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給料日前ということもあるのか、クリスマスモードのめぎつねには客の姿が少ない。早めに来る客が21時に全て引くと、ホールが無人になってしまった。
「昔は12月の上旬にボーナスが出たら、年末までずーっと忙しかったんだけどな」
赤いドレスに白いファーのボレロを羽織ったママが呟く。麗華は一番気合い入れた恰好なのに、と赤いジョーゼットのドレスの裾を揺らしながら唇を尖らせた。
「早く閉めてマッスルダンス観に行こうよ」
サンタ帽を斜めにかぶる美智生は、如何にもいい考えだと言わんばかりに言ったが、ママは駄目、とひと言答えた。
「ああでも一人抜けても回りそうだったら、ミチルに上がってもらってもいいかな」
「ハルちゃんは? 彼氏出るんだろ?」
麗華にいきなり振られて、グラスを乾拭きしていた晴也は手を滑らせかけた。今日は真っ白なセーターに緑色のタータンチェックの巻きスカートを合わせてみた。割と渋くクリスマスカラーになって満足しているので、客にも見て欲しいところだ。
「いや、彼氏って誰のことなんすか」
「聞いてるぞ、二軒隣で踊ってるイケメンといい感じなんだって?」
「いい感じなんかじゃないです」
晴也はとりあえず否定する。麗華にこんなことを吹き込むのは、シフト的にも美智生かママしかいない。
ふうん、と呟く麗華の口許は楽しげに緩んでいる。晴也は彼と目を合わせずに、話す。
「……とにかくその話題になってるらしき人は、今日出番を少し減らすって言ってました」
「どうしたんだ?」
先週熱出てるのに無理して捻挫したんだよ、と美智生が横から言った。あらまあ、とママも目を丸くする。
「ハルちゃんは先週末甲斐甲斐しく看病したんだよ、な!」
美智生の言葉に晴也はつい口をへの字にする。
「看病なんかしてません、冷蔵庫が空っぽで餓死しそうだとか言うから買い物して持ってっただけです」
ママがいひひと、姿に似合わない下品な笑いを洩らした。
「ショウさん可愛いな、そんな誘い文句初めて聞いた……タチなんだよな、見かけも好みなんだけど残念だぁ」
晶を食う対象にしているママに引きながら、晴也は言った。
「確かに体調が悪い時の買い物はきついですから」
「そりゃそうだ」
「ミチルさんの想像するような甲斐甲斐しい看病なんかしてたら、風邪をうつされてるところです」
晴也が美智生に向かって言うと、皆が一斉に笑った。そんなに面白いだろうか。
「ほんとだ、ごもっとも」
「何だぁ、ショウは男じゃないな」
「彼は期待してたかもな、なのに買い物袋だけ置いて帰るハルちゃん超いい感じ」
盛り上がる3人を見て、晴也は罪悪感を覚えた。実は風邪をうつされても仕方がないような接触をした。そのことを誰にも話すつもりはない。思い出すと小っ恥ずかしいし、ちょっとどうかしていたと思えなくもないからだ。
体調の良くない晶への同情、明里から聞かされた彼の脚の怪我が事実と分かった動揺――晴也の平常心を揺さぶる要素は多々あった。きっと晶は、そんなふらつく自分を見逃さないで、うまく心の中に滑り込んで来たのだと思う。まったく、油断も隙もない男だ。
あの時胸の深いところに触れられ、危うく晶の傍にいることを選んでしまいそうだった自分を、晴也は必死で否定し続ける。涼やかな目を官能的に細め、夜の空の色をした瞳に熱を宿して迫ってくる、アメノウズメの末裔のような美しい踊り子。アマテラスが岩戸を開いてしまったように、物理的に裸にされる以上に、心を裸にされそうなのが怖い。
女装ホステスたちの笑い声がほぼ消えた時、店の扉にぶら下げられた鐘が鳴った。皆一斉にそちらを見る。
「いらっしゃいませ」
声まで揃った。顔を覗かせたのは、中年女性だった……山形の妻。場に驚きの空気が広がる。山形は来ていないようなので、晴也はほっとした。
「奥様、どうなさったんですか?」
