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「福原、ハンコ抜けてる」
課長が書類をひらひらと振りながら晴也にアピールするので、立ち上がり取りに行く。
「ここと、ここも……珍しいな、押し忘れ」
「すみません」
「いやまあ、大したことじゃないけど」
課長に指摘されて、ちょっと良くないなと思う。ややぼんやりしていることは、認めざるを得ない。今夜の予定が頭の中に引っかかって仕方ない。つまらないが平和な自分の日常を、あの目線で掻き乱すショウに腹が立つし、目に見えないものに掻き乱されている自分にも苛立つ。
「福原、今日の夜空いてない?」
自分の椅子を引き腰を下ろすと、斜め前に座る早川が小さく訊いてきた。晴也は即答する。
「先約があります」
「何があるんだ?」
「23時からゲームのイベントです」
隣に座る久保が失笑を洩らした。いつものことである。
晴也はこういう時、ゲームオタクを演じることも多い。オンラインゲームに一時ハマっていたのは事実だ。それに23時からショウたちのステージが始まるので、イベントには間違いない。
「それまでに捌けたらいいよ、たまには飲みに行かないか? 先月ご縁ができた会社の担当が誘ってきたんだけど」
「僕が行く必要無いですよね、早川さんの担当してる会社は僕ノータッチですし」
晴也はばっさりと拒否した。早川の小さな溜め息が聞こえて、久保がふんと鼻で笑う。晴也は鬱陶しいな、と感じる。こいつらは、外に出る用は無いのか? 今日は何故デスクにいるのだろう。
久保はともかく、早川は彼の一年下の後輩にあたる晴也を、気にする素振りをたまに見せる。常にハミている晴也を周りに馴染ませたいと考えているようなのだが、当人にすれば正直なところ迷惑だ。面と向かって迷惑だとはさすがに言えないけれど、構わないでくれアピールをしても、なかなか諦めてくれないので、いつもうんざりする。
「早川さん、俺行きましょっかぁ?」
久保が間延びした口調で言った。早川は冗談とも本気ともつかぬ言い方で返す。
「女は来ないぞ、真面目な集まりだ」
「えーっ? 福原さんの彼女探しじゃないんですかぁ? おこぼれに預かりたかったんですけど」
晴也は舌打ちしたいのを堪える。目線だけ上げると、早川が肩をすくめてこちらを見ていた。彼は久保に向かって言う。
「おまえってほんとそっちにしか思考行かないよな」
「だって福原さんと違って、健全な男子ですからぁ」
黙れ、二人とも消えろ。晴也は胸の内で毒づきながら、キーボードをひたすた叩き続けた。
終業時に早川が話しかけて来たそうな顔をしていたが、完全にスルーして、晴也は帰りを急いだ。別に急ぐ必要などないのだが、ショーパブに着ていくものがあるかどうか確認したかった。婦人服のストックの5分の1ほどしか、男としての私服が無い。とは言え、仕事帰りではないのに、スーツで行くのは気が進まなかった。
ごはんもちゃんと食べよう。晴也は混雑する山手線に揺られながら考える。そして、結局のところショウのダンスを観に行くのを楽しみにしている自分に気づき、勝手に鼻白んだ。
ショウに会うのが楽しみなのではない。彼の踊りが楽しみなのだ。晴也は自分の気持ちを整理してみるが、何となく言い訳の匂いがした。指の間の黒子に唇で触れられた記憶が出し抜けに脳裏に蘇り、晴也は軽く頭を振る。
面倒くさいな、あいつも俺自身も。意味がわからない。あいつは何がしたいんだ、そんでもって俺はどうしたいんだ。晴也はこれまで経験したことのない、自分一人で完結させられない状況や自分の気持ちの揺れに、悩まされていた。
「ハルちゃん、おはよう」
開演20分前にショーパブの入るビルに着くと、ミチルが男の姿をして晴也を待っていた。彼は上品なキャメル色のコートを纏い、幅が細いグレーのマフラーをふわりと首に巻いていた。男姿でも大人っぽいな。おそらく年齢はさほど変わらないのに、紺のコートとジーンズといういでたちの晴也は、やはり彼が羨ましくなる。
「ハルちゃん大学生みたいだ、可愛いなぁ……俺たち兄弟で通じそう」
「いやいや、こんなイモっぽい弟ダメでしょ」
晴也が苦笑混じりで言うと、ミチルは楽しげに笑った。
「上に姉貴2人なんだよ、俺……弟ってほんと欲しかったんだよな」
ミチルの家族構成など、もちろん初めて耳にしたが、自分とちょっと似ているので晴也は共感する。
「俺は姉と妹がいるんです、男きょうだい欲しかったです」
「おお、女きょうだいばかりって肩身狭くない?」
「はい、しかもうちは姉も妹もイモっぽいから、めぎつねの仕事の時の見本にもなりません」
「きっついなぁ、ハルちゃんは」
2人して笑いながら、パブへの階段をゆっくり降りる。扉を開けると、ほっとするような温かい空気と、一昨日とは違う明るいざわめきが流れ出て来た。客に女性が多いからだ。
「いらっしゃいませ、ご予約は頂戴しておりますでしょうか?」
