83 / 229
10 暴露
10
しおりを挟む
どうしてついて来てしまったのだろうと後悔しながら、晴也は既に見慣れてしまったマンションを見上げる。ここに住む男は、そんな晴也の思いに気づかないふりをしているのか、さっさと先に歩いてエントランスに入って行く。
晶には気まずさを感じるアンテナが欠落しているようだ。電車の中でも、駅からここまでの道のりでも、晴也が口をきかないことを何とも思っていないように振る舞う。それが苛立たしい反面、どうしたのかとみだりに声をかけられるよりも気楽な気もする。
ところが部屋に入り、晴也が脱いだ靴を揃えるべく玄関でかがむと、背中から腕が回って来た。驚く間もなくそのまま抱きしめられた。
「……来てくれてありがとう、嬉しい」
耳許で吐息混じりに言われて、背筋がぞくぞくする。晶は膝立ちで晴也を抱いていて、コート越しでもその温もりが背中に伝わるようだった。
「うん、気まずいまま帰るの嫌だったから」
跳ね出しそうな心臓に困りながら晴也は呟く。晶は一度腕を解き、晴也が立ち上がり自分のほうを向くのを待っていた。
「気まずい?」
晶はあっけらかんとしていた。
「ハルさんは気を回し過ぎる」
「おまえが鈍過ぎるんだよ」
晴也は呆れる。廊下で語らうのもおかしな話なので、リビングに向かった。
晶はワインを冷やしているらしく、キッチンの冷蔵庫を開けた。ソファにちんまり収まった晴也は、部屋に漂う香りを嗅覚で確認して、ほっとしている自分を見出していた。
「疲れたならちょっとだけ飲んで休もう、ハルさんの好きなように過ごせばいい」
そう言われても。晶が栓抜きで手際良くワインの栓を開けて、グラスにとぽとぽと注ぐ。パイナップルはスライスされた生のものに、ナイフで切り込みを入れ食べやすいようにする。その器用な手の動きに見惚れた。
晶はグラスとパイナップルの載った皿を手にして、晴也の右に座る。甘いワインに酸味の強いパイナップルは、よく合った。晴也は思わず言う。
「美味しい」
晶は晴也が笑顔を見せたのが嬉しかったのだろう、眼鏡の奥の目を細める。それを見て晴也は、いつも自分を楽しませようと心を砕くこの男に、何も返してやれないと感じる。
「ハルさんと俺は食べ物の嗜好も似てる、それは一緒にやっていく上では大切だ」
「……あのさ、……一緒にやってくってどういうニュアンスな訳?」
晴也が恐る恐る問うと、晶はややだらしない笑みを見せた。
「そのまんまだよ」
「あ、そう……」
「あっちの相性も良かったらいいなととても期待しています」
「……だからセックスは」
「しない? ほんとに? 年末にしたことってほぼセックスだと思うけど?」
晴也はワインのせいでなく、耳まで朱に染めた。やっぱりそんな風に受け取られていると知り、恥ずかしくてこの場から去りたくなる。
「ハルさんはおぼこい女子高生みたいだなあ……こんな可愛い生き物が俺の周りにまだ生息していたなんて、奇跡を感じる」
「うるさい、馬鹿にして!」
馬鹿になんかしてない、と晶は真面目な顔で言う。馬鹿にしていないなら、それはそれで小っ恥ずかしいのだ。
「おまえっていつもそうやってあけすけに言うけど、聞かされる身になれよ! 恥ずくて死にそうなんだよっ」
晴也の必死の訴えに、晶は声を上げて笑った。晴也はムカッとする。
「そこ笑うとこじゃねぇよ!」
「ごめん、でも可愛くてこっちが悶え死にそう」
「ほんっとに考えが合わないなっ! そういう無駄な欧米風は俺ついていけない!」
晴也がワインをあおると、晶はしつこく笑いながら空になったグラスにおかわりを注いだ。
「いやいや、ハルさん聞いて」
晶のグラスがほぼ空になっているのに気づき、晴也はゆっくりたっぷり注いでやる。
「欧米風かどうかはともかく、以心伝心って無いんだよ」
へ? と晴也はワインの瓶を持ったまま、首を傾げた。
「黙ってたら相手に何も通じないんだ、言わずとも察するなんてことは、人間には出来ないってこと」
晶の目は真剣だった。
「だから俺は思ったことは全部伝えるようにしてる、相手が嫌な思いをする言葉でない限りは」
晴也もムカつきを傍らに置いて、晶の黒い瞳を見つめた。……そうなのかもしれない。それくらい察せよ、というのが通用しないことは、確かにある。
晴也はちくりと胸の深いところを刺された気がした。察してくれないといって、勝手に相手から距離を置いたことはなかったか。……かなりあったと思う。
「だからハルさんも黙り込んじゃいけない、自分が損するだけだ……それに相手の言葉を最後まで聞かず早急に判断するのも」
