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7 萌芽
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よく考えたら、晶と食事をするのは初めてだった。彼は木のスプーンで雑炊を掬い、2度吹いて冷まして口に入れる。その様子が見ていて飽きない。イケメンは何をしていても絵になると思う。
「あー、人に作って貰ったものって美味しい」
晶の言葉に晴也は共感した。一人で暮らし始めた頃、何を作っても今ひとつ美味しくなくて、何も食べたくなくなった。実家の母や姉のご飯が恋しくなったものである。
買ってきたトマトを冷蔵庫にあった大きなアボカドと一緒にスライスした。雑炊に若干合わなかったが、どちらも何もつけなくても美味しい。晶はトマトを口に運び、甘い、と言って笑う。
「ハルさんはどうして女の恰好をしようと思ったの?」
訊かれて晴也は箸を止める。
「……高2の時に文化祭でメイド喫茶をやったんだ、うちのクラスが」
クラスの生徒たちのヒエラルキーの最上位グループに晴也は属していたが、おまけでしかなかった。しかしそのグループに居場所を固定しておきたくて、晴也は仲間に嫌われないよう心を砕いた。
メイド喫茶のウェイトレスも仲間に押しつけられたのだったが、嫌だと言うと雰囲気が悪くなりそうで、女装を了承した。
「3つ上の姉貴はもう大学生で化粧も始めてたから、姉貴に教えてもらって、ペラペラのダサいメイド服もアレンジして……どうせやるなら綺麗なメイドになりたかった」
晶は興味深げに耳を傾けている。
「そしたら俺のクラスの喫茶店が大繁盛してさ、同じようなことしてる他所のクラスもあったけど、俺は文化祭の3日間で全校ナンバーワンメイドになった」
晶に話す気は無かったが、晴也の女装姿が一目置かれるようになったことを、グループのリーダーにやっかまれたのだった。おまえパシりのくせに俺より目立って、何調子ぶっこいてんだよ。凄まれた晴也はまた目立たないパシりに戻ったが、他のクラスの連中の驚きの視線を浴び、遊びに来ていた他所の学校の女の子たちに、綺麗だと羨ましがられた記憶は曇らなかった。
「俺の唯一の成功体験なんだ」
必要以上に目立ってはいけない。でも誰より完璧に演じたい。晴也はいつも、今でもそんな矛盾を持て余している。
「さぞかし素敵なメイドだったんだろうな、見てみたかった」
舞台の中央でスポットを浴びるような人に、こんな話をするのは恥ずかしかった。
「……高校生だからさ、今よりもたぶん綺麗だったかも」
「ハルさんは今だって女になれば一番綺麗だよ、優さんも来週は女で来てくれるって楽しみにしてる」
「あ、そう……」
晴也は照れ隠しに、すっかり空っぽになった二人分の茶碗と皿を片づけてシンクに置き、洗っておいた苺を冷蔵庫から出す。
「めちゃ美味しそう、ビタミンCだ」
「風邪にいいだろ」
うん、と無邪気に言った晶は、早速へたを摘んで熟れた苺を口に運んだ。迷わず丸ごと口に入れて、唇をすぼめてへたを残す。その様子に妙な色気があり、晴也はつい視線を彼の顔に留めてしまう。彼は口をもぐもぐさせながら、晴也と目が合うと目を細めて笑った。心臓がやたらと大きな音を立てる。
「嫌だなハルさん、何で観察するんだよ」
苺を飲み下した晶が訊いてきたが、晴也は無視して自分も苺を食べた。トマトとは違う、即時に幸せをもたらす糖度を口内に感じる。
「あっま……」
晴也がつい言うと、晶は少し首を傾げた。
「……苺食う顔エロい」
言うなり大きな苺を器から摘み上げて、何を言われたかすぐに理解できなかった晴也に差し出した。
「食べて」
晴也は赤面を禁じ得ない。楽しげな晶を横目で見てから苺に指を伸ばした。
「じゃなくって、俺の手から食って」
「……どういうプレイなんだよ」
晴也は拒否したが、晶は諦める様子が無かった。まあこいつ病人だし、大目に見よう。仕方なしに晶の持つ苺をゆっくり齧った。どんな食べ方であれ、値の張った苺は美味で、果汁が口の中で弾けると頬が緩む。
晶の視線は明らかに性的な興味を孕んでいた。晴也はそれに気づいて顔を引き締めたが、彼は手許に残った果肉を、ほとんど恍惚の表情で口に入れた。……おまえのほうが余程エロいんだよ! 晴也は思わず目を逸らす。
苺を二人で平らげると、晶は薬を飲んだ。何をされるかわからないので、晴也は晶を隣の部屋のベッドに追い立てた。右足を引きずる様子は無い。もう痛みは引いたのだろうか。
晴也が尋ねる前に、晶は右足をベッドの上に上げて、レッグウォーマーを外した。踊り手らしいしっかりした足首は、見た目には異常は無いようである。
「ちょっと捻った、俺が振りをひとつ飛ばしてサトルとぶつかりかけたんだ」
「……湿布、冷たいのとあったかいのと買ってきたんだけど」
晴也は紙袋からドラッグストアの袋を出す。晶は驚いたように、ありがとう、と言った。
「もう痛くはないけど、じゃあ冷たいほうを……」
晴也は箪笥の上の救急箱を下ろしてやり、晶が手慣れた様子で、湿布の上から包帯を足首に固く巻くのを見ていた。
「美智生さんや優さんに出来れば言わないで欲しいんだけど」
晶は言いながら、次は左足をベッドの上に置いた。ズボンを膝の上までめくり上げる。無駄な肉など一つもついていない、鍛え上げられた脚だった。
