50 / 79
第4幕/おっさんフィガロとときめくピンカートン
第5場②
しおりを挟む
説明するのが面倒なので、結論だけ述べた。
「片山が俺に引け目を感じることなんか何も無い」
しかし三喜雄は気怠げに首を横に傾けた。
「俺はおまえほど音楽に全てを賭けてない」
「は? じゃあ院まで来て何勉強してるんだ?」
「え、音楽だろうな」
三喜雄は低く笑いながら答える。
「だから何の迷いもなく音楽やってる塚山が、キラキラ眩しくてたまにムカつく」
目の前で三喜雄の顔に浮かんだ、やや自虐的な笑みを、天音は今まで見たことが無かった。ムカつくとは、どれくらいのレベルなのか、天音にはわからない。ただ、迷わず全てを音楽に委ねられない思いから、彼の教職課程へのこだわりなどが生じているのだということは、納得できた。
三喜雄は真面目な顔で言う。
「これは完全に私の勝手で卑屈な思いでありまして、塚山様が私ごときの友達の称号を泣くほど欲してらっしゃるとは、想像だにしておりませんでした」
「……どこの執事なんだよ」
天音は突っ込んでから、小さく溜め息をついた。
「俺だっておまえがいつも一曲一曲に魂吹き込んでくるのが羨ましい……俺はこんな風には歌えないって、高3の時に察してたのかも」
それは、一生口にしたくなかった言葉だったかもしれない。敗北感のようなものを覚えながら、天音は目を閉じた。すると肌触りの良い軽い布団が肩まで引き上げられた。
「俺なんか所詮小物だっつの、おまえはいつも俺のずーっと先を走ってるよ」
吐息混じりの柔らかい声がした。少し笑いが含まれているようだった。
「舞台の真ん中に立つ人間に、エキストラが友達呼ばわりするの、恐れ多いんだって……」
小さな電子音がした。瞼の裏が暗くなり、おやすみ、と遠くで声がする。
三喜雄の言ったことには間違いがある。天音はまだ三喜雄の先を走っていると思うが、彼は断じてエキストラではない。だから友達じゃないというのなら、全力で否定したかった。
それにしても、プライドの高い自分が酔っ払って泣き喚き、旧知の男に友達と認めろなどと絡んだなんて、本当にどうかしている。末代までの恥レベルの大失態だ。家族には絶対話せない。持って来た白ワインに、何か変なものが入っていたのかもしれない。見たことの無い珍しい銘柄を選んで、美味しく飲んだのだが。
にもかかわらず、天音の心は凪いでいた。自分のことで泣いたのは、何年振りだろうか。こんなにすっきりした気持ちになること自体が久しぶりで、襲いかかってくる眠気さえも気持ちいい。緩くつけられたエアコンの風が、泣き腫らした瞼を冷やしてくれる。
「片山」
目を閉じたまま呼ぶと、ふん、と低い声がベッドの下から聞こえた。
「俺たち友達だよな」
「ん……もう塚山が可哀想だからそういうことでいい」
ふにゃふにゃした返事だった。三喜雄は半分寝ているのだろう。
「憐れみかよ……」
そのうち、すう、と自分のものでない、深くて長い呼吸音が聞こえ始めた。まあいい、今はとにかく、全てを忘れて安心して眠ろう。天音は思う。横で寝ている男は、この騒々しい都会で、いや、この世の中で一番信用できる奴だから。
「片山が俺に引け目を感じることなんか何も無い」
しかし三喜雄は気怠げに首を横に傾けた。
「俺はおまえほど音楽に全てを賭けてない」
「は? じゃあ院まで来て何勉強してるんだ?」
「え、音楽だろうな」
三喜雄は低く笑いながら答える。
「だから何の迷いもなく音楽やってる塚山が、キラキラ眩しくてたまにムカつく」
目の前で三喜雄の顔に浮かんだ、やや自虐的な笑みを、天音は今まで見たことが無かった。ムカつくとは、どれくらいのレベルなのか、天音にはわからない。ただ、迷わず全てを音楽に委ねられない思いから、彼の教職課程へのこだわりなどが生じているのだということは、納得できた。
三喜雄は真面目な顔で言う。
「これは完全に私の勝手で卑屈な思いでありまして、塚山様が私ごときの友達の称号を泣くほど欲してらっしゃるとは、想像だにしておりませんでした」
「……どこの執事なんだよ」
天音は突っ込んでから、小さく溜め息をついた。
「俺だっておまえがいつも一曲一曲に魂吹き込んでくるのが羨ましい……俺はこんな風には歌えないって、高3の時に察してたのかも」
それは、一生口にしたくなかった言葉だったかもしれない。敗北感のようなものを覚えながら、天音は目を閉じた。すると肌触りの良い軽い布団が肩まで引き上げられた。
「俺なんか所詮小物だっつの、おまえはいつも俺のずーっと先を走ってるよ」
吐息混じりの柔らかい声がした。少し笑いが含まれているようだった。
「舞台の真ん中に立つ人間に、エキストラが友達呼ばわりするの、恐れ多いんだって……」
小さな電子音がした。瞼の裏が暗くなり、おやすみ、と遠くで声がする。
三喜雄の言ったことには間違いがある。天音はまだ三喜雄の先を走っていると思うが、彼は断じてエキストラではない。だから友達じゃないというのなら、全力で否定したかった。
それにしても、プライドの高い自分が酔っ払って泣き喚き、旧知の男に友達と認めろなどと絡んだなんて、本当にどうかしている。末代までの恥レベルの大失態だ。家族には絶対話せない。持って来た白ワインに、何か変なものが入っていたのかもしれない。見たことの無い珍しい銘柄を選んで、美味しく飲んだのだが。
にもかかわらず、天音の心は凪いでいた。自分のことで泣いたのは、何年振りだろうか。こんなにすっきりした気持ちになること自体が久しぶりで、襲いかかってくる眠気さえも気持ちいい。緩くつけられたエアコンの風が、泣き腫らした瞼を冷やしてくれる。
「片山」
目を閉じたまま呼ぶと、ふん、と低い声がベッドの下から聞こえた。
「俺たち友達だよな」
「ん……もう塚山が可哀想だからそういうことでいい」
ふにゃふにゃした返事だった。三喜雄は半分寝ているのだろう。
「憐れみかよ……」
そのうち、すう、と自分のものでない、深くて長い呼吸音が聞こえ始めた。まあいい、今はとにかく、全てを忘れて安心して眠ろう。天音は思う。横で寝ている男は、この騒々しい都会で、いや、この世の中で一番信用できる奴だから。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
異世界ぼっち暮らし(神様と一緒!!)
藤雪たすく
BL
愛してくれない家族から旅立ち、希望に満ちた一人暮らしが始まるはずが……異世界で一人暮らしが始まった!?
手違いで人の命を巻き込む神様なんて信じません!!俺が信じる神様はこの世にただ一人……俺の推しは神様です!!
公爵家の五男坊はあきらめない
三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。
生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。
冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。
負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。
「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」
都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。
知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。
生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。
あきらめたら待つのは死のみ。
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる