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10 暴露
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「ハルは俺の源氏名だ」
晴也は覚悟を決めて明里に告げた。
「ルーチェの近くのバーで週2日バイトしてる、美智生さんと一緒に」
明里の返事は無かった。すると白い軽自動車がやって来て、2人のそばに静かに停まった。運転席から眼鏡をかけた晶が顔を覗かせる。
「お待たせ」
「ありがとう、……明里、前行って」
明里に助手席に座るように言い、晴也は後ろのドアを開けた。暖かい車内に落ち着き、明里がシートベルトを締めると、車がゆっくり動き出す。
「今日はありがとうございました、楽しんでいただけたようで嬉しいです」
晶の言葉に、明里は戸惑いながら応じる。
「あ、はい、ほんとに素敵でした、また来ます……お疲れのところ送っていただいて申し訳ありません」
いえいえ、と晶は本当に何でもない風に言った。明里は信号で車が止まると、意を決したように彼に訊く。
「兄と……ショウさん、吉岡さんってどういう関係なんですか?」
えっと、と晶は前置きした。
「晴也さんの認識は違うかも知れませんが、私が交際して欲しいと申し出ています」
明里の声が上擦った。
「えっ、あの、兄と、ですか……?」
晶はルームミラー越しに晴也を見てきた。晴也はどう言うべきか迷う。信号が変わり、車がのんびり発進した。
「ええ、私はゲイなんで……ロンドンで踊っていた頃の私のことを割とご存知のようだと晴也さんから聞きましたけれど、そういう情報は入ってませんか?」
明里はいえ、とかぶりを振った。
「あっちにいる頃隠してなかったんですけどね、今はちょっと隠してます」
「あ、そうなんですね、わかりました」
「晴也さんはノンケ……ノーマルなので私が悪戦苦闘中です」
晶は笑う。明里は助手席から後ろを向いて、晴也に言った。
「じゃあお兄ちゃんは吉岡さんの好意を利用して、こんな風に送らせたりしてるってことなんだ……最低」
「はあっ? 利用なんかしてない、俺は……」
言葉が続かなかった。晶が言葉を引き継ぐ。
「私の求めるものとは種類が違うかも知れないけれど、晴也さんは私に好意を示してくれていますし、私が好きでしてることですから」
車がマンションの前に停まる。明里はありがとうございます、とやはりきちんと礼を言ってからドアを開けた。流れ込む冷えた空気にひとつ震えてから、晴也はごめん、と晶につい言う。
「何を謝ってるんだ、ちゃんと説明してやれよ……良い方に転ぶことを祈ってる」
晶は晴也を振り返りながら言った。そしてドアの向こうでマンションを見上げる明里をちらっと見てから、晴也の頬に右手を伸ばす。
「そんな顔しないで、ハルさんがあかりさんに理解して欲しいことを嘘偽りなく伝えたら、悪いようにはならないよ」
冷えた頬に、晶の掌は温かくて心地良かった。
「必要なら昼間の俺の話もすればいい」
「……ありがとう」
晴也は胸をきゅっと締めつけられる。妹が寒い中、車の外で待っているというのに、この場を離れ難い。頬を包む手の甲にそっと指で触れると、今まで知らなかった喜びの感情が胸の中に溢れてきた。
「……俺の求める種類の好意を示してくれてると思っていい? ハルさん……」
眼鏡の奥の晶の目は、ちょっと切なげに細められていた。晴也は目を伏せる。心臓がどきどきして、呼吸が浅くなる。
「……もう少し時間が欲しい、俺ショウさんのこと好きだ、でも」
「わかった、俺もハルさんが納得した言葉が欲しいから……おやすみ」
晶は言って身を乗り出し、す早く晴也の額に口づけた。それだけで顔が火照る。
車を降りてマンションのエントランスに入ると、白い軽自動車はゆっくりと来た道を戻って行った。それを見送る兄を見て、明里は言う。
「お兄ちゃんあの人のこと好きなんじゃん、別れ際に何してたか知らないけど、恋する中学生みたいに赤いほっぺたしちゃってさ」
晴也は言葉を返せず、黙ってエレベーターのボタンを押した。
「ショウってよく見たらイケメンだよね、眼鏡かけたらすげぇ色っぽい……お兄ちゃんの好きなタイプの顔でしょ? 知ってるんだからね」
「……うるさい、黙れ」
エレベーターに乗り込むと、明里はくすくす笑い出した。
「陰キャでコミュ障の俺に、イケメントップダンサーが迫ってきます」
「何だよそれ」
「お兄ちゃんの現状をBLのタイトル風に表現してみた」
「……ほんとうるさいわ」
「副題、もう少しで絆されそうです」
晴也は部屋の鍵を開けながら、明里の考えた副題を校正した。もうほとんど絆されています。
晴也は失念していた。明里は自分なんかより、恋愛経験がずっと豊富なのだ。自分の態度を見れば、大体のことはわかるのだろう。隠しても無駄だ。……そう考えると、少し気が楽になるような気がした。
