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6 逡巡
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晴也の予定していた通りに、ことは進まなかった。晴也は何故か、楽しげな笑顔を向けてくる銀縁メガネのくそダンサーと向かい合わせて、自分の部屋でコーヒーを飲んでいる。白いタートルニットにスラックス姿で、長い脚を小さい椅子で持て余している男は、どう見ても晴也の侘しいダイニングには不似合いだった。
めぎつねがスムーズに閉店して、晴也は美智生とナツミと一緒に新宿駅まで歩いて、そこで2人と別れた。自宅の方向がバラバラだからだ。
晶はめぎつねの閉店時間に、お疲れさまというメッセージをくれていて、晴也は着替えてから、皆と一緒に帰ると伝えておいた。
昨夜はそれどころではなかったため、帰ったらすぐに寝たが、ふと晴也は今まで感じたことの無い、薄ら寒い気分に囚われていた。もし家の前に、山形が居たらどうしよう。……杞憂に違いなかった。彼に独りで暮らしているとは話したが、どの辺りに住んでいるかの情報は、一切与えていない筈だから。
にもかかわらず、山手線に揺られながら、嫌な想像が止まらなかった。山形でなくても、誰かが尾行て来ていないとは限らない。今まで幸運にもそんな目に遭わなかったというだけで、無差別に人を襲う者に目をつけられたら? 晴也のマンションは駅から遠くはないし、暗くて危険な道も無い。だが昨夜だって、まさかあんな場所に山形が潜んでいるなんて、想像もつかなかったではないか。
晴也は電車を降りて、改札にICカードをかざして出て行く人の流れに紛れる。日付けが変わる15分前で、人は決して多くはなかった。
改札を出たところで、こんな時間に、塾から戻る子どもを迎えに来ている親らしき人たちが数人立っていた。その中に晴也は、よく知る姿を発見して、叫びそうになった。
「ハルさん、お帰りなさい」
その人物はロングコートの裾を優雅に翻しながら、晴也の傍までやって来て、当然のように言った。晴也は驚愕のあまり、吃ってしまう。
「しっ、ショウさん、な……何やってんだよ、こここんなとこでっ!」
「ハルさんが独りで怖がってたらいけないと思って」
晶は無邪気とも言える笑顔になる。晴也は頬を熱くしながら、大声にならないように言った。
「こんなとこで待ってるあんたが怖いって! ストーカーかよ!」
晶は悪びれもせずに、まあそうとも言えるかな、と応じた。
「とにかくハルさんを家まで無事に送り届けるのが俺の神聖なミッションだから」
「神聖とか言うな、下心があるくせにっ」
晴也は噛みつきながら、こんな会話をしたい訳じゃないのにと思う。周りには誰もいなくなり、一人改札口に立つ駅員が、こちらを探るような視線を送って来ていた。
「……帰るからっ」
「帰ろう帰ろう」
晴也は早足で階段を降り、晶は鼻歌混じりについて来る。彼は肩から今日も大きな鞄を下げていた。練習の帰りなのだろうか。
昨夜、お互いの自宅が割に近いということが発覚した。晶の家から晴也の家まで、車であっという間だった。だからと言って……心配してくれるのは有り難いが、駅で待ち伏せはないだろう。
「ハルさんが初めて20字以上のメッセージをくれたから、居ても立っても居られなくなって」
晶は嬉しそうに言う。晴也はつい溜め息をついてしまった。どうしてあの時、そんな気になったんだっけ?
