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10 暴露
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晶のコールがあまりにしつこいので、晴也は翌日の土曜の夜に、新宿で彼と食事をすることにした。いつも使う西口側ではなく、南口で何とか合流した。
晶は一日中メンテナンスだったと言って笑う。整形外科で膝を診てもらい、リハビリをして、マッサージを受けるのだという。リハビリと聞いて晴也はぎくりとなる。あれだけ踊れるのに、やはり完全ではないのだ。
晶は晴也が心配そうな顔をしたからか、眼鏡の奥の目を和らげて説明してくれる。
「ちょっとだけ曲げ伸ばしに左右差があるんだ、踊ってる時には逆に気にならないんだけど……」
「一緒くらいになったほうがいいものなのか?」
「どうなんだろうな、怪我してなくても関節の柔らかさって左右差あるからなぁ」
晴也は今夜はいろいろ考えて、ユニセックスを目指してみた。クリスマスプレゼントに晶からもらった帽子と、大きいシルエットのセーターにやや細身のパンツは女性ものだが、他は普段着ている男物である。靴は楽な方が良くて、新しいスニーカーを履いてきた。化粧もあまりしないで、薄めのファンデーションに眉毛を丁寧かつナチュラルに描き、オレンジ系のチークをさっと刷くのみである。
晶はカジュアルなイタリアレストランに入り、少し奥まった席を選ぶ。コートを脱いで現れた襟ぐりの広い黒のニットを見て、首が長いのがよくわかるなと晴也は思う。
晶も晴也を観察していたらしく、ふと目が合う。横の椅子を引いて鞄を置きながら彼は言った。
「ハルさんはほんとに両性具有的だな、化粧ほとんどしてないの?」
「うん、薄く土台と眉毛くらい」
「帽子良く似合う」
言われて晴也は素直に嬉しくなった。グラスワインで乾杯して、アンティパスタを一緒につつく。
「明里さんは理解してくれそう?」
晶の問いかけに、晴也はうーん、と小さく唸る。
「意外なんだけど、ショウさんと仲良くしてることよりも女装のほうが抵抗あるみたい」
「……それ普通じゃない? てか女装してることも話したんだ、お疲れさま」
明里よりも高いヘアケアや基礎化粧品を使っていれば、疑われても仕方なかった。
「あいつ俺の高校時代のメイドを見てるんだ、あれがそんなに楽しかったとは思わなかったって言われた」
「でも覚えててくれたということは、明里さんにとっても印象的だったんだろ? 俺高校の文化祭なんて何も覚えてない」
晶は言いながら、野菜が封じ込められたジュレを美味しそうに口に入れる。
「2度と顔も見たくないと言われたんじゃなけりゃ、そんなに気に病まなくていいよ」
「……ショウさんは楽天的だな」
晴也はミニトマトをフォークに刺して、呟いた。まあ俺は悲観的らしいけど。
「そう? だって自分のことだってよくわからないのに、他人の考えてることなんかわかりっこないだろ?」
晶の手がワイングラスの柄を持つのを見て、ちょっと触りたいなと、食事の場に関係なく湧いた意識を晴也は持て余す。
「自分に向けられる負の感情なんて気にしてたらきりがないし」
この人は自分より少し歳下だけど、自分の倍以上の人生経験がある。晴也は自分の未熟さに思いを致して勝手にがっかりした。
「大丈夫だよ、明里さんはハルさんを支えてくれると思う……支えてもらうためにはハルさんが堂々としていないと」
何に堂々とするというのだろう? 女の格好をすること? 同性と仲良くなりかけていること? 晴也は考えて、何も自慢にならないという結論にしか行き着かない。
「……そんなことに堂々とする意味あるのか?」
晴也のか細い訴えに、晶は目を見開く。彼が何か言いかけた時、ピザの皿がやって来たので、テーブルに慌てて空きを作る。
「何言ってんだハルさん、自分にとっては意味のあることだろ? それ以上の理由があるの?」
気分はいまひとつなのにもかかわらず、チーズの香りが食欲を誘う。晴也はピザカッターをぐりぐり動かした。
「何かおまえと話してたらいっつも自分の小物感に打ちのめされる」
ピザを一切れ手にすると、チーズがとろりと糸を引く。晴也はあちっ、と言いながらピザの角を口に入れた。
「ハルさんが一番自分を小物扱いしてるんだぞ、そろそろ気づけ」
「うるさい、じゃあ俺が小物でないっていう証拠を見せろ」
