緑の風、金の笛

穂祥 舞

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5 いばしょのありか

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 午後の一番暑い時間に、奏大のスクーターが前庭に滑り込んでくる音がした。伯母は時計をちらりと見て、早いわね、と首を傾げたが、彼のために冷たいお茶を用意すべくダイニングに向かった。『火の鳥』を早速読んでいた奏人は、本を閉じて玄関に出迎えに行く。

「こんにちは……あれ」

 奏人は重いドアを押し開けて、奏大の荷物がいつもより多いことに気づいた。

「こんにちは、奏人くん」

 奏大はややぎこちない笑顔を見せた。フルートのケースを肩にかけているのはいつも通りだが、小さなボストンバッグを持っている。

「こんにちは、早く来てすみません」

 奏大は伯母に、ほんとうに申し訳なさそうに言った。伯母は彼の顔をじっと見て、何かあったの? とストレートに訊く。

「……休みだった父とやり合っちゃって、飛び出して来ました」
「あらあら、それは家出の荷物って訳ね」
「まあそんなところです」

 奏人は奏大が心配になり、彼の横に近づいてその顔を見上げた。繊細な線を描く、鼻や唇。

「ああ、大丈夫だよ、いつものことだから」

 奏大はバッグを左手に持ち替えて、右手で奏人の手を取った。奏人はその手をぎゅっと握って、リビングのソファに導く。いつものことって、どういう意味なんだろう。
 奏人の疑問はすぐに解消された。奏大いわく、フランスへの留学を父親に反対されたらしい。そもそも音楽の道を選んだことに対して、父親が良くない感情を持っていて、奏大が東京から安曇野の実家に戻るたびに、小競り合いが勃発するのだという。

「どうして音楽がいけないの?」

 奏人は訊いた。奏大のフルートはとても素敵だ。聴きたいと思う人が、いっぱい出てくるだろうと思うのに。

「僕は一人っ子なんだ、浮き沈みの激しい仕事をして欲しくないんだよ」

 伯母は困ったような微笑を浮かべた。

「音楽家としてはナンセンスだと思うけれど、人の親としてはお父様の気持ちがよく分かるから困ったものね」

 伯母の息子と娘、つまり奏人の従兄姉たちは、二人ともピアノは習っていたが、もう辞めている。高校生の息子は体操の県大会でベスト3に入る実力者で、競技をしながらアスリートのメンタルトレーニングを学べる大学を目指していて、中学生の娘は伯父と同じ道を志す才媛だ。奏人は彼らに会いたかったのだが、この夏は二人とも忙しく、安曇野には来ない。彼らがもし音楽の道を志していたら、伯父も伯母も反対するということなのか?
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