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10 暴露
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実家から高田馬場の1DKに戻り、本業の仕事始めを迎えた。晴也は平和だがつまらない日常を取り戻し、年始の仕事に忙殺され気味になって、くそダンサーのことを考える時間が減っていた。晴也としては、それはそれで良かった。あまりこれまで馴染みの無い感情に振り回されるのに、疲れていたからである。
営業部の室内の人口密度が高く、弁当も持参していなかったので、晴也は昼休みの時間を迎えて珍しく外食に出た。向かったのは、客のほぼ全員がおひとりさまで、2人以上座れるテーブルを置いていない定食屋だ。気楽で割に味も良いので、気に入っていた。
晴也は焼き鮭の和定食を一人でゆっくり食べて、静かな昼食時間に満足して店を出た。少しまだ時間があるので、コーヒーを買って帰ろうかと思い、会社のビルから2番目に近いファストなカフェに足を向けた。
「……ハルさん!」
店の前で、背後から声をかけられて、まさかと思いそちらを振り返る。取引先の、銀縁メガネの営業担当だった。
彼がやたらに嬉しそうなのを見て、晴也はどきりとして照れた。それを悟られないよう、彼に頭を下げながら言う。
「あけましておめでとうございます、本年もどうぞよろしくお願いします」
晶も優雅に……おそらくその辺にうろうろしている勤労者にはなし得ない美しい姿勢で頭を下げた。
「あけましておめでとうございます、こちらこそよろしくお願いいたします」
「……昼間はハルさんって呼ぶな」
晴也がやや潜めた声に、晶はマフラーをちょっと下ろしてにっこり笑う。
「久しぶりなのに冷たいですね、コーヒーご馳走します」
晶は晴也に躊躇う時間を与えず、店に入ってしまう。晶から席を取るように指示されて、仕方なく窓際に向かった。
やがて晶が、カフェオレを2つトレーに乗せてやって来る。
「昼食べたのか?」
晴也が訊くと、晶はまた嬉しげに笑った。
「うん、近くに営業に来てて、その会社の人と食べた」
晴也は何となく話題が選べずに、黙ってしまう。晶がコートを脱いで腰を下ろすなり、その左手の指先が晴也の右手の甲に触れて、肩が勝手にぴくんと揺れた。
「会えて嬉しい、もう福原さんが枯渇してました」
こんなところで大胆な。晴也は周りをちらっと見渡すが、別に自分たちを気にしている人はいないので、晶の中指が黒子をなぞるに任せておく。
会いたかった、と言えばいいのだろうか? 晴也は迷う。晶が先に口を切った。
「髪切ったんだ」
「あ、うん……実家の近くに美容院できて」
言って晴也は、晶の眼鏡がよく見ると年末とは少し違うことに気づいた。テンプルが太くなり、直線の柄が入っている。
「眼鏡変えた?」
「だいぶ使ってたしちょっと合わなくなって来てたから……今日は福原さんの睫毛までよく見える」
晶は強い近視で乱視もあるらしかった。コンタクトを長時間使うと目が辛くなるのは、晴也と一緒である。
晴也はようやく話題を見つけて、口を開いた。
「金曜日……ルーチェに妹連れてく」
晶は少し首を傾げ、ありがとう、と言った。
「だから男の姿で行く」
「了解、その辺り優さんと美智生さんに話を合わせて貰うようにしないとね」
「グループLINEでお願いするよ……吉岡さんは……」
「ショウでいいよ」
晴也は晶の顔から視線を外す。今は彼を取引先の担当と認識して話したいと思っているのに、そこは察してくれない。
「……吉岡さんは、家族に自分のことどれくらい話してるの?」
晶の口許から笑みがすっと引いた。
「男が好きだってことは皆知ってる、一番上の兄貴にちょいキモがられてるけど……姉貴が帰省しててさ、福原さんの話をしたら頑張れって言ってくれた」
姉貴とは、ロイヤル・バレエ団の人か。俺の話って、何を言ったんだろう? くすぐったさと不安が同時に湧いた。
