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5 急転
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「……ハルちゃんだね」
言われてそちらを見た晴也は、山形の姿を見出して仰天する。
「山形さん⁉ どっ、どうしたんですか!」
彼は10時にはめぎつねを去った。そのあと別の場所で飲んでいたのだろう、呂律が怪しかった。
「やっぱりハルちゃんだ、店が終わるのを待ってたんだよ、話がしたくて」
晴也は姿を見破られたことも含めて嫌な気持ちになった。早くこの場から離れたい。
「だめですよ、もう日付けが変わります、帰らないと……駅でタクシー捕まえましょう」
「ハルちゃん家で飲み直そうよ」
晴也は眉間に皺を寄せた。まずいと本能的に思う。早くこいつをタクシーに押し込めないと……歩くよう促すべく山形の腕を引っ張ったが、逆に引き止められてしまう。
「だからだめですって、山形さんも俺も明日仕事があるんですよ? ご家族も心配なさるから」
「仕事も家族もどうでもいい、ハルちゃんと一緒にいたいんだよ」
晴也はようやく身の危険を感じ始めた。誰も通らないこんな脇道で、自分より身体の大きな酔った男が絡んで来ている。外気の冷たさのせいではない寒気がして、心臓がますますうるさくなってきた。しかし山形を置いて逃げるのも躊躇われる。酔った彼が万が一ここで寝てしまうようなことになれば、この気温だと危ない。
その時、上半身を強引に拘束され、晴也は思考を断ち切られた。山形が抱きついて来たと理解するのに3秒かかった。
「ちょ……っ、何っ」
驚いて反射的にもがいたが、想像以上に力が強い。逃げられないと悟り、一気に顔から血の気が引いた。山形が腹立たしげに吐き出す声が、やけに近くてぞっとする。
「どうしてハルちゃんと話をさせてくれないんだよ! めぎつねの皆まで俺の楽しみを奪って」
背中に回された手がざわりと動き、晴也は身を縮ませた。冷たいものが背筋を這い上がり、頭の中に痛いほどの危険信号を送ってくる。
「やっ山形さんっ……だっ、誰もそんなつもりは……」
晴也は貼りついた喉から掠れた声を絞り出すが、恐怖のあまりそれ以上話せなくなった。自分のものでない体温に悪寒が走った。頬に酒臭い息がかかり、全身が粟立つ。目を上げると山形の顔がすぐ傍にあり、晴也は息を止める。
「ハルちゃん、俺と一緒に誰も知らないところに行こう」
晴也は鼻の脇が痙攣したのを自覚した。恐怖で頭の中が痺れる。何をされるのだろう、もうだめかもしれない……奥歯ががちがち言い始め、気が遠くなりかける。
その時、走ってこちらに近づく足音が微かに晴也の聴覚を叩いた。お願い、気づいて、助けて。泣きそうな思いが脳内に満ちた次の瞬間、渾身の力で叫んだ。
「離せ馬鹿野郎っ、おまえなんか願い下げなんだよおおおぉっ‼」
「ハルさんっ!」
広い通りのほうから、よく知った声がした。晴也はひゅっと息を吸い、山形がびくりとなって声のしたほうを振り返る。
「てめぇ俺のハルさんに何してやがる! 離れねぇとぶっ殺すぞ!」
軽い足音に似合わない汚い言葉を吐きながら通りに駆け込んで来たのは、晶だった。彼は走って来た勢いで山形を晴也から引き剥がし、あっという間に足元に転がしてしまう。そして山形に馬乗りになり、その襟元を締め上げた。晴也がしゃがみこんでしまいそうなところを踏ん張ると、晶の地を這うような声がした。
「おまえ何処の誰だ、何でハルさんを襲った? 返事によっては今すぐ殺す」
山形の気味の悪い拘束から逃れてほっとしたのも束の間、晶の剣幕に晴也は身を縮ませた。暗くてその顔がよく見えなかったが、生まれて初めて殺気というものを発する人間に遭遇したと思う。山形も黙っておらず、自分を押さえつけている晶の腕を両手で掴み、捻じ上げようとする。晴也はこの状況の全てにはらはらして、息が苦しくなった。
「おまえこそ何なんだっ、ハルちゃんは」
「汚ねえ口でハルさんの名を呼ぶな!」
晶は山形の襟元を引っ張り上げ、彼の頭を道路に打ちつけようとした。彼らしくない暴力的な振る舞いに晴也は驚き、叫びながら晶の肩に縋りつく。
「わああっ、やめてっ、もういいからショウさんっ!」
「何言ってんだハルさん、こいつに襲われたんだろ⁉ 力尽くで人をどうこうするような奴は」
「俺がいいって言ってんだからやめてくれ、めぎつねのお客さんなんだ、たぶんいろいろあって酔っ払って……」
薄暗がりの中でも、こちらを見据える晶の目が怒りに吊り上がっているのがわかった。恐ろしかったが、晴也は必死で訴える。
「だからやめろ、それにショウさんはダンサーなんだからこんなことして怪我なんかしちゃいけないだろ⁉」
晶は山形の襟元から手を離した。山形もぜいぜいと荒い息を吐き、だらりと腕を地面に落とす。
「……交番には連れてくぞ」
低い声で凄む晶に、晴也はこれ以上何も言えなくなる。晴也が離れると、晶は寝そべった山形の上半身を、無理矢理起こした。山形は抵抗する気力も無い様子で、二の腕を掴まれたまま腰を上げ、半ば足を引きずりながら歩き始めた。晴也は散らばっていた自分と晶の鞄を回収して、ぎくしゃくする脚を励ましながらついて行く。