早足で歩いたので、マンションにはすぐに着いた。晶を振り返ったが、彼をどう扱えばいいのかさっぱりわからない。
「……ショウさんどうするつもり?」
「え? 無事送り届けたから帰るよ」
沈黙が流れた。本当に駅からここまで送るためだけに来たのか? 晶は笑った。
「泊めてくれるの?」
「はぁっ⁉ んなことあり得ない」
晶は口を開こうとして、代わりにひとつ小さなくしゃみをした。晴也は困惑した。茶くらい飲ませてやるのが人情ではないのか、こんな寒い中、待っていてくれたのに。
「……ちょっと上がって、後でタクシー呼ぶから」
晴也は彼と目を合わさずに言った。晶はありがとう、と応じて、晴也についてマンションのほぼお飾りのオートロックを突破した。
めぎつねがスムーズに閉店して、晴也は美智生とナツミと一緒に新宿駅まで歩いて、そこで2人と別れた。自宅の方向がバラバラだからだ。
晶はめぎつねの閉店時間に、お疲れさまというメッセージをくれていて、晴也は着替えてから、皆と一緒に帰ると伝えておいた。
昨夜はそれどころではなかったため、帰ったらすぐに寝たが、ふと晴也は今まで感じたことの無い、薄ら寒い気分に囚われていた。もし家の前に、山形が居たらどうしよう。……杞憂に違いなかった。彼に独りで暮らしているとは話したが、どの辺りに住んでいるかの情報は、一切与えていない筈だから。
にもかかわらず、山手線に揺られながら、嫌な想像が止まらなかった。山形でなくても、誰かが尾行て来ていないとは限らない。今まで幸運にもそんな目に遭わなかったというだけで、無差別に人を襲う者に目をつけられたら? 晴也のマンションは駅から遠くはないし、暗くて危険な道も無い。だが昨夜だって、まさかあんな場所に山形が潜んでいるなんて、想像もつかなかったではないか。
晴也は電車を降りて、改札にICカードをかざして出て行く人の流れに紛れる。日付けが変わる15分前で、人は決して多くはなかった。
改札を出たところで、こんな時間に、塾から戻る子どもを迎えに来ている親らしき人たちが数人立っていた。その中に晴也は、よく知る姿を発見して、叫びそうになった。
「ハルさん、お帰りなさい」
その人物はロングコートの裾を優雅に翻しながら、晴也の傍までやって来て、当然のように言った。晴也は驚愕のあまり、吃ってしまう。
「しっ、ショウさん、な……何やってんだよ、こここんなとこでっ!」
「ハルさんが独りで怖がってたらいけないと思って」
晶は無邪気とも言える笑顔になる。晴也は頬を熱くしながら、大声にならないように言った。
「こんなとこで待ってるあんたが怖いって! ストーカーかよ!」
晶は悪びれもせずに、まあそうとも言えるかな、と応じた。
「とにかくハルさんを家まで無事に送り届けるのが俺の神聖なミッションだから」
「神聖とか言うな、下心があるくせにっ」
晴也は噛みつきながら、こんな会話をしたい訳じゃないのにと思う。周りには誰もいなくなり、一人改札口に立つ駅員が、こちらを探るような視線を送って来ていた。
「……帰るからっ」
「帰ろう帰ろう」
晴也は早足で階段を降り、晶は鼻歌混じりについて来る。彼は肩から今日も大きな鞄を下げていた。練習の帰りなのだろうか。
昨夜、お互いの自宅が割に近いということが発覚した。晶の家から晴也の家まで、車であっという間だった。だからと言って……心配してくれるのは有り難いが、駅で待ち伏せはないだろう。
「ハルさんが初めて20字以上のメッセージをくれたから、居ても立っても居られなくなって」
晶は嬉しそうに言う。晴也はつい溜め息をついてしまった。どうしてあの時、そんな気になったんだっけ?
早足で歩いたので、マンションにはすぐに着いた。晶を振り返ったが、彼をどう扱えばいいのかさっぱりわからない。
「……ショウさんどうするつもり?」
「え? 無事送り届けたから帰るよ」
沈黙が流れた。本当に駅からここまで送るためだけに来たのか? 晶は笑った。
「泊めてくれるの?」
「はぁっ⁉ んなことあり得ない」
晶は口を開こうとして、代わりにひとつ小さなくしゃみをした。晴也は困惑した。茶くらい飲ませてやるのが人情ではないのか、こんな寒い中、待っていてくれたのに。
「……ちょっと上がって、後でタクシー呼ぶから」
晴也は彼と目を合わさずに言った。晶はありがとう、と応じて、晴也についてマンションのほぼお飾りのオートロックを突破した。
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