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13 破壊、そして
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1DKに大人が3人も入ると、ほとんど笑える狭さだった。晴也はややうんざりしたが、晶と明里は若い頃のようだと言って喜んだ。
晶は家賃の高いロンドンで、いろんな国から来たダンサー仲間と共同生活をしたことを、明里は学生時代に観劇サークルの友達と合宿をしたことを思い出すと言った。
晴也にはそういう思い出が無い。大学生の頃、三松たちサークル友と泊まりがけで一緒に出かけても、誰かの部屋に集まり夜更けまでだらだら飲みながら話すことは無かった。晶と明里が今更ちょっと羨ましく思える。
レディファーストと晶が言うので、明里が浴室を使いに行く。晴也は晶と2人きりになり、早速気まずさを覚えた。椅子に座る晶をちらっと見ると、数時間前に自分を殴った相手に対する態度としては不自然に思えるくらい、嬉しげな顔をして笑いかけてくる。
言われなければわからないような跡だが、確かに晶の右の頬は微かに赤らんでいた。あの時、晴也の手も痺れるくらい痛かったから、当然と言えば当然だった。
「殴ってごめん」
何にせよ、暴力を振るったことは良く無かった。晴也は反省し、そう言えば久保にもやらかしたと思い、自分が少し怖くなる。
「ハルさんの気が済んだならいい、元はと言えば俺が軽率なことをしたせいであなたが窮地に立たされたんだから」
晶は静かに言った。
「サイラスのメモを見て出て行ったのか? 明里さんはハルさんに俺の記事を送りつけたせいだって言ったけど」
晴也は何から説明すればいいかわからず、やや混乱していた。
「……会社で後輩にキレて帰って……合鍵でショウさんの部屋に入って……あのレポートというか、うん、あれ見てもう無理だと思って……明里の記事はその後」
晶は小さく息をついた。
「全部形になってから話すつもりだったんだ、そんなに思い詰めると思わなかった」
晴也は俯く。何も解決していないのに、晶がすぐ傍にいるだけで、あんなに荒れていた気持ちが凪いでいる。
彼が手に届く場所にいるだけで、嬉しかった。そのことを晴也は認めざるを得ない。何かがだんだんと膨れ上がってきて、彼の近くに居るのが息苦しくなり、立ち上がる。
「どうしたの?」
「寝床の用意するんだ、明里はすぐにこてっと寝てしまうから」
晴也は晶と目を合わせずに答えて、ベッドの下からマットレスを出して広げた。ベッドのシーツを剥がし、洗濯したものと交換する。
「こっちをマットレスに敷くの?」
晶は晴也が剥がしたシーツを拾ってくれたが、ベッドを整えて振り返ると、シーツにくるまってその場に座っていた。
「……何やってんの?」
「ハルさんの匂いに包まれてる」
晴也は失語して、2秒後に真っ赤になった。何言ってんだ、こいつは! 晶はほわんと幸せそうな顔をして、続ける。
「ああ、ほんとにハルさん欠乏してたんだ俺……もうこの2、3日はオナニーする気にさえならなかった」
「やっ、やめろ馬鹿、もうそれ洗濯するからっ」
「どうして、これ敷いて寝るんだろ? 明里さんにはああ言ったけど、ちんこはきっと止められない……」
エロ発言を垂れ流す晶からシーツを奪おうとしたが、離してくれない。
「寝る用意が出来ないだろうがっ、よこせっ」
「じゃあ本体と交換だ」
晶はいきなり立ち上がり、マントを広げるようにしてシーツを腕に絡めながら、目を座らせて言った。
「Sing, my angel of music!」
「くたばれ、怪人じゃなくて変人だよてめぇは!」
晴也は晶に抱きつかれ、シーツにくるまれてぎゃあっと叫んだ。自分の匂いはわからなかったが、晶の香の匂いに一気に包まれて頭がくらくらした。
「ハルさんがほんとに恋しかった」
