皆よかったなぁ、と言ってくれた。
美智生に水割りの用意を手伝ってもらっていると、ママがバックヤードから出て来た。ナツミが落ち着いたのだろう。晴也はほっとする。
晶は何も言っていなかったが、今夜はめぎつねに来ないほうがいいかもしれない。来たら来たで仕方がないが……晴也はおつまみの皿をカウンターに並べながら、淡く晶のことを考えていた。
「ナツミちゃんの言動がどんな影響をもたらしたかわかんないけど、先週は前から俺の中でくすぶってたことが露呈しただけだ」
ナツミは鏡の前に来て、肩を落とす。
「私もハルちゃんみたいに可愛かったら、ショウさんに振り向いて貰えたのかなあ……」
「おまえっ、何くだらねぇこと言ってんだ!」
その時、美智生の声が割って入った。晴也は驚いて彼を振り返り、ナツミはぱっと顔を上げた。
「ハルちゃんとショウは昼間の仕事でも顔を合わせてるんだよ、関係性が違うんだ……おまえの容姿がどうであれ、ショウはハルちゃんにしか惹かれない、嘘だと思うならショウに直接聞け! ショウはおまえの馬鹿さ加減に幻滅するだろうけどな!」
晴也は美智生の鋭い言葉に焦る。顔を一気に歪ませたナツミは、ぼろぼろ涙を膝の上に落とし始めて、化粧どころではなくなった。
「ミチルさん、言い過ぎですよ」
「いいんだ、ナツミは自分に甘い、こんなんじゃこれからトランスジェンダーとして社会で生きていく前に自滅する」
晴也は声を上げて泣き始めたナツミに、ティッシュの箱を渡す。
「俺こそごめん、ナツミちゃんがそんなにショウさんのことが好きだって思わなかったから、無責任なこと言ってたかもしれない」
晴也の言葉にナツミは首を振った。また強い言葉が飛んで来る。
「泣き止めナツミ! ここは職場だ」
晴也は眉を吊り上げる美智生に思わず言う。
「泣かせてあげて、だってナツミちゃん4月から社会人なんですよ、これから泣きたくても泣けない時がいっぱい出てくるのに」
「まったくハルちゃんは甘いから……」
ママが来て、バックヤードが修羅場になっていることにあ然とした。
「おいおい、何事だ? 事情は後で聞く、とにかくミチルとハルちゃんはスタンバイしろ」
晴也は慌てて化粧の続きを始めた。美智生はルースパウダーを顔全体に軽くはたく。今日はウィッグ無しで店に出る様子だった。
「はいミチル、怖い顔しない」
ママに言われて、美智生はすみません、と息を吐いた。彼が箱から出したのは、藍色の7センチヒールである。
「しばらくハルちゃんとミチルに任せる、混んできたら呼んで」
ママはパンプスを脱ぎ、泣きじゃくるナツミのそばに座布団を持ってきて座った。ママに任せたほうが良いだろう。晴也も髪の先にワックスをつけて手早く整え、最後に口紅を塗った。
「まったく何言ってんだあのガキは……」
美智生のぼやきが聞こえた。晴也は踵の低いクリーム色のバレエシューズに足を入れながら、美智生につい謝ってしまう。
「……いいんだ、俺がどやしつけてハルちゃんがフォローするって役割分担で」
美智生は声をひそめて、テーブルのキャンドルに火を灯し始める。晴也はえっ? と言ってから有線のボリュームを調節した。
晴也がカウンターの食器類を使いやすいように前に出していると、美智生はようやく表情を少し緩めた。
「ハルちゃんがそんな感じだから、ナツミが救われる」
「そんな、ミチルさんが悪者にならなくても」
晴也は驚いて言い、美智生にしっ、と人差し指を立てられた。
「俺はうるさい先輩でいいのさ、ナツミが辞めるまでに一回ピシッと言ってやりたかったからちょうど良かった……きっとショウもハルちゃんの優しさに和んでるんだろうな」
「……ショウさんに早川さんのことで甘いって言われたばかりです、俺結構鈍いし怒りが持続しないのかも」
美智生はくすっと笑った。
「精神衛生上、怒りは早くに忘れたほうがいい、ショウの心配には多少共感するけど」
「……でも瞬間湯沸かし器の称号も得てるんです、たまに自分が怖いです」
晴也の呟きに美智生は少し首を傾げる。
「ショウを殴ったことか? あの時ハルちゃんは精神的に限界来てたんだから仕方ないよ……しかもかなり酒が入ってるのを知ってて、ショウはハルちゃんを煽った」
晴也はアイスバケツにかけてある乾いた手拭いを取り、畳んだ。
「あっそうだミチルさん、俺自分のことで目一杯で伺ってなかった、ご家族との話し合いってどうだったんですか?」
晴也の問いに、美智生はえっ、と言い目を丸くした。
「まあ想定内の反応だった、一番上の姉は勝手に責任感じて、母親は泣いて、父親はしばらく口きいてくれなかった」
晴也はええっ! と小さく叫んだが、美智生は笑う。
「もうだいぶ軟化してきたよ」
「でも……お姉さんは何に責任を感じてらっしゃるんですか?」
美智生は高校と大学の文化祭で、複数回イベントの女装をしたが、いつも2人の姉が喜んで手伝ってくれたらしい。
「それで私のせいだなんて言われても、こっちが困ると思わないか?」
晴也は美智生の家庭で起きたことが、他人事には思えない。明里が間に入ってくれたとしても、両親や姉夫婦はどんな顔をするか……。
「ハルちゃん、まだ悩まなくていい、ショウとほんとに一緒に生きて行こうと決めるまでは女装とショウのテクを楽しめばいいよ」
美智生はのんびりと言った。ショウのテクとは何のことだろうか……晴也は赤面しそうになるのを堪える。
3人のサラリーマンが扉のベルを鳴らして入って来た。晴也は美智生といらっしゃいませ、と声を揃える。
「ハルちゃんに会いに来たよ、彼氏と仲直りした?」
早速言われて、晴也は苦笑した。3人をテーブルに案内しながら、お陰さまで、と応じると、皆よかったなぁ、と言ってくれた。
美智生に水割りの用意を手伝ってもらっていると、ママがバックヤードから出て来た。ナツミが落ち着いたのだろう。晴也はほっとする。
晶は何も言っていなかったが、今夜はめぎつねに来ないほうがいいかもしれない。来たら来たで仕方がないが……晴也はおつまみの皿をカウンターに並べながら、淡く晶のことを考えていた。
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