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10 暴露
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晴也はちょっと申し訳なく思ったが、謝る気は無かった。人は他人を守れない。
小学生の頃に仲良くしていた友達が、中学校に入ってから、クラスの所謂ヤンキー系グループの連中からいじめられ始めた。晴也はクラスが違ったこともあり、そんなことになっていると知らなかった。……気づいたとしても、臆病な晴也はきっと、彼のために何もできなかっただろうと思う。彼は中2の夏休みに、誰にも伝えずに転校してしまった。
晶も似た経験があるのではなかったか。あらぬことで誹謗中傷を受け、行方知れずになった台湾人の俳優。晶は彼女に何かしてやれたのか。
「思いつきで耳触りの良いことを言うな、そんな言葉で俺の気を引こうとしてるなら……がっかりするからやめてくれ」
晴也は語尾を小さくしながら言った。かちゃんと皿が音を立てたので、ちらっと上目遣いで正面に座る男の顔を伺う。晶はフォークを置いて、むっとしていた。切れ長の目に怒りが浮かんでいる。
「ハルさんには無責任に聞こえたかもしれない、でも思いつきのリップサービスと言うなら反論するぞ、できないとしてもそうしたいって気持ちまではなから否定するのは失礼だ」
晴也は静かに怒っている晶に微かに怯んだが、言葉を撤回する気は無かった。
「できもしないことを言うからだ」
「他人のやりたいって気持ちや努力や可能性を摘む権利は無い」
「……そういうのがうざいんだって」
言ってからしまった、と思う。これは言い過ぎだ。謝ろうとしたが、晶が先に口を切って来た。
「うざいって何がだ」
晴也は鼻から息を抜く。まあいい、この際だからおまえと俺がはなから立ち位置が違うってことを、今日こそわからせてやる。
「……そういう、人には無限の可能性があるだとか、努力は誰かが必ず見ていて、いつか報われるだとか」
「ハルさんはそうじゃないって言うのか?」
「当然だろ! んなもんは一握りの恵まれた奴が言うことであって、世の中の大多数のクズには異世界の戯言なんだよ!」
晴也の強い言葉に、晶はあ然となる。ワイングラスを空にしてから、晴也は続ける。
「おまえにはわからないだろうけどな! スポットを浴びている人間にはわからないよ、生涯をモブで終わる奴のことなんか……もがいても這い上がれず、顔を出しても引きずり下ろされて、身の丈に合わないことすんなって馬鹿にされて」
店員がきれいに空いた皿を片づけにやって来て、デザートとコーヒーを出していいか尋ねて来た。晴也はもう帰りたかったが、精一杯の笑顔を作り、お願いしますと答える。
「……ハルさんはこれまでにどれだけの努力をした?」
「は?」
「本気で何かを成し遂げようとしたことがあるのか? 発狂しそうになるくらい自分を追い込んで」
晶の低い声に、晴也は何も答えられなかった。
「どれだけ練習しても上手くならなくて、上手い奴が妬ましくて堪らなくて、自分より練習してないくせに出来る奴が選ばれて悔しくて、自分に何が足りないのかわからずもう辞めてしまいたいのに、それでも練習するしかなくて」
晶はあの夜のように、眉と眦を吊り上げていた。彼の剣幕に晴也の腕が粟立つ。
「アジア人だから良いバイトも見つからなくて、金が尽きて生活できなくなることに怯えて、でも勉強する時間が必要だし、身体壊す限界まで睡眠削るしかないんだよ」
晴也は顔を背けて、ごめん、と言った。その時店員が良い香りとともにやって来たので、ほっとする。
「あ、おいしそ」
晶はチョコレートのケーキを見て、うって変わった明るい声になった。晴也は無言でケーキにフォークを入れる。
デザートを食べ終わるまで、ほとんど会話は無かった。せっかく最後のコーヒーまで美味しい店なのに、台無しだと晴也は思い、店を出ても少し唇を尖らせていた。
駅まで来て改札に入ると、晴也は晶の顔も見ずにじゃ、と言った。山手線の乗り場に向かおうとして、二の腕を掴まれる。
「待ってハルさん、泊まる用意してるんだろ?」
