緑の風、金の笛

穂祥 舞

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7 えんそうかい

3-④

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 この曲が1階の窓から入って来るのを聴いていた時は、楽しい曲だなと思っていたが、こうしてちゃんと聴くと、音楽そのものに何か重さがあった。旋律はとめどなく流れ弾むが、楽しい場面を描いた音楽ではない気がする。奏人の知るドイツやフランスのものではなく、ロシアの比較的新しい音楽だから、そんな風に感じるのかも知れなかった。
 やや哀感のある緩やかなパートが終わると、また人が走るような旋律が戻って来る。奏大は楽譜を手繰ってはいたが、伯母と同様、ほとんど見ていなかった。その笛の音には、いつも奏人をふわりと包み込むようなフォーレとは違い、強い視線を突きつけてくるような鋭さがあった。フォルテシモで鳴るピアノの音を、高い響きが潜り抜け、ねじ伏せる。
 ピアノの最後の音が響くと、フルートの高音の残響がぴん、と奏人の耳を撫でた。2人の演者が腕を下ろして、ようやく伯父が手を叩いた。奏人もそれに続く。奏大がフルートを両手で持ったまま、深々と頭を下げた。

「3箇所落とした」
「それはあんまり気にならなかったけど、ラスト少し走ったわね」

 顔を上げるなり奏大が伯母と反省会を始めるので、伯父が笑いながらビデオカメラを止めた。奏人はその時初めて、自分の手が細かく震えているのに気づいた。

「かなちゃん、緊張してきた?」

 伯父に覗き込まれたが、奏人は首を横に振った。心臓がどきどきしている。

「違う、何かちょっと怖いくらいだったから」
「そう‥‥‥プロコフィエフがこの曲をつくったのは戦争中だったからね、楽しい曲なんだけど、うっすら怖いものが後ろからついてくるような感じはあるかな?」

 伯父は上手いこと言うなと奏人は思った。それを聞いていた伯母が、かなちゃんはおませさんだから、と笑った。

「解釈はいろいろあっていいのよ、奏大くんはこの曲をただ楽しいだけにしたくないって言ったのね、だからこんな風に仕上げてみたの」
「じゃあかなちゃんに平松くんの解釈はちゃんと伝わったってことだ」

 奏人が奏大を見ると、彼はちらっと笑った。そうか、あれがこの人の解釈なんだ。やっぱり奏大さんは優しいだけじゃない。
 奏人が戦慄したのは、音楽そのものに対してだけではなかった。演奏に向き合う2人の気迫だ。聴き手がたった2人であっても、途中までしか仕上がっていなくても(もっとも奏人にはそうは思えなかったが)、聴き手と自分たちのために、全力を尽くす。
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