またこの男は、恥ずかしげもなくこういうことを堂々と口にする。
「これから変に気を回さないことにする、だからハルさんも気持ちを押し込めないで」
晴也は晶の匂いと温もりが気持ち良くて、瞼が勝手に落ちてくるのに抗う。人の腕の中に囲われる心地良さを覚えてしまった身体の感覚が、条件反射しているようだった。
「……これからなんかあるのかよ」
精一杯の抵抗で言ってみる。晶が軽く息を吸うのが、その胸の動きで伝わる。
「本気でもう二度と俺に会わないつもりでいたの?」
「こんなきついことは冗談ではやらない」
自分を囲う腕に力が入り、晴也の腰から力が抜けそうになった。晶の背中に腕を回してしまいそうになるのを、我慢する。
「……着拒やブロックするのは俺がほんとに嫌いになった時だけにして」
ああ、嫌いになれたのだったら、あんなに泣かなくても良かったのに。晶は続ける。
「答えたよな、好きだから踊るって……それを世界中にアピールしたいと今は思わない」
晴也はちょっと顔を上げて、晶の僅かに赤らんでいる頬を見る。そこが染まっているのは、晴也が殴ったからだけではなさそうだった。
「俺に近い場所で俺を見てくれる人のためだけに踊りたい、心を込めて」
晴也はその言葉に胸の内がきゅっとなるのを感じたが、それは少し違う、とも思う。
「それがもったいないってサイラスさんは言ってるんだろ? 俺もそう思う」
「俺の気持ちを蔑ろにしないで欲しい……ハルさんのためだけに踊るよ、今はそうしたい」
上半身の密着度が増し、こめかみの傍で艶やかな声が響く。
「Touch me, trust me, saver each sensation……」
ああもう、これじゃ話にならない、溺れてしまう。晴也が晶の総攻撃に陥落しかけた時、女の歌声が響いた。
「He's there, The Phantom of the Opera ……」
晴也がシーツの中からそちらを見ると、晴也のスウェットをだぶつかせて、髪を乾かしっぱなしにしたすっぴんの明里が、右手をこちらに差し出して芝居がかっていた。
晶は晴也を抱いたまま、おっ、と楽しげに言った。
晶は家賃の高いロンドンで、いろんな国から来たダンサー仲間と共同生活をしたことを、明里は学生時代に観劇サークルの友達と合宿をしたことを思い出すと言った。
晴也にはそういう思い出が無い。大学生の頃、三松たちサークル友と泊まりがけで一緒に出かけても、誰かの部屋に集まり夜更けまでだらだら飲みながら話すことは無かった。晶と明里が今更ちょっと羨ましく思える。
レディファーストと晶が言うので、明里が浴室を使いに行く。晴也は晶と2人きりになり、早速気まずさを覚えた。椅子に座る晶をちらっと見ると、数時間前に自分を殴った相手に対する態度としては不自然に思えるくらい、嬉しげな顔をして笑いかけてくる。
言われなければわからないような跡だが、確かに晶の右の頬は微かに赤らんでいた。あの時、晴也の手も痺れるくらい痛かったから、当然と言えば当然だった。
「殴ってごめん」
何にせよ、暴力を振るったことは良く無かった。晴也は反省し、そう言えば久保にもやらかしたと思い、自分が少し怖くなる。
「ハルさんの気が済んだならいい、元はと言えば俺が軽率なことをしたせいであなたが窮地に立たされたんだから」
晶は静かに言った。
「サイラスのメモを見て出て行ったのか? 明里さんはハルさんに俺の記事を送りつけたせいだって言ったけど」
晴也は何から説明すればいいかわからず、やや混乱していた。
「……会社で後輩にキレて帰って……合鍵でショウさんの部屋に入って……あのレポートというか、うん、あれ見てもう無理だと思って……明里の記事はその後」
晶は小さく息をついた。
「全部形になってから話すつもりだったんだ、そんなに思い詰めると思わなかった」
晴也は俯く。何も解決していないのに、晶がすぐ傍にいるだけで、あんなに荒れていた気持ちが凪いでいる。
