夏の扉が開かない

穂祥 舞

文字の大きさ
上 下
43 / 55
3 7月下旬

カラカラに乾いた場所②

しおりを挟む
 ビールで乾杯し、お互い試験を無事終えたことを讃えた。カラカラに乾いた喉がやっと潤い、思わず大きく息をついてしまう。

「美味しい、枝豆もうまそう」
「ここは焼き鳥もうまいで、しかもそんな高ないし」

 泰生は勧められて枝豆を摘む。莢から出して口に入れると、香ばしかった。
 大切なことを思い出し、おしぼりで手を拭いて鞄を開ける。

「あのな、もし行けそうやったらこれ行かへん?」

 泰生が楽器店で貰った、弦楽器フェアのチラシを見せると、岡本はひゃっ! と変な悲鳴を上げた。

「楽器買うんか! 長谷川って実はええとこの子なん?」

 これには泰生も驚いたが、説明不足だったのでまず岡本に詫びる。

「楽器も買わへんしええとこの子ちゃう、松脂を試せるんやって」
「松脂?」

 岡本は目を丸くし、違った意味の驚きを見せた。

「最近ずっとこだわってない? ヤニの呪いにかかってる?」
「呪いって何や……だって何かええ楽器に当たってしもたから、ヤニも選びたいかなって」
「ふうん……俺楽器買う気無いけど試奏しよかな」

 チェロとコントラバスは、同じくらいの価格だ。安いものは10万円台、高いものは天井知らずである。

「でも必死でバイトしたら手ぇ届く値段やったりするし、試したら欲しなるやろ」
「それは言うな、手が届いたとしてどこに置いとくねん」

 確かに。泰生が笑った時、焼き鳥の盛り合わせがやってきた。

「うまそう、どれする?」
「皮は譲れへんけどあとは長谷川の好きなん食べて」

 岡本が皮を自分の取り皿に移したので、泰生はふっくらしたねぎまを取る。かぶりつくと、肉もたれも美味で、幸福感が増した。
 泰生が食べるのを眺めていた岡本は、だしぬけに言った。

「ごめんな、管弦楽団に強引に誘って」
「……へ?」
「悪い癖なんや」

 岡本は皮に手もつけず、昔の話をした。中学の頃から親しかった友達を、高校に入学して直ぐにバスケットボール部に誘った。友達があまり乗り気でないのは察していたが、岡本は彼と一緒に楽しみたかったし、きっと面白さをわかってくれると思っていた。

「でも面白くなかったみたいでな、やる気無いまま練習してたから怪我してん……そのままそいつはクラブ辞めて、クラスも離れたから疎遠になって、そのまま卒業した」

 岡本は自分を責めているようだった。しかし、バスケットボール部に入ると決めたのは友達なのだから、岡本に責任は無いと泰生は思う。ただ、そうストレートに伝えると、岡本が大切にしていた人をけなすことになりそうなので、泰生は言葉を選んだ。

「その子のことはわからんけど、少なくとも俺は、仕方なく管弦楽団に入ることにしたんちゃうで……吹部辞める時にちょっといろいろあったんやけど、楽器弾くこととは別やってわかったから」

 感謝とまでは言わないが、自分を見つめ直すきっかけをくれた岡本に対して、悪い感情を持つ理由が無かった。
 岡本は泰生の言葉にほっとしたのか、微笑して皮の串を手に取る。それを見て泰生は、乾いた喉にビールが沁みるような心地良さを、胸の深いところで感じた。
 カラカラに乾いていたのは、喉ではなく心の中だった。そして朗らかで人当たりのいい岡本にも、密かにカラカラになっている場所があったようだ。彼は2杯目のビールを注文すべく、呼び鈴を押した。

「ありがと、そう言うてくれるんやったら救われる」
「うん、だいぶ迷ったけど俺は自分の選択を信じてる、というか信じたい」

 互いの乾いた場所に水を注ぐことが、親しくなるというプロセスそのものなのかもしれない。泰生はつくねの串に手を伸ばした。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

冬の水葬

束原ミヤコ
青春
夕霧七瀬(ユウギリナナセ)は、一つ年上の幼なじみ、凪蓮水(ナギハスミ)が好き。 凪が高校生になってから疎遠になってしまっていたけれど、ずっと好きだった。 高校一年生になった夕霧は、凪と同じ高校に通えることを楽しみにしていた。 美術部の凪を追いかけて美術部に入り、気安い幼なじみの間柄に戻ることができたと思っていた―― けれど、そのときにはすでに、凪の心には消えない傷ができてしまっていた。 ある女性に捕らわれた凪と、それを追いかける夕霧の、繰り返す冬の話。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

#彼女を探して・・・

杉 孝子
ホラー
 佳苗はある日、SNSで不気味なハッシュタグ『#彼女を探して』という投稿を偶然見かける。それは、特定の人物を探していると思われたが、少し不気味な雰囲気を醸し出していた。日が経つにつれて、そのタグの投稿が急増しSNS上では都市伝説の話も出始めていた。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜

結城芙由奈 
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】 白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語 ※他サイトでも投稿中

ネットで出会った最強ゲーマーは人見知りなコミュ障で俺だけに懐いてくる美少女でした

黒足袋
青春
インターネット上で†吸血鬼†を自称する最強ゲーマー・ヴァンピィ。 日向太陽はそんなヴァンピィとネット越しに交流する日々を楽しみながら、いつかリアルで会ってみたいと思っていた。 ある日彼はヴァンピィの正体が引きこもり不登校のクラスメイトの少女・月詠夜宵だと知ることになる。 人気コンシューマーゲームである魔法人形(マドール)の実力者として君臨し、ネットの世界で称賛されていた夜宵だが、リアルでは友達もおらず初対面の相手とまともに喋れない人見知りのコミュ障だった。 そんな夜宵はネット上で仲の良かった太陽にだけは心を開き、外の世界へ一緒に出かけようという彼の誘いを受け、不器用ながら交流を始めていく。 太陽も世間知らずで危なっかしい夜宵を守りながら二人の距離は徐々に近づいていく。 青春インターネットラブコメ! ここに開幕! ※表紙イラストは佐倉ツバメ様(@sakura_tsubame)に描いていただきました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

処理中です...