晴也は覚悟を決めて明里に告げた。
「ルーチェの近くのバーで週2日バイトしてる、美智生さんと一緒に」
明里の返事は無かった。すると白い軽自動車がやって来て、2人のそばに静かに停まった。運転席から眼鏡をかけた晶が顔を覗かせる。
「お待たせ」
「ありがとう、……明里、前行って」
明里に助手席に座るように言い、晴也は後ろのドアを開けた。暖かい車内に落ち着き、明里がシートベルトを締めると、車がゆっくり動き出す。
「今日はありがとうございました、楽しんでいただけたようで嬉しいです」
晶の言葉に、明里は戸惑いながら応じる。
「あ、はい、ほんとに素敵でした、また来ます……お疲れのところ送っていただいて申し訳ありません」
いえいえ、と晶は本当に何でもない風に言った。明里は信号で車が止まると、意を決したように彼に訊く。
「兄と……ショウさん、吉岡さんってどういう関係なんですか?」
えっと、と晶は前置きした。
「晴也さんの認識は違うかも知れませんが、私が交際して欲しいと申し出ています」
明里の声が上擦った。
「えっ、あの、兄と、ですか……?」
晶はルームミラー越しに晴也を見てきた。晴也はどう言うべきか迷う。信号が変わり、車がのんびり発進した。
「ええ、私はゲイなんで……ロンドンで踊っていた頃の私のことを割とご存知のようだと晴也さんから聞きましたけれど、そういう情報は入ってませんか?」
明里はいえ、とかぶりを振った。
「あっちにいる頃隠してなかったんですけどね、今はちょっと隠してます」
「あ、そうなんですね、わかりました」
「晴也さんはノンケ……ノーマルなので私が悪戦苦闘中です」
晶は笑う。明里は助手席から後ろを向いて、晴也に言った。
「じゃあお兄ちゃんは吉岡さんの好意を利用して、こんな風に送らせたりしてるってことなんだ……最低」
「はあっ? 利用なんかしてない、俺は……」
言葉が続かなかった。晶が言葉を引き継ぐ。
「私の求めるものとは種類が違うかも知れないけれど、晴也さんは私に好意を示してくれていますし、私が好きでしてることですから」
車がマンションの前に停まる。明里はありがとうございます、とやはりきちんと礼を言ってからドアを開けた。流れ込む冷えた空気にひとつ震えてから、晴也はごめん、と晶につい言う。
「何を謝ってるんだ、ちゃんと説明してやれよ……良い方に転ぶことを祈ってる」
晶は晴也を振り返りながら言った。そしてドアの向こうでマンションを見上げる明里をちらっと見てから、晴也の頬に右手を伸ばす。
「そんな顔しないで、ハルさんがあかりさんに理解して欲しいことを嘘偽りなく伝えたら、悪いようにはならないよ」
冷えた頬に、晶の掌は温かくて心地良かった。
「必要なら昼間の俺の話もすればいい」
「……ありがとう」
晴也は胸をきゅっと締めつけられる。妹が寒い中、車の外で待っているというのに、この場を離れ難い。頬を包む手の甲にそっと指で触れると、今まで知らなかった喜びの感情が胸の中に溢れてきた。
「……俺の求める種類の好意を示してくれてると思っていい? ハルさん……」
眼鏡の奥の晶の目は、ちょっと切なげに細められていた。晴也は目を伏せる。心臓がどきどきして、呼吸が浅くなる。
「……もう少し時間が欲しい、俺ショウさんのこと好きだ、でも」
「わかった、俺もハルさんが納得した言葉が欲しいから……おやすみ」
晶は言って身を乗り出し、す早く晴也の額に口づけた。それだけで顔が火照る。
車を降りてマンションのエントランスに入ると、白い軽自動車はゆっくりと来た道を戻って行った。それを見送る兄を見て、明里は言う。
「お兄ちゃんあの人のこと好きなんじゃん、別れ際に何してたか知らないけど、恋する中学生みたいに赤いほっぺたしちゃってさ」
晴也は言葉を返せず、黙ってエレベーターのボタンを押した。
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「……うるさい、黙れ」
エレベーターに乗り込むと、明里はくすくす笑い出した。
「陰キャでコミュ障の俺に、イケメントップダンサーが迫ってきます」
「何だよそれ」
「お兄ちゃんの現状をBLのタイトル風に表現してみた」
「……ほんとうるさいわ」
「副題、もう少しで絆されそうです」
晴也は部屋の鍵を開けながら、明里の考えた副題を校正した。もうほとんど絆されています。
晴也は失念していた。明里は自分なんかより、恋愛経験がずっと豊富なのだ。自分の態度を見れば、大体のことはわかるのだろう。隠しても無駄だ。……そう考えると、少し気が楽になるような気がした。
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