「寒いせいもあって古傷が痛むんだよな」
救急箱から肌色の太いテープを出して、晶は左手で膝に触れた。そこには傷跡がある。メスを入れているのだと、晴也にも察せられた。
「あー、人に作って貰ったものって美味しい」
晶の言葉に晴也は共感した。一人で暮らし始めた頃、何を作っても今ひとつ美味しくなくて、何も食べたくなくなった。実家の母や姉のご飯が恋しくなったものである。
買ってきたトマトを冷蔵庫にあった大きなアボカドと一緒にスライスした。雑炊に若干合わなかったが、どちらも何もつけなくても美味しい。晶はトマトを口に運び、甘い、と言って笑う。
「ハルさんはどうして女の恰好をしようと思ったの?」
訊かれて晴也は箸を止める。
「……高2の時に文化祭でメイド喫茶をやったんだ、うちのクラスが」
クラスの生徒たちのヒエラルキーの最上位グループに晴也は属していたが、おまけでしかなかった。しかしそのグループに居場所を固定しておきたくて、晴也は仲間に嫌われないよう心を砕いた。
メイド喫茶のウェイトレスも仲間に押しつけられたのだったが、嫌だと言うと雰囲気が悪くなりそうで、女装を了承した。
「3つ上の姉貴はもう大学生で化粧も始めてたから、姉貴に教えてもらって、ペラペラのダサいメイド服もアレンジして……どうせやるなら綺麗なメイドになりたかった」
晶は興味深げに耳を傾けている。
「そしたら俺のクラスの喫茶店が大繁盛してさ、同じようなことしてる他所のクラスもあったけど、俺は文化祭の3日間で全校ナンバーワンメイドになった」
晶に話す気は無かったが、晴也の女装姿が一目置かれるようになったことを、グループのリーダーにやっかまれたのだった。おまえパシりのくせに俺より目立って、何調子ぶっこいてんだよ。凄まれた晴也はまた目立たないパシりに戻ったが、他のクラスの連中の驚きの視線を浴び、遊びに来ていた他所の学校の女の子たちに、綺麗だと羨ましがられた記憶は曇らなかった。
「俺の唯一の成功体験なんだ」
必要以上に目立ってはいけない。でも誰より完璧に演じたい。晴也はいつも、今でもそんな矛盾を持て余している。
「さぞかし素敵なメイドだったんだろうな、見てみたかった」
舞台の中央でスポットを浴びるような人に、こんな話をするのは恥ずかしかった。
「……高校生だからさ、今よりもたぶん綺麗だったかも」
「ハルさんは今だって女になれば一番綺麗だよ、優さんも来週は女で来てくれるって楽しみにしてる」
「あ、そう……」
晴也は照れ隠しに、すっかり空っぽになった二人分の茶碗と皿を片づけてシンクに置き、洗っておいた苺を冷蔵庫から出す。
「めちゃ美味しそう、ビタミンCだ」
「風邪にいいだろ」
うん、と無邪気に言った晶は、早速へたを摘んで熟れた苺を口に運んだ。迷わず丸ごと口に入れて、唇をすぼめてへたを残す。その様子に妙な色気があり、晴也はつい視線を彼の顔に留めてしまう。彼は口をもぐもぐさせながら、晴也と目が合うと目を細めて笑った。心臓がやたらと大きな音を立てる。
「嫌だなハルさん、何で観察するんだよ」
苺を飲み下した晶が訊いてきたが、晴也は無視して自分も苺を食べた。トマトとは違う、即時に幸せをもたらす糖度を口内に感じる。
「あっま……」
晴也がつい言うと、晶は少し首を傾げた。
「……苺食う顔エロい」
言うなり大きな苺を器から摘み上げて、何を言われたかすぐに理解できなかった晴也に差し出した。
「食べて」
晴也は赤面を禁じ得ない。楽しげな晶を横目で見てから苺に指を伸ばした。
「じゃなくって、俺の手から食って」
「……どういうプレイなんだよ」
晴也は拒否したが、晶は諦める様子が無かった。まあこいつ病人だし、大目に見よう。仕方なしに晶の持つ苺をゆっくり齧った。どんな食べ方であれ、値の張った苺は美味で、果汁が口の中で弾けると頬が緩む。
晶の視線は明らかに性的な興味を孕んでいた。晴也はそれに気づいて顔を引き締めたが、彼は手許に残った果肉を、ほとんど恍惚の表情で口に入れた。……おまえのほうが余程エロいんだよ! 晴也は思わず目を逸らす。
苺を二人で平らげると、晶は薬を飲んだ。何をされるかわからないので、晴也は晶を隣の部屋のベッドに追い立てた。右足を引きずる様子は無い。もう痛みは引いたのだろうか。
晴也が尋ねる前に、晶は右足をベッドの上に上げて、レッグウォーマーを外した。踊り手らしいしっかりした足首は、見た目には異常は無いようである。
「ちょっと捻った、俺が振りをひとつ飛ばしてサトルとぶつかりかけたんだ」
「……湿布、冷たいのとあったかいのと買ってきたんだけど」
晴也は紙袋からドラッグストアの袋を出す。晶は驚いたように、ありがとう、と言った。
「もう痛くはないけど、じゃあ冷たいほうを……」
晴也は箪笥の上の救急箱を下ろしてやり、晶が手慣れた様子で、湿布の上から包帯を足首に固く巻くのを見ていた。
「美智生さんや優さんに出来れば言わないで欲しいんだけど」
晶は言いながら、次は左足をベッドの上に置いた。ズボンを膝の上までめくり上げる。無駄な肉など一つもついていない、鍛え上げられた脚だった。
「寒いせいもあって古傷が痛むんだよな」
救急箱から肌色の太いテープを出して、晶は左手で膝に触れた。そこには傷跡がある。メスを入れているのだと、晴也にも察せられた。
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