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9 結花
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晴也が頼んだチョコレートケーキは甘過ぎず美味だったが、晶が食べているベイクドチーズケーキについ目が行った。
晶はフォークでケーキを切ると、先に刺して晴也に突き出して来た。晴也はこの間の苺のやり取りを思い出して、耳を赤くしながら低く言う。
「欲しいなんて言ってないぞ」
「遠慮せずに味見しろよ、美味いから」
「だったら普通にくれたらいいだろ!」
「ほらほら、隣の親子が見てるよ? ラブラブカップルを演じないとマイナス20点」
こいつ後で必ず殺す。晴也は晶を睨みつけてから、フォークの先のチーズケーキをす早く口に入れた。美味だったので、勝手に頬が緩む。
隣の席の親子が、顔を見合わせて小さく笑ったのが視界の隅に入った。その笑いは嘲笑ではなさそうだった。晴也はチョコレートケーキの皿を晶のほうへ押し出して、食え、と言った。彼はフォークで小さくケーキを切り取る。
「お返ししてくれないの?」
「するか馬鹿」
その後晴也が山形の妻が来店した話をすると、晶はちょっと考え込むような顔になった。
「俺やっぱり山形さんのこと完拒否できないかも」
「まあ二人きりにならない限り何も起きないだろうけど……亡くなった幼馴染か」
晶は視線を窓の外にやり、こちらに向き直った時に何か言いたそうにした。晴也は無理に聞き出そうとは思わず、紅茶にミルクを入れて、ゆっくり味わう。こういう受け止め方は、めぎつねで覚えた。
「実は俺もハルさんを会社で初めて見た時……たぶんもう二度と会えない女性を思い出した」
え、と晴也は小さく言って、ティーカップを皿に戻した。
「……亡くなったのか?」
「いや、わからないんだ……誰にも何も言わずに帰国して……どうしているのか」
女性との交際歴もあるのか。イギリスにいた頃の話のようだが、やや気持ちがざわつく。
「ハルさんは不思議な人だ、そうやって人が奥深くに仕舞い込んだ箱の蓋を開いていく」
晶はいつものように目を細めて言ったが、そこには微かに哀しさのような色が浮かんでいるように思えた。……山形夫人が自分を見た時に浮かべたのと同じ種類のもの。
「俺のせいじゃない、みんな何かが消化できてないから俺を見て勝手に思い出すんだ」
まあそうなんだけど、と晶は言い、ケーキを口に入れた。晴也もケーキを食べる。
「パンドラの箱だ、開いたらロクなものが出てこないんだろ」
「そうとは限らないよ……迷惑そうだな」
「迷惑とまでは言わないけど……」
晴也だって実は、晶と一緒にいることで、自分のパンドラの箱に貼った封印が今にもちぎれそうなのだ。封印にはこんな呪文が書かれていた。他人に心を許したら利用される。出る杭は打たれる。誰も俺を求めない。
晶はロンドンにいた頃の他愛ない話をしてくれた。脚の怪我の話や行方不明になった彼女の話を、巧みに避けながら。
喫茶店を出る時に小競り合いになった。映画館の入場券を買わせたので、ここは晴也が払うというと、晶がいいと言い張るからである。
「おまえに奢ってもらう理由が無いんだよ!」
遂に口にすると、レジにいたリーダーっぽい店員が目を丸くした。いくら男言葉OKでも、これはまずい。
「すみません、口が悪くて」
晴也が引きつり笑いを向けると、彼はお似合いで仲良しですね、と笑う。
「男性が払うと言うときは素直に受けると相手のプライドを満足させますよ、もちろん毎回は困りものですけど」
「あ、そんなものなんですね……」
そんなやり取りの間に、晶はとっとと支払いをカードで済ませてしまう。
「そうそう、今日はクリスマスだからね」
晴也はご馳走さまでした、と彼に頭を下げた。店員たちがありがとうございました、と揃って二人を送り出す。
「うまく切り抜けましたね、お嬢様……吉岡は感心いたしました」
晶は執事ごっこが気に入っているらしい。晴也はぶすっとしてしまう。男である自分が、どんな振る舞いが男のプライドを満たすのか、全然わからないなんて。
結構長い時間喫茶店にいたが、まだ夕食には早いので、百貨店に立ち寄る。晴也は婦人服売り場をくるりと回りたいと申し出た。めぎつねで着る服はほぼレンタルだが、靴や小物は自腹なので、たまに実店舗を見て気に入ったものがあれば、そのブランドのオンラインショップで買うか、似たものをネット検索する。新春のバーゲンもあるので、情報収集をしなくてはいけない。
晶は素直に感心した。
「へぇ、勉強熱心だなぁ」
「ミチルさんに教えてもらったんだ、それで次のシーズンに履かない靴はフリマアプリで売るんだって」
今日晴也は、敢えて紳士のマフラーとコートをスカートに合わせていた。案外いけそうだと思ったからだが、昨日晶の前で女装をしていたので、デートのコーデに手持ちが無いというのもあった。
比較的気に入っているブランドの店の前で歩調を緩める。プレバーゲンが始まっていて、店内は賑わっていた。ここに踏み込むには、女装男子としては勇気が要る。それに気づいたのか、晶がけしかけてきた。
「ほれ、入って見ないのか? クリスマスプレゼントに買ってやるぞぉ」
イラッとして小声で言い返す。
「うるせぇ! 試着ができないだろ!」