彼が手に届く場所にいるだけで、嬉しかった。そのことを晴也は認めざるを得ない。何かがだんだんと膨れ上がってきて、彼の近くに居るのが息苦しくなり、立ち上がる。
「どうしたの?」
「寝床の用意するんだ、明里はすぐにこてっと寝てしまうから」
晴也は晶と目を合わせずに答えて、ベッドの下からマットレスを出して広げた。ベッドのシーツを剥がし、洗濯したものと交換する。
「こっちをマットレスに敷くの?」
晶は晴也が剥がしたシーツを拾ってくれたが、ベッドを整えて振り返ると、シーツにくるまってその場に座っていた。
「……何やってんの?」
「ハルさんの匂いに包まれてる」
晴也は失語して、2秒後に真っ赤になった。何言ってんだ、こいつは! 晶はほわんと幸せそうな顔をして、続ける。
「ああ、ほんとにハルさん欠乏してたんだ俺……もうこの2、3日はオナニーする気にさえならなかった」
「やっ、やめろ馬鹿、もうそれ洗濯するからっ」
「どうして、これ敷いて寝るんだろ? 明里さんにはああ言ったけど、ちんこはきっと止められない……」
エロ発言を垂れ流す晶からシーツを奪おうとしたが、離してくれない。
「寝る用意が出来ないだろうがっ、よこせっ」
「じゃあ本体と交換だ」
晶はいきなり立ち上がり、マントを広げるようにしてシーツを腕に絡めながら、目を座らせて言った。
「Sing, my angel of music!」
「くたばれ、怪人じゃなくて変人だよてめぇは!」
晴也は晶に抱きつかれ、シーツにくるまれてぎゃあっと叫んだ。自分の匂いはわからなかったが、晶の香の匂いに一気に包まれて頭がくらくらした。
「ハルさんがほんとに恋しかった」
またこの男は、恥ずかしげもなくこういうことを堂々と口にする。
「これから変に気を回さないことにする、だからハルさんも気持ちを押し込めないで」
晴也は晶の匂いと温もりが気持ち良くて、瞼が勝手に落ちてくるのに抗う。人の腕の中に囲われる心地良さを覚えてしまった身体の感覚が、条件反射しているようだった。
「……これからなんかあるのかよ」
精一杯の抵抗で言ってみる。晶が軽く息を吸うのが、その胸の動きで伝わる。
「本気でもう二度と俺に会わないつもりでいたの?」
「こんなきついことは冗談ではやらない」
自分を囲う腕に力が入り、晴也の腰から力が抜けそうになった。晶の背中に腕を回してしまいそうになるのを、我慢する。
「……着拒やブロックするのは俺がほんとに嫌いになった時だけにして」
ああ、嫌いになれたのだったら、あんなに泣かなくても良かったのに。晶は続ける。
「答えたよな、好きだから踊るって……それを世界中にアピールしたいと今は思わない」
晴也はちょっと顔を上げて、晶の僅かに赤らんでいる頬を見る。そこが染まっているのは、晴也が殴ったからだけではなさそうだった。
「俺に近い場所で俺を見てくれる人のためだけに踊りたい、心を込めて」
晴也はその言葉に胸の内がきゅっとなるのを感じたが、それは少し違う、とも思う。
「それがもったいないってサイラスさんは言ってるんだろ? 俺もそう思う」
「俺の気持ちを蔑ろにしないで欲しい……ハルさんのためだけに踊るよ、今はそうしたい」
上半身の密着度が増し、こめかみの傍で艶やかな声が響く。
「Touch me, trust me, saver each sensation……」
ああもう、これじゃ話にならない、溺れてしまう。晴也が晶の総攻撃に陥落しかけた時、女の歌声が響いた。
「He's there, The Phantom of the Opera ……」
晴也がシーツの中からそちらを見ると、晴也のスウェットをだぶつかせて、髪を乾かしっぱなしにしたすっぴんの明里が、右手をこちらに差し出して芝居がかっていた。
晶は晴也を抱いたまま、おっ、と楽しげに言った。
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