夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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 晴也がコーヒーの入ったカップを盆に載せて部屋に戻ると、早川と晶はすっかり盛り上がっていた。早川が楽しげに言う。

「福原、吉岡さんたちと忘年会をしようって話になってるんだ」

 勝手なことを。担当である課長に話も通さずに。早川のこういうところは、実は特定の上司の眉をひそめさせている。おめでたいことに、本人はそれに気づいていない。

「課長がいないところで決めていいんですか? 吉岡さん、うちは飲みニケーションを推進してる訳じゃないですから無理なさらないでください」

 晴也の毒味の強い言葉に、晶は目を見開き、笑いを噛み殺す顔になった。

「いえ、無理ではないですよ……社長も私も飲んで話すのは好きです、そちらがご迷惑でなければ是非……ちょうど忘年会シーズンでもありますから」

 晶はにこやかにフォローしたが、他社の人間の前で想定外に恥をかかされる形になった早川は、あ然としている。晴也は黙って晶の前にコーヒーカップを置き、早川の横に腰を下ろす。彼は律儀にいただきます、と手を合わせ、ブラックで口をつけた。

「あ、美味しい……そうそう、ちょっとお土産があります」

 晶は脇に置いていた紙袋を、早川にではなく晴也に渡した。中を覗くと、外国のお菓子がいろいろ詰め込まれている。

「うちで取り扱っているものです、日本で初お目見えの商品もございます……ご縁を結んでくださりそうな店舗様に提案させていただく予定のものなので、皆様で味見なさってください」

 晴也は色とりどりのパッケージの菓子箱を見て、何となく楽しい気分になる。

「ありがとうございます、できるだけ沢山の者に渡るようにします」
「忌憚ないご意見も頂戴できると嬉しいです……ああ、福原さんにはお茶の味見もしていただきたく」

 晶にうながされ、晴也は紙袋の中から紅茶とジャスミン茶らしき箱を出した。

「インドと中国で生産地の人に人気のお茶です……イギリスで販売が始まったばかりで日本にはまだ入っていません」

 晴也はついへぇ、とパッケージの読めない文字をまじまじと見つめる。食品の輸入と流通経路の確保は、手間のかかる難しい仕事だ。小さな会社なのに、頑張っているのだなと思う。

「お店の感触はどうですか? 崎岡は思ったより置いてくれそうだと申していましたが」

 晴也は晶に尋ねる。仕事の話なら、しやすかった。彼はにこやかに応じる。

「はい、お陰さまで年内に確約出来そうな個人商店がいくつかあります」

 良かったです、と晴也は少し笑う。晶の口許が、今までと違ってあでやかにほころんだので、晴也は思わず笑いを引っ込めた。

「リストには正直、背伸びのチェーン店も入れています……崎岡は頑張ってみたいと話していました、バイヤーと打ち合わせをするようなことになれば、吉岡さんも同席ください」

 業務口調を心がけて話すと、晶はもちろんです、と言った。

「こんな店に本当に置いてもらえるのかって社内で盛り上がってますよ、現地のメーカーにも良い報告がしたいですね」
「デパートの催事のアジアンフェアなどにアピールするのも良さそうです」

 出る幕が無い早川が、何となく不満気な空気を醸し出していたが、晴也は無視した。課長の許可なく、早川に話を進めさせる訳にはいかない。早川に意地悪をしているようで、晴也としても居心地は悪いのだが。
 晶はコーヒーを飲み干してから、暇乞いした。課長がいないので、晴也が彼を下まで見送らなければならなかった。

「ありがとうハルさん、年内に」
「ここではハルさんって呼ぶな」

 晴也は小さく、しかしぴしゃりと言う。低い笑い声がした。

「失礼、福原さん……また社長と来るから崎岡さんにくれぐれもよろしくお伝えください」
「アポ無しはリスキーだからやめてください」

 晴也はエレベーターのボタンを押してから、右に並ぶ晶を軽く睨んで見上げる。彼はにやりと笑っただけで答えなかった。
 エレベーターに先に晶を乗せ、晴也も乗り込みドアが閉まると、いきなり身体ごと後ろに引っ張られた。えっ! と小さく叫ぶと、上半身をがっちりと拘束される。肩に巻きついているのが晶の腕と分かり、晴也はぎゃっと再度叫んだ。 右耳から、楽しげな低い声が流れ込んできた。

「つっかまえたぁ」

 背筋がぞくぞくした。その感覚は、経験済みだった。その時触れていたのは、晶の唇だけだったが、今日は背中に硬い胸がべったりである。

「ちょっ、……何すんだよ!」

 自分の置かれた状況を悟り、晴也は一瞬で耳まで赤くなった。半ばパニックになりエレベーターの開ボタンに手を伸ばすが、晶の右腕に阻まれる。

「やめろマジで! おまえこれ犯罪だってわかってんのか!」
「だって俺この数日ハルさん不足だし」

 んなこと知るかよ、とにかく耳のそばで話すな! 晴也は心臓をばくばくさせながら必死で上半身でもがいたが、晶の腕はびくともしない。しかも今自分を後ろから抱いている男が筋肉質であることを、無駄に意識させられる。彼が冴えないスーツ姿だから、油断していた。
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