言われてそちらを見た晴也は、山形の姿を見出して仰天する。
「山形さん⁉ どっ、どうしたんですか!」
彼は10時にはめぎつねを去った。そのあと別の場所で飲んでいたのだろう、呂律が怪しかった。
「やっぱりハルちゃんだ、店が終わるのを待ってたんだよ、話がしたくて」
晴也は姿を見破られたことも含めて嫌な気持ちになった。早くこの場から離れたい。
「だめですよ、もう日付けが変わります、帰らないと……駅でタクシー捕まえましょう」
「ハルちゃん家で飲み直そうよ」
晴也は眉間に皺を寄せた。まずいと本能的に思う。早くこいつをタクシーに押し込めないと……歩くよう促すべく山形の腕を引っ張ったが、逆に引き止められてしまう。
「だからだめですって、山形さんも俺も明日仕事があるんですよ? ご家族も心配なさるから」
「仕事も家族もどうでもいい、ハルちゃんと一緒にいたいんだよ」
晴也はようやく身の危険を感じ始めた。誰も通らないこんな脇道で、自分より身体の大きな酔った男が絡んで来ている。外気の冷たさのせいではない寒気がして、心臓がますますうるさくなってきた。しかし山形を置いて逃げるのも躊躇われる。酔った彼が万が一ここで寝てしまうようなことになれば、この気温だと危ない。
その時、上半身を強引に拘束され、晴也は思考を断ち切られた。山形が抱きついて来たと理解するのに3秒かかった。
「ちょ……っ、何っ」
驚いて反射的にもがいたが、想像以上に力が強い。逃げられないと悟り、一気に顔から血の気が引いた。山形が腹立たしげに吐き出す声が、やけに近くてぞっとする。
「どうしてハルちゃんと話をさせてくれないんだよ! めぎつねの皆まで俺の楽しみを奪って」
背中に回された手がざわりと動き、晴也は身を縮ませた。冷たいものが背筋を這い上がり、頭の中に痛いほどの危険信号を送ってくる。
「やっ山形さんっ……だっ、誰もそんなつもりは……」
晴也は貼りついた喉から掠れた声を絞り出すが、恐怖のあまりそれ以上話せなくなった。自分のものでない体温に悪寒が走った。頬に酒臭い息がかかり、全身が粟立つ。目を上げると山形の顔がすぐ傍にあり、晴也は息を止める。
「ハルちゃん、俺と一緒に誰も知らないところに行こう」
晴也は鼻の脇が痙攣したのを自覚した。恐怖で頭の中が痺れる。何をされるのだろう、もうだめかもしれない……奥歯ががちがち言い始め、気が遠くなりかける。
その時、走ってこちらに近づく足音が微かに晴也の聴覚を叩いた。お願い、気づいて、助けて。泣きそうな思いが脳内に満ちた次の瞬間、渾身の力で叫んだ。
「離せ馬鹿野郎っ、おまえなんか願い下げなんだよおおおぉっ‼」
「ハルさんっ!」
広い通りのほうから、よく知った声がした。晴也はひゅっと息を吸い、山形がびくりとなって声のしたほうを振り返る。
「てめぇ俺のハルさんに何してやがる! 離れねぇとぶっ殺すぞ!」
軽い足音に似合わない汚い言葉を吐きながら通りに駆け込んで来たのは、晶だった。彼は走って来た勢いで山形を晴也から引き剥がし、あっという間に足元に転がしてしまう。そして山形に馬乗りになり、その襟元を締め上げた。晴也がしゃがみこんでしまいそうなところを踏ん張ると、晶の地を這うような声がした。
「おまえ何処の誰だ、何でハルさんを襲った? 返事によっては今すぐ殺す」
山形の気味の悪い拘束から逃れてほっとしたのも束の間、晶の剣幕に晴也は身を縮ませた。暗くてその顔がよく見えなかったが、生まれて初めて殺気というものを発する人間に遭遇したと思う。山形も黙っておらず、自分を押さえつけている晶の腕を両手で掴み、捻じ上げようとする。晴也はこの状況の全てにはらはらして、息が苦しくなった。
「おまえこそ何なんだっ、ハルちゃんは」
「汚ねえ口でハルさんの名を呼ぶな!」
晶は山形の襟元を引っ張り上げ、彼の頭を道路に打ちつけようとした。彼らしくない暴力的な振る舞いに晴也は驚き、叫びながら晶の肩に縋りつく。
「わああっ、やめてっ、もういいからショウさんっ!」
「何言ってんだハルさん、こいつに襲われたんだろ⁉ 力尽くで人をどうこうするような奴は」
「俺がいいって言ってんだからやめてくれ、めぎつねのお客さんなんだ、たぶんいろいろあって酔っ払って……」
薄暗がりの中でも、こちらを見据える晶の目が怒りに吊り上がっているのがわかった。恐ろしかったが、晴也は必死で訴える。
「だからやめろ、それにショウさんはダンサーなんだからこんなことして怪我なんかしちゃいけないだろ⁉」
晶は山形の襟元から手を離した。山形もぜいぜいと荒い息を吐き、だらりと腕を地面に落とす。
「……交番には連れてくぞ」
低い声で凄む晶に、晴也はこれ以上何も言えなくなる。晴也が離れると、晶は寝そべった山形の上半身を、無理矢理起こした。山形は抵抗する気力も無い様子で、二の腕を掴まれたまま腰を上げ、半ば足を引きずりながら歩き始めた。晴也は散らばっていた自分と晶の鞄を回収して、ぎくしゃくする脚を励ましながらついて行く。
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