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番外編 姫との夏休み
第1楽章②
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「春に学歴ロンダリングって言った友達に謝らないのか?」
片山に覗き込まれて、咲真は思わずぷっと笑った。
「俺が謝ること無いやろ、でも礼は言うてもいいかな? おかげでアンサンブルユニットが爆誕したし」
「まだメンバー2人だけどな」
「声楽専攻は片山以外に外部入学おらんの?」
「ソプラノとメゾがいるんだけど、ゆっくり話す機会が無い……って、教育大男子限定じゃないよな?」
片山が真面目に言うので、咲真は再度笑う。
「教育大男子限定とか、そこはかとなくキモいわ……マジで変な秘密結社と思われそう」
と言いつつ、咲真も今は、他のメンバーを誘うことにそう積極的にはなれない。編成が偏ると選曲も難しくなるので、誰が来ても歓迎という訳にはいかないからだ。そもそも皆自分の練習で忙しいのだから、ある程度活動実績を作らないと、一緒にやりたいと思ってもらえないだろう。
「まあしばらく俺ら2人で、こつこつやることになるんかな」
「俺は別にいいよ、俺と演ったら松本が伴奏ばっかりになるのがアレだけど」
2台のワイヤレスコールがテーブルの上でがたがた震えた。片山が驚いてうおっ、とのけぞる。その様子が子どもみたいで可愛らしかったので、咲真は違う種類の笑いを顔に浮かべた。
片山はワイヤレスコールを握りしめ、立ち上がった。
「俺は伴奏が無かったら身動きが取れないけど、松本がもう伴奏はしないって決めたなら、そうはっきり言ってくれたらいいから」
そう言われた瞬間、咲真の胸の中にすうっと寒い風が吹いた。
「何でそんな悲しいこと言う……」
咲真がつい正直な気持ちを洩らすと、おぼこい男子は振り返った。
「へ?」
「……俺ソリストになるって決めても、片山の伴奏はするで」
片山は咲真の言葉に、やや返事に困った様子を見せる。きっと両立は難しいし、それができるほど咲真は器用でも、才能に溢れている訳でもない。片山だって、それは察しているだろう。しかし彼はにっこり笑った。
「そう? ありがと」
コロッケ定食目指して進むバリトン歌手の背中を追いながら、咲真はうっかり好きな子に告ってしまったような気まずさと羞恥心に、どきどきしていた。
彼の伴奏をしたいからソリストになる道を諦めるなんて、本末転倒だ。でも、もっと彼と一緒の舞台に立ちたい。……もうちょっと早くに出会うてたら、もうちょっと迷えるのになぁ。咲真は不倫に嵌まった人みたいなことを考えてしまった。
食事を済ませて少しだけお土産を買うと、いい時間になった。咲真は片山と保安検査場のゲートに並んで、トレーにキャリーケースを置く。X線検査のカーテンの中に順番に吸い込まれる荷物を見送りながら、着替えと楽譜しか入っていない割に重いと、笑い合った。
キャリーケースと鞄を検査台から降ろしながら、片山は言った。
「俺ほんと東京出てくるの気が進まなかったんだけど、今はちょっと良かったかなと思ってる」
「おう、気持ちも童貞でなくなったんやな」
「そうそう、擦れてしまったよぉ……」
謎の節をつけて片山が詠嘆するので、咲真は笑ってしまう。掲示板を確認すると、伊丹行きの搭乗口のほうが、検査場に近かった。新千歳行きは、ひとつ奥の搭乗口のようだった。
もうここで別れても良かったのだが、片山の飛行機の搭乗開始時間まであと20分ある。咲真は、伊丹行きの搭乗口の前に並ぶソファをやり過ごす。片山はえっ、と小さく言い、咲真を見た。
「どうしたんだ、北海道に来ることにした?」
「ついて行っていいですか? ……いやいや違うって、まだ時間あるからおしゃべりしましょ」
言いながら咲真が首を傾げると、片山はいひひ、と楽し気に笑う。そして窓の外に目を遣った。
「卒業するまでに1回来いよ、俺も関西は全然知らないから行きたい」
咲真も窓の外を見る。こちらに頭を向けて待機する飛行機たちの向こうで、一機が晴れた空に軽やかに飛び立って行った。夏の太陽の光に、機体がきらきらしている。
「関西は暑いで、その辺覚悟しとけよ」
「それ微妙……松本は夏に札幌に避暑に来たらいいよ、俺は冬に神戸に行くわ」
きれいな形の目が笑っている。卒業するまでに1回、卒業してからもまたいつか。今後お互い海外に飛び出すこともあり得るので、約束はできないけれど、そうできればいいと思う。
ソファに並んで座り、次々と流れる登場案内を聞き流しながら、咲真はレストランでのコンサートについて、現時点での決定事項などを片山に話した。彼は頼りになる共演者になってくれそうだった。
「楽しみだなぁ」
「終わったら2人で打ち上げしよか」
「しようしよう」