晴也は腕を掴む男の顔を見上げて呆れた。この険悪なムードの中、泊まりに来いと言うなんて、無神経なのか、何も考えていないのか……。
「……おまえ馬鹿なの?」
晴也は思わず言った。晶は晴也を逃すまいと、手に力を入れて笑顔になる。
「ドイツの甘い白ワインと……パイナップルとチーズがあるよ」
「酒で釣るな」
「入浴剤も用意してみた、一緒に入ろう」
晴也は眉を顰めた。
「何なんだよ、カラダ目的ってやつか?」
「カラダも目的、だな」
いけしゃあしゃあと晶は応じる。
「まだまだ互いの理解が足りないとよくわかったから、交流を深めないといけないだろ?」
「俺どっちでもいいんだけど……やっぱり理解し合えるとはあまり思えない」
晴也は言いながら、予想していた展開だとは言え、何となく悲しくなって俯いた。にしてもちょっと人目が気になる。腕を離して欲しい。
「なるほど、ハルさんの改めるべき点がまた明らかになった……諦めが早過ぎる」
晶の言葉に晴也はついむきになった。
「潔いと言え、上手くいかないと悟ったことに時間と労力を費すのは無駄だ」
「俺はそうは思わない、ハルさんのことをもっと知りたいし……全く合わないとは感じてない」
思い込みが激しい奴だ。晴也は疲れを覚えた。人づきあいは、本当に疲れる。
「どうした、気分悪い?」
「……疲れた、おまえと無為な会話をするのが」
晶は晴也に向き合って、両肩を掴んできた。そして眼鏡の奥の瞳に真剣な光を湛えながら言う。
「投げ出さないでちゃんと考えて……本当に俺とこんな風に会うのは二度とごめんだとハルさんが思うなら、帰るといい……でも少しでもそれは惜しいと思うならうちに来て」
晴也は困惑する。もういいと言ってくれたらいいのに。今ならクリスマスのことも、酒の上の間違いだと笑い話にできるのに。
「……何で俺に決めさせるんだよ、ずっと言ってるじゃないか、どうすればいいかわからないって……」
泣きそうになりながら晴也が言うと、晶は肩の手を肘に下ろしてきて、黙ったまま腕を引いた。中央線の乗り場に連れて行かれるとわかり、晴也が感じたのは、喜びとは言えなかったが、少なくとも不快感ではなかった。
小学生の頃に仲良くしていた友達が、中学校に入ってから、クラスの所謂ヤンキー系グループの連中からいじめられ始めた。晴也はクラスが違ったこともあり、そんなことになっていると知らなかった。……気づいたとしても、臆病な晴也はきっと、彼のために何もできなかっただろうと思う。彼は中2の夏休みに、誰にも伝えずに転校してしまった。
晶も似た経験があるのではなかったか。あらぬことで誹謗中傷を受け、行方知れずになった台湾人の俳優。晶は彼女に何かしてやれたのか。
「思いつきで耳触りの良いことを言うな、そんな言葉で俺の気を引こうとしてるなら……がっかりするからやめてくれ」
晴也は語尾を小さくしながら言った。かちゃんと皿が音を立てたので、ちらっと上目遣いで正面に座る男の顔を伺う。晶はフォークを置いて、むっとしていた。切れ長の目に怒りが浮かんでいる。
「ハルさんには無責任に聞こえたかもしれない、でも思いつきのリップサービスと言うなら反論するぞ、できないとしてもそうしたいって気持ちまではなから否定するのは失礼だ」
晴也は静かに怒っている晶に微かに怯んだが、言葉を撤回する気は無かった。
「できもしないことを言うからだ」
「他人のやりたいって気持ちや努力や可能性を摘む権利は無い」
「……そういうのがうざいんだって」
言ってからしまった、と思う。これは言い過ぎだ。謝ろうとしたが、晶が先に口を切って来た。
「うざいって何がだ」
晴也は鼻から息を抜く。まあいい、この際だからおまえと俺がはなから立ち位置が違うってことを、今日こそわからせてやる。
「……そういう、人には無限の可能性があるだとか、努力は誰かが必ず見ていて、いつか報われるだとか」
「ハルさんはそうじゃないって言うのか?」
「当然だろ! んなもんは一握りの恵まれた奴が言うことであって、世の中の大多数のクズには異世界の戯言なんだよ!」
晴也の強い言葉に、晶はあ然となる。ワイングラスを空にしてから、晴也は続ける。