晶は問うて来る。
「実家で何かあった?」
「いや、ただ女装してることも吉岡さんと親しくしてることも、言いにくいなって実感して……」
「ちょっときつかったんだ」
晴也は小さく頷く。きつい、とまでは言わないが。
営業部の室内の人口密度が高く、弁当も持参していなかったので、晴也は昼休みの時間を迎えて珍しく外食に出た。向かったのは、客のほぼ全員がおひとりさまで、2人以上座れるテーブルを置いていない定食屋だ。気楽で割に味も良いので、気に入っていた。
晴也は焼き鮭の和定食を一人でゆっくり食べて、静かな昼食時間に満足して店を出た。少しまだ時間があるので、コーヒーを買って帰ろうかと思い、会社のビルから2番目に近いファストなカフェに足を向けた。
「……ハルさん!」
店の前で、背後から声をかけられて、まさかと思いそちらを振り返る。取引先の、銀縁メガネの営業担当だった。
彼がやたらに嬉しそうなのを見て、晴也はどきりとして照れた。それを悟られないよう、彼に頭を下げながら言う。
「あけましておめでとうございます、本年もどうぞよろしくお願いします」
晶も優雅に……おそらくその辺にうろうろしている勤労者にはなし得ない美しい姿勢で頭を下げた。
「あけましておめでとうございます、こちらこそよろしくお願いいたします」
「……昼間はハルさんって呼ぶな」
晴也がやや潜めた声に、晶はマフラーをちょっと下ろしてにっこり笑う。
「久しぶりなのに冷たいですね、コーヒーご馳走します」
晶は晴也に躊躇う時間を与えず、店に入ってしまう。晶から席を取るように指示されて、仕方なく窓際に向かった。
やがて晶が、カフェオレを2つトレーに乗せてやって来る。
「昼食べたのか?」
晴也が訊くと、晶はまた嬉しげに笑った。
「うん、近くに営業に来てて、その会社の人と食べた」
晴也は何となく話題が選べずに、黙ってしまう。晶がコートを脱いで腰を下ろすなり、その左手の指先が晴也の右手の甲に触れて、肩が勝手にぴくんと揺れた。
「会えて嬉しい、もう福原さんが枯渇してました」
こんなところで大胆な。晴也は周りをちらっと見渡すが、別に自分たちを気にしている人はいないので、晶の中指が黒子をなぞるに任せておく。
会いたかった、と言えばいいのだろうか? 晴也は迷う。晶が先に口を切った。
「髪切ったんだ」
「あ、うん……実家の近くに美容院できて」
言って晴也は、晶の眼鏡がよく見ると年末とは少し違うことに気づいた。テンプルが太くなり、直線の柄が入っている。
「眼鏡変えた?」
「だいぶ使ってたしちょっと合わなくなって来てたから……今日は福原さんの睫毛までよく見える」
晶は強い近視で乱視もあるらしかった。コンタクトを長時間使うと目が辛くなるのは、晴也と一緒である。
晴也はようやく話題を見つけて、口を開いた。
「金曜日……ルーチェに妹連れてく」
晶は少し首を傾げ、ありがとう、と言った。
「だから男の姿で行く」
「了解、その辺り優さんと美智生さんに話を合わせて貰うようにしないとね」
「グループLINEでお願いするよ……吉岡さんは……」
「ショウでいいよ」
晴也は晶の顔から視線を外す。今は彼を取引先の担当と認識して話したいと思っているのに、そこは察してくれない。
「……吉岡さんは、家族に自分のことどれくらい話してるの?」
晶の口許から笑みがすっと引いた。
「男が好きだってことは皆知ってる、一番上の兄貴にちょいキモがられてるけど……姉貴が帰省しててさ、福原さんの話をしたら頑張れって言ってくれた」
姉貴とは、ロイヤル・バレエ団の人か。俺の話って、何を言ったんだろう? くすぐったさと不安が同時に湧いた。
晶は問うて来る。
「実家で何かあった?」
「いや、ただ女装してることも吉岡さんと親しくしてることも、言いにくいなって実感して……」
「ちょっときつかったんだ」
晴也は小さく頷く。きつい、とまでは言わないが。
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