ピンポン、とチャイムが鳴る。片山が乗る便の、優先搭乗が始まるようだった。おぼこい男子とはしばしのお別れだ。お互い実家でしっかり練習して、休み明けにいいものを持ち寄れたらいいなと、咲真は思った。
片山に覗き込まれて、咲真は思わずぷっと笑った。
「俺が謝ること無いやろ、でも礼は言うてもいいかな? おかげでアンサンブルユニットが爆誕したし」
「まだメンバー2人だけどな」
「声楽専攻は片山以外に外部入学おらんの?」
「ソプラノとメゾがいるんだけど、ゆっくり話す機会が無い……って、教育大男子限定じゃないよな?」
片山が真面目に言うので、咲真は再度笑う。
「教育大男子限定とか、そこはかとなくキモいわ……マジで変な秘密結社と思われそう」
と言いつつ、咲真も今は、他のメンバーを誘うことにそう積極的にはなれない。編成が偏ると選曲も難しくなるので、誰が来ても歓迎という訳にはいかないからだ。そもそも皆自分の練習で忙しいのだから、ある程度活動実績を作らないと、一緒にやりたいと思ってもらえないだろう。
「まあしばらく俺ら2人で、こつこつやることになるんかな」
「俺は別にいいよ、俺と演ったら松本が伴奏ばっかりになるのがアレだけど」
2台のワイヤレスコールがテーブルの上でがたがた震えた。片山が驚いてうおっ、とのけぞる。その様子が子どもみたいで可愛らしかったので、咲真は違う種類の笑いを顔に浮かべた。
片山はワイヤレスコールを握りしめ、立ち上がった。
「俺は伴奏が無かったら身動きが取れないけど、松本がもう伴奏はしないって決めたなら、そうはっきり言ってくれたらいいから」
そう言われた瞬間、咲真の胸の中にすうっと寒い風が吹いた。
「何でそんな悲しいこと言う……」
咲真がつい正直な気持ちを洩らすと、おぼこい男子は振り返った。
「へ?」
「……俺ソリストになるって決めても、片山の伴奏はするで」
片山は咲真の言葉に、やや返事に困った様子を見せる。きっと両立は難しいし、それができるほど咲真は器用でも、才能に溢れている訳でもない。片山だって、それは察しているだろう。しかし彼はにっこり笑った。
「そう? ありがと」
コロッケ定食目指して進むバリトン歌手の背中を追いながら、咲真はうっかり好きな子に告ってしまったような気まずさと羞恥心に、どきどきしていた。
彼の伴奏をしたいからソリストになる道を諦めるなんて、本末転倒だ。でも、もっと彼と一緒の舞台に立ちたい。……もうちょっと早くに出会うてたら、もうちょっと迷えるのになぁ。咲真は不倫に嵌まった人みたいなことを考えてしまった。
食事を済ませて少しだけお土産を買うと、いい時間になった。咲真は片山と保安検査場のゲートに並んで、トレーにキャリーケースを置く。X線検査のカーテンの中に順番に吸い込まれる荷物を見送りながら、着替えと楽譜しか入っていない割に重いと、笑い合った。
キャリーケースと鞄を検査台から降ろしながら、片山は言った。
「俺ほんと東京出てくるの気が進まなかったんだけど、今はちょっと良かったかなと思ってる」
「おう、気持ちも童貞でなくなったんやな」
「そうそう、擦れてしまったよぉ……」
謎の節をつけて片山が詠嘆するので、咲真は笑ってしまう。掲示板を確認すると、伊丹行きの搭乗口のほうが、検査場に近かった。新千歳行きは、ひとつ奥の搭乗口のようだった。
もうここで別れても良かったのだが、片山の飛行機の搭乗開始時間まであと20分ある。咲真は、伊丹行きの搭乗口の前に並ぶソファをやり過ごす。片山はえっ、と小さく言い、咲真を見た。
「どうしたんだ、北海道に来ることにした?」
「ついて行っていいですか? ……いやいや違うって、まだ時間あるからおしゃべりしましょ」
言いながら咲真が首を傾げると、片山はいひひ、と楽し気に笑う。そして窓の外に目を遣った。
「卒業するまでに1回来いよ、俺も関西は全然知らないから行きたい」
咲真も窓の外を見る。こちらに頭を向けて待機する飛行機たちの向こうで、一機が晴れた空に軽やかに飛び立って行った。夏の太陽の光に、機体がきらきらしている。
「関西は暑いで、その辺覚悟しとけよ」
「それ微妙……松本は夏に札幌に避暑に来たらいいよ、俺は冬に神戸に行くわ」
きれいな形の目が笑っている。卒業するまでに1回、卒業してからもまたいつか。今後お互い海外に飛び出すこともあり得るので、約束はできないけれど、そうできればいいと思う。
ソファに並んで座り、次々と流れる登場案内を聞き流しながら、咲真はレストランでのコンサートについて、現時点での決定事項などを片山に話した。彼は頼りになる共演者になってくれそうだった。
「楽しみだなぁ」
「終わったら2人で打ち上げしよか」
「しようしよう」
ピンポン、とチャイムが鳴る。片山が乗る便の、優先搭乗が始まるようだった。おぼこい男子とはしばしのお別れだ。お互い実家でしっかり練習して、休み明けにいいものを持ち寄れたらいいなと、咲真は思った。
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