晴也はピザにかぶりつく晶に八つ当たりする。無茶言うな、と晶は眉間に皺を寄せたが、別に気を悪くしている様子ではない。
「ハルさんのこの辺りには白い羽があるんだけど……」
晶はお手拭きで指先を拭い、自分の背後の肩甲骨辺りに手を回す。
「孵化したばかりの小鳥の羽みたいに濡れて閉じてるんだ、なかなか広がらない」
「どういう例えなんだよ」
「殻が硬すぎて出てくるのに苦労したんだ」
晴也はピザをもうひと口噛み、失笑した。
「出てきてないだろ、このまま殻の中で窒息死するんだよ」
「そんなことはない」
晶はワイングラスを軽く回しながら言った。
「罅が入ってたから俺が全力で殻を叩いたら穴が開いた、でも殻の中が心地良いらしくてハルさんはそこからなかなか出てこない」
晴也はピザを咀嚼しながら、目の前の男が何を言いたいのか探る。
「殻の中に手を入れたら掴んでくれたから、やっと外に引きずり出した……今ここ」
晶は少し首を傾けて微笑する。
「でも外の世界が怖いから自分の羽を広げられないらしい」
「……よくわからないけど……高校出てすぐに言葉の通じない国でダンス修行するような奴とは違うからな」
トマトの香りを派手に立てながら、パスタがテーブルの中央に置かれる。晴也がそれを皿に取り分けるのを、晶は楽しげに見ていた。
「……周りの人はハルさんを陰キャでコミュ障なんてたぶん思ってないんだけどなぁ……そう思われてるほうがいいのか?」
晶はフォークを持ち、くるりと1回だけパスタを巻きつけ、その塊を口に入れた。割と食べ方は豪快である。
晴也もパスタを口に入れ、味わってから答える。
「くだらない集まりに誘われずに済むからな」
「誘われないと寂しいんじゃなかったか?」
「集まりによるよ、もう今は行きたいかどうか考えるのさえ面倒だし、最初から圏外に分類されとくんだ」
こんな説明をしているほうが、余程寂しい気がする。
「ああ、自分を守ってるんだ……」
憐れみの色が滲む晶の声にイラッとした。
「自分が自分を守らないで誰が守ってくれるんだよ!」
晴也が低く言うと、晶は口許をふわりと緩めた。
「俺が……」
「は? おまえほんとに能天気だな、そんな無責任なことよく言うわ、リップサービスなんかしていらないぞ」
晴也の言葉を心外に思ったのだろう、晶はフォークを持ったまま少し俯いて口をへの字にした。その様子は、いたずらをした犬が叱られてしょぼんとする姿を連想させた。
晶は一日中メンテナンスだったと言って笑う。整形外科で膝を診てもらい、リハビリをして、マッサージを受けるのだという。リハビリと聞いて晴也はぎくりとなる。あれだけ踊れるのに、やはり完全ではないのだ。
晶は晴也が心配そうな顔をしたからか、眼鏡の奥の目を和らげて説明してくれる。
「ちょっとだけ曲げ伸ばしに左右差があるんだ、踊ってる時には逆に気にならないんだけど……」
「一緒くらいになったほうがいいものなのか?」
「どうなんだろうな、怪我してなくても関節の柔らかさって左右差あるからなぁ」
晴也は今夜はいろいろ考えて、ユニセックスを目指してみた。クリスマスプレゼントに晶からもらった帽子と、大きいシルエットのセーターにやや細身のパンツは女性ものだが、他は普段着ている男物である。靴は楽な方が良くて、新しいスニーカーを履いてきた。化粧もあまりしないで、薄めのファンデーションに眉毛を丁寧かつナチュラルに描き、オレンジ系のチークをさっと刷くのみである。
晶はカジュアルなイタリアレストランに入り、少し奥まった席を選ぶ。コートを脱いで現れた襟ぐりの広い黒のニットを見て、首が長いのがよくわかるなと晴也は思う。
晶も晴也を観察していたらしく、ふと目が合う。横の椅子を引いて鞄を置きながら彼は言った。
「ハルさんはほんとに両性具有的だな、化粧ほとんどしてないの?」
「うん、薄く土台と眉毛くらい」
「帽子良く似合う」
言われて晴也は素直に嬉しくなった。グラスワインで乾杯して、アンティパスタを一緒につつく。
「明里さんは理解してくれそう?」
晶の問いかけに、晴也はうーん、と小さく唸る。
「意外なんだけど、ショウさんと仲良くしてることよりも女装のほうが抵抗あるみたい」
「……それ普通じゃない? てか女装してることも話したんだ、お疲れさま」
明里よりも高いヘアケアや基礎化粧品を使っていれば、疑われても仕方なかった。
「あいつ俺の高校時代のメイドを見てるんだ、あれがそんなに楽しかったとは思わなかったって言われた」