ママが真っ先に彼女のほうに向かった。美智生は麗華に、先週の木曜、彼女が夫とやって来たものの、ママが2人を店内に一歩も入れなかったことを素早く説明した。今日は彼女1人らしく、ママはカウンターに連れて来た。
山形の妻は、やはり晴也を見て表情を動かした。悲しさと懐かしさが見て取れた。先週何と言ったか……えっちゃん、だっただろうか。
「ハルさんとお話ししても構いませんか?」
山形夫人はママに確認する。晴也はママと彼女に頷き、何か飲まないか訊いてみた。
「じゃあ水割りを……」
「お飲みになるんですね」
晴也はなるべく明るく言う。ママもカウンターに入って来て、おつまみを用意し始めた。すると続けて店の扉が開いた。
「麗華ちゃん、こんばんは! おおっ、クリスマスらしくていいねぇ」
「わーこないだのキャバクラの子らより絶対美人」
サラリーマン3人が入って来た。忘年会の2次会といったところだろう。麗華がミチルとにこやかに彼らを迎える。
「良かった、もうちょっと遅かったら暇で閉店してたかも」
「そうなの? 給料日前だもんね、今日は2軒目誰も来なかったもんなぁ」
「俺たち嫌われてるだけじゃね?」
わっと店内が賑やかになる。山形夫人は水割りを前にして、明るいお店ですね、と言った。
「はい、いつもこんな感じで、1人で来ても楽しく飲んでいただけるようにしています」
「……だからあの人、気に入ってたのね……」
山形夫人は寂しげに笑う。
「ハルさん、うちの主人が本当に迷惑なことをしました……にもかかわらず被害届を出さないとおっしゃってくださって……申し訳ありませんでした」
彼女に頭を下げられて、晴也はいえ、もういいですから、とあたふたと言った。幸いサラリーマン達は、こちらを気にしていなかった。
「本当に情けないことです、正直に話してくれたのは良かったんですが……家族の問題を突きつけられてしまって」
彼女の言葉に、聞いていいのだろうかと晴也は困惑する。アーモンドとキッスチョコレートを出したママは、晴也に向かって頷いた。
「昔は12月の上旬にボーナスが出たら、年末までずーっと忙しかったんだけどな」
赤いドレスに白いファーのボレロを羽織ったママが呟く。麗華は一番気合い入れた恰好なのに、と赤いジョーゼットのドレスの裾を揺らしながら唇を尖らせた。
「早く閉めてマッスルダンス観に行こうよ」
サンタ帽を斜めにかぶる美智生は、如何にもいい考えだと言わんばかりに言ったが、ママは駄目、とひと言答えた。
「ああでも一人抜けても回りそうだったら、ミチルに上がってもらってもいいかな」
「ハルちゃんは? 彼氏出るんだろ?」
麗華にいきなり振られて、グラスを乾拭きしていた晴也は手を滑らせかけた。今日は真っ白なセーターに緑色のタータンチェックの巻きスカートを合わせてみた。割と渋くクリスマスカラーになって満足しているので、客にも見て欲しいところだ。
「いや、彼氏って誰のことなんすか」
「聞いてるぞ、二軒隣で踊ってるイケメンといい感じなんだって?」
「いい感じなんかじゃないです」
晴也はとりあえず否定する。麗華にこんなことを吹き込むのは、シフト的にも美智生かママしかいない。
ふうん、と呟く麗華の口許は楽しげに緩んでいる。晴也は彼と目を合わせずに、話す。
「……とにかくその話題になってるらしき人は、今日出番を少し減らすって言ってました」
「どうしたんだ?」
先週熱出てるのに無理して捻挫したんだよ、と美智生が横から言った。あらまあ、とママも目を丸くする。
「ハルちゃんは先週末甲斐甲斐しく看病したんだよ、な!」
美智生の言葉に晴也はつい口をへの字にする。
「看病なんかしてません、冷蔵庫が空っぽで餓死しそうだとか言うから買い物して持ってっただけです」
ママがいひひと、姿に似合わない下品な笑いを洩らした。
「ショウさん可愛いな、そんな誘い文句初めて聞いた……タチなんだよな、見かけも好みなんだけど残念だぁ」