課長が書類をひらひらと振りながら晴也にアピールするので、立ち上がり取りに行く。
「ここと、ここも……珍しいな、押し忘れ」
「すみません」
「いやまあ、大したことじゃないけど」
課長に指摘されて、ちょっと良くないなと思う。ややぼんやりしていることは、認めざるを得ない。今夜の予定が頭の中に引っかかって仕方ない。つまらないが平和な自分の日常を、あの目線で掻き乱すショウに腹が立つし、目に見えないものに掻き乱されている自分にも苛立つ。
「福原、今日の夜空いてない?」
自分の椅子を引き腰を下ろすと、斜め前に座る早川が小さく訊いてきた。晴也は即答する。
「先約があります」
「何があるんだ?」
「23時からゲームのイベントです」
隣に座る久保が失笑を洩らした。いつものことである。
晴也はこういう時、ゲームオタクを演じることも多い。オンラインゲームに一時ハマっていたのは事実だ。それに23時からショウたちのステージが始まるので、イベントには間違いない。
「それまでに捌けたらいいよ、たまには飲みに行かないか? 先月ご縁ができた会社の担当が誘ってきたんだけど」
「僕が行く必要無いですよね、早川さんの担当してる会社は僕ノータッチですし」
晴也はばっさりと拒否した。早川の小さな溜め息が聞こえて、久保がふんと鼻で笑う。晴也は鬱陶しいな、と感じる。こいつらは、外に出る用は無いのか? 今日は何故デスクにいるのだろう。
久保はともかく、早川は彼の一年下の後輩にあたる晴也を、気にする素振りをたまに見せる。常にハミている晴也を周りに馴染ませたいと考えているようなのだが、当人にすれば正直なところ迷惑だ。面と向かって迷惑だとはさすがに言えないけれど、構わないでくれアピールをしても、なかなか諦めてくれないので、いつもうんざりする。
「早川さん、俺行きましょっかぁ?」
久保が間延びした口調で言った。早川は冗談とも本気ともつかぬ言い方で返す。
「女は来ないぞ、真面目な集まりだ」
「えーっ? 福原さんの彼女探しじゃないんですかぁ? おこぼれに預かりたかったんですけど」
晴也は舌打ちしたいのを堪える。目線だけ上げると、早川が肩をすくめてこちらを見ていた。彼は久保に向かって言う。
「おまえってほんとそっちにしか思考行かないよな」
「だって福原さんと違って、健全な男子ですからぁ」
黙れ、二人とも消えろ。晴也は胸の内で毒づきながら、キーボードをひたすた叩き続けた。
終業時に早川が話しかけて来たそうな顔をしていたが、完全にスルーして、晴也は帰りを急いだ。別に急ぐ必要などないのだが、ショーパブに着ていくものがあるかどうか確認したかった。婦人服のストックの5分の1ほどしか、男としての私服が無い。とは言え、仕事帰りではないのに、スーツで行くのは気が進まなかった。
ごはんもちゃんと食べよう。晴也は混雑する山手線に揺られながら考える。そして、結局のところショウのダンスを観に行くのを楽しみにしている自分に気づき、勝手に鼻白んだ。
ショウに会うのが楽しみなのではない。彼の踊りが楽しみなのだ。晴也は自分の気持ちを整理してみるが、何となく言い訳の匂いがした。指の間の黒子に唇で触れられた記憶が出し抜けに脳裏に蘇り、晴也は軽く頭を振る。
面倒くさいな、あいつも俺自身も。意味がわからない。あいつは何がしたいんだ、そんでもって俺はどうしたいんだ。晴也はこれまで経験したことのない、自分一人で完結させられない状況や自分の気持ちの揺れに、悩まされていた。
「ハルちゃん、おはよう」
開演20分前にショーパブの入るビルに着くと、ミチルが男の姿をして晴也を待っていた。彼は上品なキャメル色のコートを纏い、幅が細いグレーのマフラーをふわりと首に巻いていた。男姿でも大人っぽいな。おそらく年齢はさほど変わらないのに、紺のコートとジーンズといういでたちの晴也は、やはり彼が羨ましくなる。
「ハルちゃん大学生みたいだ、可愛いなぁ……俺たち兄弟で通じそう」
「いやいや、こんなイモっぽい弟ダメでしょ」
晴也が苦笑混じりで言うと、ミチルは楽しげに笑った。
「上に姉貴2人なんだよ、俺……弟ってほんと欲しかったんだよな」
ミチルの家族構成など、もちろん初めて耳にしたが、自分とちょっと似ているので晴也は共感する。
「俺は姉と妹がいるんです、男きょうだい欲しかったです」
「おお、女きょうだいばかりって肩身狭くない?」
「はい、しかもうちは姉も妹もイモっぽいから、めぎつねの仕事の時の見本にもなりません」
「きっついなぁ、ハルちゃんは」
2人して笑いながら、パブへの階段をゆっくり降りる。扉を開けると、ほっとするような温かい空気と、一昨日とは違う明るいざわめきが流れ出て来た。客に女性が多いからだ。
「いらっしゃいませ、ご予約は頂戴しておりますでしょうか?」
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