彼はオタサーの姫

穂祥 舞

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第4幕/おっさんフィガロとときめくピンカートン

第6場①

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 オペラ基礎クラスの実技試験を控え、教室にはぴりついた空気が漂っていた。受講者はこれから、5人の教員が並ぶ前で1組ずつ演奏するのだ。終われば、勉強のために他の組の演技を観る。場面に必要な小道具は自分たちで用意し、化粧や衣装は採点外だが、役柄にある程度相応しい姿をつくるのが、暗黙の了解だ。
 新婚初夜を迎える若い日本人女性の役に合わせ、薄めのメイクの瑠美は、髪を結い上げ、淡い色の浴衣と足袋を身につけていた。先週から浴衣で練習している瑠美が、着付けも帯結びも自分でてきぱきするのを見て、蝶々さん役は大変だと天音は思う。天音も今日は髪を撫でつけ、白系シャツにスラックス姿で、足元は舞台用の革靴である。

「サリと片山くん何か素敵じゃん、めちゃフィガロとスザンナっぽい」

 瑠美の言葉に、天音は件のペアに目をやる。三喜雄には少し天音がアドバイスしたのだが、思った通り、暗い色のジャケットがあるほうが良かった。だがシャツは襟元を広めに開け、髪も毛先を跳ねさせ、ラフな感じを出す。フィガロは貴族ではないからだ。
 紗里奈はチャコールグレーの膝丈ワンピースに、皺のない真っ白なエプロンを合わせ、髪を編んで結い上げていた。小道具にボンネットを使うので、髪飾りはつけていないが、上品なメイド感を上手く醸し出している。
 こういう場面で天音はいつも歌い手女子たちに感心する。彼女らは役に合う衣装やアクセサリーを探して、時に手作りし、メイクも役に合わせ変えてくる。コスプレイヤー顔負けだ。こういう作業が好きでないと、きっとオペラ歌手は務まらない。
 軽い緊張を覚えつつ、天音がハミングで音をさらっていると、楽譜を見ていた瑠美がこそっと話しかけてきた。

「ねえ塚山くん、新しい彼女できたんだ」 

 天音は思わずハミングを止める。

「えっ? それどこからの情報?」

 心底驚いて訊くと、瑠美はほとんど色を乗せていない唇に、にんまりと笑いを浮かべた。

「だって先週から何だかときめくピンカートンみたいに作り直してるし、リアルでいいことあったのかなって」

 天音はどきっとした。不意打ちだったので、誤魔化しきれなかった。瑠美は頬に血を昇らせた天音を見て、口許に浴衣の袖を当てる。

「おほほ、旦那様、言葉になさることはございませんよ……わたくししか気づいておりませぬ、他言もいたしません」
「……誰なんだよ、スズキですか?」

 非公開の試験といえども本番前である。あまり心の中に引っかかるものを置いておきたくなかったので、正直に答えた。

「いや……その、彼女とかじゃなくて、こないだの講評の後、片山と飲みながらガチンコで役作りの話をしたんだ」

 実は天音は、三喜雄の家で飲んだ時に経験したあれこれを、ピンカートンの役作りに投入している。三喜雄に覗き込まれてどきどきしたことや、みっともなく潰れた自分の面倒を甲斐甲斐しく見てくれた彼の姿が、何やら愛おしかったことを思い出しながら歌ってみた。
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