と言いつつ、晴也の目はマネキンがかぶるニットの帽子に釘づけになる。昨日のショーでダンサーたちがかぶっていたハンチングに似て、可愛かったからである。
晶はフォークでケーキを切ると、先に刺して晴也に突き出して来た。晴也はこの間の苺のやり取りを思い出して、耳を赤くしながら低く言う。
「欲しいなんて言ってないぞ」
「遠慮せずに味見しろよ、美味いから」
「だったら普通にくれたらいいだろ!」
「ほらほら、隣の親子が見てるよ? ラブラブカップルを演じないとマイナス20点」
こいつ後で必ず殺す。晴也は晶を睨みつけてから、フォークの先のチーズケーキをす早く口に入れた。美味だったので、勝手に頬が緩む。
隣の席の親子が、顔を見合わせて小さく笑ったのが視界の隅に入った。その笑いは嘲笑ではなさそうだった。晴也はチョコレートケーキの皿を晶のほうへ押し出して、食え、と言った。彼はフォークで小さくケーキを切り取る。
「お返ししてくれないの?」
「するか馬鹿」
その後晴也が山形の妻が来店した話をすると、晶はちょっと考え込むような顔になった。
「俺やっぱり山形さんのこと完拒否できないかも」
「まあ二人きりにならない限り何も起きないだろうけど……亡くなった幼馴染か」
晶は視線を窓の外にやり、こちらに向き直った時に何か言いたそうにした。晴也は無理に聞き出そうとは思わず、紅茶にミルクを入れて、ゆっくり味わう。こういう受け止め方は、めぎつねで覚えた。
「実は俺もハルさんを会社で初めて見た時……たぶんもう二度と会えない女性を思い出した」
え、と晴也は小さく言って、ティーカップを皿に戻した。
「……亡くなったのか?」
「いや、わからないんだ……誰にも何も言わずに帰国して……どうしているのか」
女性との交際歴もあるのか。イギリスにいた頃の話のようだが、やや気持ちがざわつく。
「ハルさんは不思議な人だ、そうやって人が奥深くに仕舞い込んだ箱の蓋を開いていく」
晶はいつものように目を細めて言ったが、そこには微かに哀しさのような色が浮かんでいるように思えた。……山形夫人が自分を見た時に浮かべたのと同じ種類のもの。
「俺のせいじゃない、みんな何かが消化できてないから俺を見て勝手に思い出すんだ」
まあそうなんだけど、と晶は言い、ケーキを口に入れた。晴也もケーキを食べる。
「パンドラの箱だ、開いたらロクなものが出てこないんだろ」
「そうとは限らないよ……迷惑そうだな」
「迷惑とまでは言わないけど……」
晴也だって実は、晶と一緒にいることで、自分のパンドラの箱に貼った封印が今にもちぎれそうなのだ。封印にはこんな呪文が書かれていた。他人に心を許したら利用される。出る杭は打たれる。誰も俺を求めない。
晶はロンドンにいた頃の他愛ない話をしてくれた。脚の怪我の話や行方不明になった彼女の話を、巧みに避けながら。
喫茶店を出る時に小競り合いになった。映画館の入場券を買わせたので、ここは晴也が払うというと、晶がいいと言い張るからである。
「おまえに奢ってもらう理由が無いんだよ!」
遂に口にすると、レジにいたリーダーっぽい店員が目を丸くした。いくら男言葉OKでも、これはまずい。
「すみません、口が悪くて」
晴也が引きつり笑いを向けると、彼はお似合いで仲良しですね、と笑う。
「男性が払うと言うときは素直に受けると相手のプライドを満足させますよ、もちろん毎回は困りものですけど」
「あ、そんなものなんですね……」
そんなやり取りの間に、晶はとっとと支払いをカードで済ませてしまう。
「そうそう、今日はクリスマスだからね」
晴也はご馳走さまでした、と彼に頭を下げた。店員たちがありがとうございました、と揃って二人を送り出す。
「うまく切り抜けましたね、お嬢様……吉岡は感心いたしました」
晶は執事ごっこが気に入っているらしい。晴也はぶすっとしてしまう。男である自分が、どんな振る舞いが男のプライドを満たすのか、全然わからないなんて。
結構長い時間喫茶店にいたが、まだ夕食には早いので、百貨店に立ち寄る。晴也は婦人服売り場をくるりと回りたいと申し出た。めぎつねで着る服はほぼレンタルだが、靴や小物は自腹なので、たまに実店舗を見て気に入ったものがあれば、そのブランドのオンラインショップで買うか、似たものをネット検索する。新春のバーゲンもあるので、情報収集をしなくてはいけない。
晶は素直に感心した。
「へぇ、勉強熱心だなぁ」
「ミチルさんに教えてもらったんだ、それで次のシーズンに履かない靴はフリマアプリで売るんだって」
今日晴也は、敢えて紳士のマフラーとコートをスカートに合わせていた。案外いけそうだと思ったからだが、昨日晶の前で女装をしていたので、デートのコーデに手持ちが無いというのもあった。
比較的気に入っているブランドの店の前で歩調を緩める。プレバーゲンが始まっていて、店内は賑わっていた。ここに踏み込むには、女装男子としては勇気が要る。それに気づいたのか、晶がけしかけてきた。
「ほれ、入って見ないのか? クリスマスプレゼントに買ってやるぞぉ」
イラッとして小声で言い返す。
「うるせぇ! 試着ができないだろ!」
と言いつつ、晴也の目はマネキンがかぶるニットの帽子に釘づけになる。昨日のショーでダンサーたちがかぶっていたハンチングに似て、可愛かったからである。
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