彼はオタサーの姫

穂祥 舞

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第4幕/おっさんフィガロとときめくピンカートン

第4場⑩

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 半ば呆れつつ天音が訊くと、三喜雄はちらっと時計を見た。そして軽く息を吸った。

「『我こそは……我こそは、悦楽郷クカニアの大僧正なり!』」

 モーツァルトやブラームスを歌う時とは違う、力強くバリッと張った音に、こんな声も出るのかと天音は驚く。

「『常に聖なる酒の御心に従い、常に博打打ちデキウス派の信徒とともにある』……」

 カンタータ「カルミナ・ブラーナ」のバリトンのソロだった。早口言葉のようなラテン語のレチタティーヴォを、三喜雄は何でもないように軽やかに捌いていく。

「『朝っぱらからこの聖域に来た連中は、夕方には丸裸にされて出て行きやがる!』」

 天音は感心と可笑しさに拍手しながら笑った。19世紀パリの社交界とは似てもつかない、中世の場末の居酒屋での下品な歌である。パーティの客から、飲んだくれて博打に耽る男への、三喜雄の変貌が鮮やか過ぎた。

「これはバリトンの乾杯の発声の課題曲のひとつで、暗譜が望ましい」

 三喜雄がにかっと笑って言うので、天音は今日数度目の爆笑を響かせた。

「嫌な飲み会だな!」
「俺卒業するまでに課題クリアしたから、ソリストのオファー来たら受けちゃうよ」

 この合唱曲は言葉も楽譜も難しいことで有名だ。合唱だけでなく、3人のソリストにとってもなかなかシビアな曲なのだが、三喜雄ならこれを歌いこなすかもしれないと、天音は思う。「カルミナ・ブラーナ」のソロのバリトンは、酔っ払った男や恋に悶える青年、そして運命の審判を告げる語り手など、様々なキャラクターを要求される。高い技術を持っていることが大前提で、さらに多面的な魅力を出せなければ、聴衆が飽きてしまうのだ。
 厳しい個人指導で歌う身体と技術を身につけ、大学で沢山の曲をかなり自由に歌ってきた三喜雄は、おそらく自覚している以上に、いろいろな歌を歌える。実はこんな曲こそが、彼に似合うのではないだろうか。
 笑い過ぎて喉が渇いた上に、ハイボールの口当たりが良いので、天音はすぐに2杯目を三喜雄に作ってもらった。

「冗談はさておき、冷たくないピンカートンいけそう?」

 あー、と言いながら、天音は白い天井を仰ぐ。

「わかんね……」
「おまえさぁ、俺のことは何か割と気にかけてくれるじゃん? そういうのもっとよそでも出せばいいんじゃないか? そしたら友達増えてさ、歌にも優しさみたいなのが自然と出てくる気がする」

 三喜雄は残っていたワインを全てグラスに入れながら言う。天音の心臓が、やや早いリズムを刻み始めた。

「……わかってるなら、どうして友達じゃないとか言うんだよ」

 三喜雄はちらっと目だけでこちらを見た。そしてワインを飲む。

「友達じゃないとしか言いようがないから、仕方ないだろ……俺基本的に塚山のスタンスの全てに共感できないし、自分とおまえが対等だと思ってない」
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