晴也は俯いた。何故か思い浮かんだのは、三松夫妻からの年賀状だった。
晶には気まずさを感じるアンテナが欠落しているようだ。電車の中でも、駅からここまでの道のりでも、晴也が口をきかないことを何とも思っていないように振る舞う。それが苛立たしい反面、どうしたのかとみだりに声をかけられるよりも気楽な気もする。
ところが部屋に入り、晴也が脱いだ靴を揃えるべく玄関でかがむと、背中から腕が回って来た。驚く間もなくそのまま抱きしめられた。
「……来てくれてありがとう、嬉しい」
耳許で吐息混じりに言われて、背筋がぞくぞくする。晶は膝立ちで晴也を抱いていて、コート越しでもその温もりが背中に伝わるようだった。
「うん、気まずいまま帰るの嫌だったから」
跳ね出しそうな心臓に困りながら晴也は呟く。晶は一度腕を解き、晴也が立ち上がり自分のほうを向くのを待っていた。
「気まずい?」
晶はあっけらかんとしていた。
「ハルさんは気を回し過ぎる」
「おまえが鈍過ぎるんだよ」
晴也は呆れる。廊下で語らうのもおかしな話なので、リビングに向かった。
晶はワインを冷やしているらしく、キッチンの冷蔵庫を開けた。ソファにちんまり収まった晴也は、部屋に漂う香りを嗅覚で確認して、ほっとしている自分を見出していた。
「疲れたならちょっとだけ飲んで休もう、ハルさんの好きなように過ごせばいい」
そう言われても。晶が栓抜きで手際良くワインの栓を開けて、グラスにとぽとぽと注ぐ。パイナップルはスライスされた生のものに、ナイフで切り込みを入れ食べやすいようにする。その器用な手の動きに見惚れた。
晶はグラスとパイナップルの載った皿を手にして、晴也の右に座る。甘いワインに酸味の強いパイナップルは、よく合った。晴也は思わず言う。
「美味しい」
晶は晴也が笑顔を見せたのが嬉しかったのだろう、眼鏡の奥の目を細める。それを見て晴也は、いつも自分を楽しませようと心を砕くこの男に、何も返してやれないと感じる。
「ハルさんと俺は食べ物の嗜好も似てる、それは一緒にやっていく上では大切だ」
「……あのさ、……一緒にやってくってどういうニュアンスな訳?」
晴也が恐る恐る問うと、晶はややだらしない笑みを見せた。
「そのまんまだよ」
「あ、そう……」
「あっちの相性も良かったらいいなととても期待しています」
「……だからセックスは」
「しない? ほんとに? 年末にしたことってほぼセックスだと思うけど?」
晴也はワインのせいでなく、耳まで朱に染めた。やっぱりそんな風に受け取られていると知り、恥ずかしくてこの場から去りたくなる。
「ハルさんはおぼこい女子高生みたいだなあ……こんな可愛い生き物が俺の周りにまだ生息していたなんて、奇跡を感じる」
「うるさい、馬鹿にして!」
馬鹿になんかしてない、と晶は真面目な顔で言う。馬鹿にしていないなら、それはそれで小っ恥ずかしいのだ。
「おまえっていつもそうやってあけすけに言うけど、聞かされる身になれよ! 恥ずくて死にそうなんだよっ」
晴也の必死の訴えに、晶は声を上げて笑った。晴也はムカッとする。
「そこ笑うとこじゃねぇよ!」
「ごめん、でも可愛くてこっちが悶え死にそう」
「ほんっとに考えが合わないなっ! そういう無駄な欧米風は俺ついていけない!」
晴也がワインをあおると、晶はしつこく笑いながら空になったグラスにおかわりを注いだ。
「いやいや、ハルさん聞いて」
晶のグラスがほぼ空になっているのに気づき、晴也はゆっくりたっぷり注いでやる。
「欧米風かどうかはともかく、以心伝心って無いんだよ」
へ? と晴也はワインの瓶を持ったまま、首を傾げた。
「黙ってたら相手に何も通じないんだ、言わずとも察するなんてことは、人間には出来ないってこと」
晶の目は真剣だった。
「だから俺は思ったことは全部伝えるようにしてる、相手が嫌な思いをする言葉でない限りは」
晴也もムカつきを傍らに置いて、晶の黒い瞳を見つめた。……そうなのかもしれない。それくらい察せよ、というのが通用しないことは、確かにある。
晴也はちくりと胸の深いところを刺された気がした。察してくれないといって、勝手に相手から距離を置いたことはなかったか。……かなりあったと思う。
「だからハルさんも黙り込んじゃいけない、自分が損するだけだ……それに相手の言葉を最後まで聞かず早急に判断するのも」
晴也は俯いた。何故か思い浮かんだのは、三松夫妻からの年賀状だった。
0
お気に入りに追加
93
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる