彼はオタサーの姫

穂祥 舞

文字の大きさ
上 下
25 / 79
第3幕/学歴は、洗いません。

第4場

しおりを挟む
 梅雨が明け本格的に夏が来て、ばたばたするうちに前期試験が近づいてきた。咲真は少しだけ試験休みをもらう予定の、アルバイト先に向かった。ホテルのロッカーでネクタイを締め、楽譜の入ったファイルを持って2階に降りると、レストランのチーフがバックヤードで咲真を手招きした。

「おはようございます」
「おはよう松本くん、秋のミニコンサートの話していい?」

 チーフが早速話を始めた。咲真がピアノを弾いているのは、このホテルにある3つのレストランのうち、最もカジュアルなイタリアンである。口コミ評価が高く、ディナータイムは大概満席で、ホテルの売り上げに大貢献しているようだ。
 11月のとある木曜の夜、コースディナーつき全席予約で、ミニコンサートを開催する企画が持ち上がっていた。あくまでもお試しだが、もし評判が良ければ、定期的に開催したいとホテルの上層部は考えているという。
 出演するのは、いつもこの店で演奏する2人のピアニスト、そしてヴァイオリニストとフルーティストだ。それに加えて、8階のチャペルで聖歌隊として歌うソプラノに声がかかっている。
 咲真は毎週、ソロで演奏する日と、ヴァイオリニストと一緒に演奏する日の計3日出勤している。それでヴァイオリンの伴奏をすることはほぼ自動的に決まっていた。そして、ソプラノの伴奏も依頼されており、試験明けに楽譜を受け取る予定だった。

「ソプラノの子がね、9月からアメリカに留学するんだって」

 チーフの言葉に軽く驚いたが、咲真はすぐに返す。

「そうなんですね、それはおめでたいです」

 私立の音大の4回生らしく、歌える人なのだろう。やはり音楽を志す者にとっては、ヨーロッパやアメリカへの留学は、ひとつの目標となる。

「うん、でもちょっとこっちにはめでたくなくてね……企画立案した部長が、どうしても声楽を入れたいんだって」
「聖歌隊の他の人じゃ駄目なんですか?」
「実力的に1人で歌わせられそうなメンバーが、みんな夜は出てこれないって」

 結婚式に歌う聖歌隊は、土日の昼間勤務が多い。平日の夜の出勤は難しいかもしれないと咲真も納得する。チーフは続けた。

「それで、伴奏をするのは松本くんだから、松本くんおすすめの歌手を連れてきてもらえないかって話になっちゃって……大学院にいい子いない?」

 え、と低い声が出た。そんな大切な人選をアルバイトの自分に投げてくるとは、なかなか雑な対応だと咲真は思う。

「いやまぁ、歌える人は沢山いますよ、ただ平日の夜に来てくれる人がいるかな……」

 チーフに答えながら、咲真の脳裏に、人の良い男の笑顔が浮かんだ。
 片山三喜雄。声楽コンクールで入賞に加えて聴衆賞を獲得し、大学の卒業コンサートで歌ったシューベルトがローカルな新人賞を受けている。戦歴は地味だが、あのおぼこい男子は声楽専攻科でちょっと異彩を放っていて、先生たちの注目度も高いという。

「……男声じゃ駄目ですか?」
「えーっと、ということは、テノール?」
「バリトンです」

 チーフは咲真の言葉に、ふうん、と軽く頷いた。

「出るのは松本くん以外みんな女性だし、もう1人男の子がいてもいいような気がするな……女性客の受けもいいし」

 俺らはホストちゃうぞと咲真は密かに突っ込んだが、チーフは、上に提案してみると言ってくれた。
 片山とはあれ以来サシで飲んでいないが、学校で会えば話すし、メッセージもやり取りする。確か彼は木曜の夜はドーナツショップでバイトをしているが、まだ先の話なので、休みを取れないか訊いてみようと咲真は考えた。15分ほど歌って、交通費別で、ドーナツ店の時給の15倍は稼げる筈だ。片山にとっても悪い話ではあるまい。
 これ、学歴ランドリーズのデビュー戦やん。咲真は楽譜を抱きながら、少しわくわくした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

本日のディナーは勇者さんです。

木樫
BL
〈12/8 完結〉 純情ツンデレ溺愛魔王✕素直な鈍感天然勇者で、魔王に負けたら飼われた話。  【あらすじ】  異世界に強制召喚され酷使される日々に辟易していた社畜勇者の勝流は、魔王を殺ってこいと城を追い出され、単身、魔王城へ乗り込んだ……が、あっさり敗北。  死を覚悟した勝流が目を覚ますと、鉄の檻に閉じ込められ、やたら豪奢なベッドに檻ごとのせられていた。 「なにも怪我人檻に入れるこたねぇだろ!? うっかり最終形態になっちまった俺が悪いんだ……ッ!」 「いけません魔王様! 勇者というのは魔物をサーチアンドデストロイするデンジャラスバーサーカーなんです! 噛みつかれたらどうするのですか!」 「か、噛むのか!?」 ※ただいまレイアウト修正中!  途中からレイアウトが変わっていて読みにくいかもしれません。申し訳ねぇ。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

処理中です...