夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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11 風雪

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 今夜は寒い。晴也の家の風呂は追い焚きができないので、晶が上がってから湯を溜め直した。晴也が浴室から出ると、ホットソイミルクを飲んだ晶は、マグカップをきちんと洗ってから、小さなベッドで横になっていた。
 晶は寝息を立てていた。枕ではなく、自分が使うために晴也が出したクッションを頭の下に置いて……彼は明日仕事の後で舞台もあるのに、こんな劣悪な就眠環境で申し訳なかった。晴也はそっとベッドに上がり、晶を起こさないよう静かに布団と毛布を持ち上げる。
 晶のかたわらにもぐり込み、温もりを楽しんでから、きれいな寝顔をちょっと観察する。彼は今夜は随分と無防備だ。ほんのわずかに開いている形の良い唇の端に、軽く胸をどきどきさせながら、人差し指で触れた。とても温かい。
 どうして来日した知人について、ナツミには話して自分に話してくれないのだろう? ナツミのほうが話しやすいから? ナツミが若くて可愛らしいから? 晴也はこだわっている自分の胸の底に、どす黒く醜い感情があることに気づいて、自分にうんざりした。
 今はいい、と思い直す。優先して考えなくてはいけないことがあるし、晶は疲れている様子だ……眠ろう。晴也はリモコンに手を伸ばし、エアコンのタイマーをセットしてから明かりを落とした。
 いい匂いがして、ほっとする。抱きつくのはあまりに大胆過ぎる気がしたので、晴也は晶の寝間着の裾を握って目を閉じた。いつの間にか、こんなに近い距離にいることにだいぶ慣れている。
 その一方で、どうしてこんなことになったのだろうと、未だに思ってしまう。晶と気持ちを通わせることで、周囲に神経を使わなくてはいけなくなる可能性が高いのに。でも、たとえそうであったとしても、彼と一緒に過ごしたいという気持ちが上回ってしまう。そんなことを考えているうちに、寝入ってしまった。



 晴也は夢うつつに、晶の声を聞いた。誰かを呼んだようだ。

「……エミリ」

 発された言葉は人の、女の名前になった。晴也は覚醒して、今確かに自分の部屋にいることを確認する。薄暗く冷えた空気の中、隣で眠る男が身じろぎした。
 晴也は晶の様子がおかしいことに気づいた。浅い呼吸の合間に、呻くような声が洩れた。

「……ショウさん、どうしたんだ」

 晴也はどきりとして、少し上半身を起こした。晶を覗き込むと、眉間に皺を寄せ、苦しそうに見えた。何処か痛むのだろうか。

「……forgive me」

 晴也が晶の腕に手をかけると、そんな呟きが彼の唇からこぼれ出た。うなされているのか。晴也は慌ててリモコンに手を伸ばし、一番小さな明かりを点けた。

「ショウさん、大丈夫か」

 晴也は晶の両肩に手を置き、軽く揺すってみる。彼は辛そうにああ、と喘いだ。晴也は心臓をばくばくさせて、混乱しながら考える。もし救急車を呼ばなければいけないなら……110番と119番のどっちだった?
 その時晶は大きく息を吸って目を開き、晴也の左の手首を掴んだ。その力が強かったので、晴也のほうがびくりと身体を震わせた。

「ショウさん、気分が悪いのか」

 寝起きで声が出にくかったが、晴也は焦点の合っていない黒い瞳を見ながら言った。晶は晴也を認識して、ようやく右手の力を緩める。

「……ハルさん……」
「大丈夫か、何処か辛いのか?」

 晶は溜め息をつきながら目を閉じて、左手を額に置いた。

「ごめん……ちょっと嫌な夢……」
「具合が悪いんじゃないんだな? 水持ってくるよ」

 晶の声がかすれていたのでそう言ったが、彼は晴也の肘の少し上を掴み、懇願するように言った。

「行かないで」
「えっ、水取ってくるだけだよ」
「要らないから」

 あまりに切実な顔をするので、晴也はうん、と小さく言って、晶の横に上半身を倒した。肘の上を掴んでいた手は、晴也の手を探り、指をぎゅっと握る。
 どうしたんだと訊きたいけれど、そっとしておくべきなのだろうか。晴也は晶の手の温もりに神経を集中させながら、迷う。ちらっと左を見ると、晶もこちらを見ていて、晴也と目が合うと申し訳なさげに眉の裾を下げた。

「……起こしてごめん、俺もう起きるよ、起こしてあげるからハルさんはもう少し寝るといい」

 枕とクッションの間に埋もれている時計を見ると、まだ5時過ぎである。

「あと2時間眠れるだろ、目覚ましちゃんと鳴るから一緒に寝よう」

 晶は何も答えなかったが、同意はしたようだった。明かりを消して、手を繋いだまま、お互いの呼吸音を聞く。
 どんな夢を見たのか、話してくれないんだな。俺の話は聞きたがるくせに。晴也は胸の内で愚痴っぽくなる。ああでも……俺がお子ちゃまだから、話し相手にならないと思われてるのかな。我ながらがっかりだ。
 晶がもぞもぞしたかと思うと、晴也の左腕にすり寄って来た。胸の内をくすぐられるものがあり、晴也は彼のほうに少し身体を向けて、少し迷ってから髪にそっと右手を伸ばした。前髪に指を入れ、3回撫で上げてやると、晶は鎖骨の辺りに額をくっつけてくる。

「……犬かよ」

 晴也の小さな罵りに答えず、晶は深呼吸をしてその体勢で落ち着いてしまう。まあいいか、いつもこっちが甘えてるから、たまには反対でも。
 みんなこうやって、甘えたり甘えられたりして、お互いの間を詰めていくんだろうか。友達とさえも、相手との距離感を上手く測ることが出来なかった晴也には、よくわからない。でも、晶が自分を必要としてくれるのであれば、きっとそれでいい。
 晴也は自分の懐に入りこんで来た男の背中に腕を回し、遠慮がちに抱き寄せて、目を閉じた。彼の身体は温かくて、やはりいい匂いがした。
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