「でも覚えててくれたということは、明里さんにとっても印象的だったんだろ? 俺高校の文化祭なんて何も覚えてない」
晶は言いながら、野菜が封じ込められたジュレを美味しそうに口に入れる。
「2度と顔も見たくないと言われたんじゃなけりゃ、そんなに気に病まなくていいよ」
「……ショウさんは楽天的だな」
晴也はミニトマトをフォークに刺して、呟いた。まあ俺は悲観的らしいけど。
「そう? だって自分のことだってよくわからないのに、他人の考えてることなんかわかりっこないだろ?」
晶の手がワイングラスの柄を持つのを見て、ちょっと触りたいなと、食事の場に関係なく湧いた意識を晴也は持て余す。
「自分に向けられる負の感情なんて気にしてたらきりがないし」
この人は自分より少し歳下だけど、自分の倍以上の人生経験がある。晴也は自分の未熟さに思いを致して勝手にがっかりした。
「大丈夫だよ、明里さんはハルさんを支えてくれると思う……支えてもらうためにはハルさんが堂々としていないと」
何に堂々とするというのだろう? 女の格好をすること? 同性と仲良くなりかけていること? 晴也は考えて、何も自慢にならないという結論にしか行き着かない。
「……そんなことに堂々とする意味あるのか?」
晴也のか細い訴えに、晶は目を見開く。彼が何か言いかけた時、ピザの皿がやって来たので、テーブルに慌てて空きを作る。
「何言ってんだハルさん、自分にとっては意味のあることだろ? それ以上の理由があるの?」
気分はいまひとつなのにもかかわらず、チーズの香りが食欲を誘う。晴也はピザカッターをぐりぐり動かした。
「何かおまえと話してたらいっつも自分の小物感に打ちのめされる」
ピザを一切れ手にすると、チーズがとろりと糸を引く。晴也はあちっ、と言いながらピザの角を口に入れた。
「ハルさんが一番自分を小物扱いしてるんだぞ、そろそろ気づけ」
「うるさい、じゃあ俺が小物でないっていう証拠を見せろ」
晴也はピザにかぶりつく晶に八つ当たりする。無茶言うな、と晶は眉間に皺を寄せたが、別に気を悪くしている様子ではない。
「ハルさんのこの辺りには白い羽があるんだけど……」
晶はお手拭きで指先を拭い、自分の背後の肩甲骨辺りに手を回す。
「孵化したばかりの小鳥の羽みたいに濡れて閉じてるんだ、なかなか広がらない」
「どういう例えなんだよ」
「殻が硬すぎて出てくるのに苦労したんだ」
晴也はピザをもうひと口噛み、失笑した。
「出てきてないだろ、このまま殻の中で窒息死するんだよ」
「そんなことはない」
晶はワイングラスを軽く回しながら言った。
「罅が入ってたから俺が全力で殻を叩いたら穴が開いた、でも殻の中が心地良いらしくてハルさんはそこからなかなか出てこない」
晴也はピザを咀嚼しながら、目の前の男が何を言いたいのか探る。
「殻の中に手を入れたら掴んでくれたから、やっと外に引きずり出した……今ここ」
晶は少し首を傾けて微笑する。
「でも外の世界が怖いから自分の羽を広げられないらしい」
「……よくわからないけど……高校出てすぐに言葉の通じない国でダンス修行するような奴とは違うからな」
トマトの香りを派手に立てながら、パスタがテーブルの中央に置かれる。晴也がそれを皿に取り分けるのを、晶は楽しげに見ていた。
「……周りの人はハルさんを陰キャでコミュ障なんてたぶん思ってないんだけどなぁ……そう思われてるほうがいいのか?」
晶はフォークを持ち、くるりと1回だけパスタを巻きつけ、その塊を口に入れた。割と食べ方は豪快である。
晴也もパスタを口に入れ、味わってから答える。
「くだらない集まりに誘われずに済むからな」
「誘われないと寂しいんじゃなかったか?」
「集まりによるよ、もう今は行きたいかどうか考えるのさえ面倒だし、最初から圏外に分類されとくんだ」
こんな説明をしているほうが、余程寂しい気がする。
「ああ、自分を守ってるんだ……」
憐れみの色が滲む晶の声にイラッとした。
「自分が自分を守らないで誰が守ってくれるんだよ!」
晴也が低く言うと、晶は口許をふわりと緩めた。
「俺が……」
「は? おまえほんとに能天気だな、そんな無責任なことよく言うわ、リップサービスなんかしていらないぞ」
晴也の言葉を心外に思ったのだろう、晶はフォークを持ったまま少し俯いて口をへの字にした。その様子は、いたずらをした犬が叱られてしょぼんとする姿を連想させた。
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