夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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「あっ、やまりんだ」

 ドアの開く合図である鐘の音が響き、麗華の小さな呟きが晴也の耳に入った。彼は青いマスカラを施したつけまつげをゆっくりまたたかせ、晴也に顔を寄せる。

「気をつけろ、あのおやじ絶対ハルちゃんに下心あるから……ママも同意見だ」
「え、下心?」

 やまりんこと山形を、ママが迎えていた。60に手が届くかどうかという年齢の、精力的な印象の男性は、晴也の知る限り、毎月末にめぎつねを訪れる。給料日明けなのだろう。
 麗華は続ける。

「ハルちゃんも勤め始めて半年過ぎたし、贔屓にしてくれる客が出始めてるのは喜ばしい、ただあいつはヤバい」

 確かに山形は、店に来ると晴也を横にはべらせたがる。晴也の誕生月である10月末には、高価そうなネックレスを持ってきたので、プレゼントを店では受け取らないというめぎつねのルールに従い、丁重にお断りした。

「下心って……山形さんゲイなんですか?」

 晴也の問いに、麗華はグロスでなまめかしく光る唇をほころばせる。

「ノンケでもさ、勘違いする人って結構いるんだぜ? 何せ俺たち美しいだろ?」
「俺はともかく皆さんはそうですね」
「ハルちゃんもだよ、美しさは罪だね……」

 麗華は目を細め、本気なのか冗談なのか判別し難い口調で言う。晴也は小さく笑った。
 山形はカウンターの中でロックアイスを準備する晴也に向かって、ハルちゃん、と言いながら手を振ってきた。晴也はこんばんは、とにこやかに返す。酔うと手を握って来るのにはやや辟易するが、ちゃんとした会社の管理職のようだし、麗華の言うほど彼がヤバい客だとは、晴也には思えなかった。ただベテランスタッフの言葉は留意しておくほうが安心だ。
 ホステスたちに警戒されているなどと夢にも思わぬ山形は、晴也に席から頼んでくる。

「水割りお願い」
「はい、すぐ持って行きます」

 麗華は俺が行こう、と小さく言う。

「いえ、一度行っておけば後は忙しいふりでごまかせますから」

 晴也も小さく返す。はなから避けるような態度で、山形の気持ちを逆撫でしないほうが良い気がした。

「ハルちゃんはだんだん綺麗になるね……似合いそうなイヤリングを見つけたんだけど、クリスマスプレゼントも受け取って貰えないのかなぁ?」

 コースターの上にグラスを置くなり、山形は上機嫌で言う。珍しい、既に飲んでいるのか。なら話は別だ……晴也は彼と距離を詰めないように警戒する。

「お気持ちだけで十分です、プレゼントはご家族に用意して差し上げてください」
「家族なんて俺がいないほうがいいって思ってるんだ、だから俺も自分が使いたいところに金を使うことにするぞ」

 山形は不機嫌な顔になり、愚痴っぽく言った。

「なら尚更俺なんかに金を使っちゃだめですよ、前もお話ししたけど俺少し金属アレルギーがあるから……」

 それは事実だった。めぎつねで勤め始めた頃、謎のかぶれが首に出て、皮膚科の世話になった。以来ネックレスやイヤリングは、安物を使わず、金具部分がチタンのものを選んでいる。アクセサリーはレンタル出来ないので、自腹を切らなくてはいけないのが結構痛い。そんな訳で、晴也はあまりアクセサリーを身につけないのだった。

「ふうん……どうしたらハルちゃんに喜んでもらえるのかなぁ?」

 山形の視線がまとわりつく。まあこの仕事をしていれば、これくらいは日常茶飯事である。

「山形さんが毎月こうして元気に顔を出してくださるだけで十分ですよ、山形さん俺の父親とたぶん年齢変わらないんじゃないかと思うんですけど、父は最近脂肪肝の診断受けちゃって」

 晴也はさりげなく、随分歳上のおまえに色気を出されても仕方がないぞアピールをする。

「ハルちゃん千葉って言ってたよね」
「はい」
「学生時代から一人で暮らしてるの?」
「いえ、大学には2時間かけて通ってました」

 山形は掌をぴたっと晴也の手の甲に置いた。生温かい感触に不快感を押し込める。

「親御さんもハルちゃんみたいな可愛い子に、危険な都会で一人暮らしはさせたくなかったんだろうね」

 都会にはおまえみたいなのがいるからな。晴也は胸の内で呟く。

「俺ほんと何も出来なかったから、一人で暮らしたら餓死すると思われたんですよ」
「今は? 自炊するんだろ?」
「はい、何とかやってます」

 ミチルがママから指令を受けたのか、こちらに来て、カウンターを手伝うように晴也に言った。さりげなく、しかし素早く山形の手から自分の手を抜く。
 カウンターにいたママは、晴也に微笑を向けた。

「ご苦労さま、もう今日はこれ以上やまりんの相手はしなくていいから」
「……ありがとうございます」

 晴也は別のテーブルに氷と水を運ぶ。山形の視線を感じたが、そちらを見ないようにする。自分に会うということも、彼がこの店に来る理由に含まれるだろうから、ちょっと可哀想だった。しかし彼が自分にどのような感情を向けているのかは、やはり理解し難かった。



 店がそんなに混んでいなかったので、実家から親が来ているという麗華が1時間早く上がったのだが、その後にどっと客が来てしまった。ママとミチルとてんてこ舞いし、閉店作業も遅くなった。タイムカードを押したのは、いつもより40分遅い時間だった。

「ハルちゃんお先、終電乗りたい」
「あっ、お疲れさまでした」
「ショウと遊んでやれよ」

 ミチルは素早く美智生に戻り、余計なひと言を残してバタバタと帰った。めぎつねのスタッフの中では、晴也が一番家が近いので、バックヤードを軽く片づけ、ママが戸締まりをすれば良いだけの状態にしておく。ママも英一朗に戻って、黒縁メガネのサラリーマンになった晴也に訊いた。

「遅くなっちゃったからタクシー使う?」
「あ、大丈夫ですよ、俺んち駅から近いんで」
「気をつけて、ここから駅までが一番危ないからな」

 晴也ははい、と応じて店を出た。エレベーターで1階に降り、雑居ビルを出る。
 まだクリスマスや忘年会シーズンを本格的に迎えていないため、通りは意外と静かだった。そのせいか風の冷たさが身に染みたので、晴也はマフラーを巻き直し、駅に向かって足を早める。
 スマートフォンを鞄から出し、特に着信などが無いことを確かめる。晶も今頃、ルーチェの舞台を終えて一杯飲んでいるだろうかとふと思う。
 近道をしようと細くて暗い通りを曲がった時、右腕を不意に闇から掴まれた。ひゃっと勝手に声が出て、心臓がどっくんと音を立てた。
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