「おまえにはわからないだろうけどな! スポットを浴びている人間にはわからないよ、生涯をモブで終わる奴のことなんか……もがいても這い上がれず、顔を出しても引きずり下ろされて、身の丈に合わないことすんなって馬鹿にされて」
店員がきれいに空いた皿を片づけにやって来て、デザートとコーヒーを出していいか尋ねて来た。晴也はもう帰りたかったが、精一杯の笑顔を作り、お願いしますと答える。
「……ハルさんはこれまでにどれだけの努力をした?」
「は?」
「本気で何かを成し遂げようとしたことがあるのか? 発狂しそうになるくらい自分を追い込んで」
晶の低い声に、晴也は何も答えられなかった。
「どれだけ練習しても上手くならなくて、上手い奴が妬ましくて堪らなくて、自分より練習してないくせに出来る奴が選ばれて悔しくて、自分に何が足りないのかわからずもう辞めてしまいたいのに、それでも練習するしかなくて」
晶はあの夜のように、眉と眦を吊り上げていた。彼の剣幕に晴也の腕が粟立つ。
「アジア人だから良いバイトも見つからなくて、金が尽きて生活できなくなることに怯えて、でも勉強する時間が必要だし、身体壊す限界まで睡眠削るしかないんだよ」
晴也は顔を背けて、ごめん、と言った。その時店員が良い香りとともにやって来たので、ほっとする。
「あ、おいしそ」
晶はチョコレートのケーキを見て、うって変わった明るい声になった。晴也は無言でケーキにフォークを入れる。
デザートを食べ終わるまで、ほとんど会話は無かった。せっかく最後のコーヒーまで美味しい店なのに、台無しだと晴也は思い、店を出ても少し唇を尖らせていた。
駅まで来て改札に入ると、晴也は晶の顔も見ずにじゃ、と言った。山手線の乗り場に向かおうとして、二の腕を掴まれる。
「待ってハルさん、泊まる用意してるんだろ?」
晴也は腕を掴む男の顔を見上げて呆れた。この険悪なムードの中、泊まりに来いと言うなんて、無神経なのか、何も考えていないのか……。
「……おまえ馬鹿なの?」
晴也は思わず言った。晶は晴也を逃すまいと、手に力を入れて笑顔になる。
「ドイツの甘い白ワインと……パイナップルとチーズがあるよ」
「酒で釣るな」
「入浴剤も用意してみた、一緒に入ろう」
晴也は眉を顰めた。
「何なんだよ、カラダ目的ってやつか?」
「カラダも目的、だな」
いけしゃあしゃあと晶は応じる。
「まだまだ互いの理解が足りないとよくわかったから、交流を深めないといけないだろ?」
「俺どっちでもいいんだけど……やっぱり理解し合えるとはあまり思えない」
晴也は言いながら、予想していた展開だとは言え、何となく悲しくなって俯いた。にしてもちょっと人目が気になる。腕を離して欲しい。
「なるほど、ハルさんの改めるべき点がまた明らかになった……諦めが早過ぎる」
晶の言葉に晴也はついむきになった。
「潔いと言え、上手くいかないと悟ったことに時間と労力を費すのは無駄だ」
「俺はそうは思わない、ハルさんのことをもっと知りたいし……全く合わないとは感じてない」
思い込みが激しい奴だ。晴也は疲れを覚えた。人づきあいは、本当に疲れる。
「どうした、気分悪い?」
「……疲れた、おまえと無為な会話をするのが」
晶は晴也に向き合って、両肩を掴んできた。そして眼鏡の奥の瞳に真剣な光を湛えながら言う。
「投げ出さないでちゃんと考えて……本当に俺とこんな風に会うのは二度とごめんだとハルさんが思うなら、帰るといい……でも少しでもそれは惜しいと思うならうちに来て」
晴也は困惑する。もういいと言ってくれたらいいのに。今ならクリスマスのことも、酒の上の間違いだと笑い話にできるのに。
「……何で俺に決めさせるんだよ、ずっと言ってるじゃないか、どうすればいいかわからないって……」
泣きそうになりながら晴也が言うと、晶は肩の手を肘に下ろしてきて、黙ったまま腕を引いた。中央線の乗り場に連れて行かれるとわかり、晴也が感じたのは、喜びとは言えなかったが、少なくとも不快感ではなかった。
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