晶を食う対象にしているママに引きながら、晴也は言った。
「確かに体調が悪い時の買い物はきついですから」
「そりゃそうだ」
「ミチルさんの想像するような甲斐甲斐しい看病なんかしてたら、風邪をうつされてるところです」
晴也が美智生に向かって言うと、皆が一斉に笑った。そんなに面白いだろうか。
「ほんとだ、ごもっとも」
「何だぁ、ショウは男じゃないな」
「彼は期待してたかもな、なのに買い物袋だけ置いて帰るハルちゃん超いい感じ」
盛り上がる3人を見て、晴也は罪悪感を覚えた。実は風邪をうつされても仕方がないような接触をした。そのことを誰にも話すつもりはない。思い出すと小っ恥ずかしいし、ちょっとどうかしていたと思えなくもないからだ。
体調の良くない晶への同情、明里から聞かされた彼の脚の怪我が事実と分かった動揺――晴也の平常心を揺さぶる要素は多々あった。きっと晶は、そんなふらつく自分を見逃さないで、うまく心の中に滑り込んで来たのだと思う。まったく、油断も隙もない男だ。
あの時胸の深いところに触れられ、危うく晶の傍にいることを選んでしまいそうだった自分を、晴也は必死で否定し続ける。涼やかな目を官能的に細め、夜の空の色をした瞳に熱を宿して迫ってくる、アメノウズメの末裔のような美しい踊り子。アマテラスが岩戸を開いてしまったように、物理的に裸にされる以上に、心を裸にされそうなのが怖い。
女装ホステスたちの笑い声がほぼ消えた時、店の扉にぶら下げられた鐘が鳴った。皆一斉にそちらを見る。
「いらっしゃいませ」
声まで揃った。顔を覗かせたのは、中年女性だった……山形の妻。場に驚きの空気が広がる。山形は来ていないようなので、晴也はほっとした。
「奥様、どうなさったんですか?」
ママが真っ先に彼女のほうに向かった。美智生は麗華に、先週の木曜、彼女が夫とやって来たものの、ママが2人を店内に一歩も入れなかったことを素早く説明した。今日は彼女1人らしく、ママはカウンターに連れて来た。
山形の妻は、やはり晴也を見て表情を動かした。悲しさと懐かしさが見て取れた。先週何と言ったか……えっちゃん、だっただろうか。
「ハルさんとお話ししても構いませんか?」
山形夫人はママに確認する。晴也はママと彼女に頷き、何か飲まないか訊いてみた。
「じゃあ水割りを……」
「お飲みになるんですね」
晴也はなるべく明るく言う。ママもカウンターに入って来て、おつまみを用意し始めた。すると続けて店の扉が開いた。
「麗華ちゃん、こんばんは! おおっ、クリスマスらしくていいねぇ」
「わーこないだのキャバクラの子らより絶対美人」
サラリーマン3人が入って来た。忘年会の2次会といったところだろう。麗華がミチルとにこやかに彼らを迎える。
「良かった、もうちょっと遅かったら暇で閉店してたかも」
「そうなの? 給料日前だもんね、今日は2軒目誰も来なかったもんなぁ」
「俺たち嫌われてるだけじゃね?」
わっと店内が賑やかになる。山形夫人は水割りを前にして、明るいお店ですね、と言った。
「はい、いつもこんな感じで、1人で来ても楽しく飲んでいただけるようにしています」
「……だからあの人、気に入ってたのね……」
山形夫人は寂しげに笑う。
「ハルさん、うちの主人が本当に迷惑なことをしました……にもかかわらず被害届を出さないとおっしゃってくださって……申し訳ありませんでした」
彼女に頭を下げられて、晴也はいえ、もういいですから、とあたふたと言った。幸いサラリーマン達は、こちらを気にしていなかった。
「本当に情けないことです、正直に話してくれたのは良かったんですが……家族の問題を突きつけられてしまって」
彼女の言葉に、聞いていいのだろうかと晴也は困惑する。アーモンドとキッスチョコレートを出したママは、晴也に向かって頷いた。
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