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3 7月下旬
カラカラに乾いた場所②
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ビールで乾杯し、お互い試験を無事終えたことを讃えた。カラカラに乾いた喉がやっと潤い、思わず大きく息をついてしまう。
「美味しい、枝豆もうまそう」
「ここは焼き鳥もうまいで、しかもそんな高ないし」
泰生は勧められて枝豆を摘む。莢から出して口に入れると、香ばしかった。
大切なことを思い出し、おしぼりで手を拭いて鞄を開ける。
「あのな、もし行けそうやったらこれ行かへん?」
泰生が楽器店で貰った、弦楽器フェアのチラシを見せると、岡本はひゃっ! と変な悲鳴を上げた。
「楽器買うんか! 長谷川って実はええとこの子なん?」
これには泰生も驚いたが、説明不足だったのでまず岡本に詫びる。
「楽器も買わへんしええとこの子ちゃう、松脂を試せるんやって」
「松脂?」
岡本は目を丸くし、違った意味の驚きを見せた。
「最近ずっとこだわってない? ヤニの呪いにかかってる?」
「呪いって何や……だって何かええ楽器に当たってしもたから、ヤニも選びたいかなって」
「ふうん……俺楽器買う気無いけど試奏しよかな」
チェロとコントラバスは、同じくらいの価格だ。安いものは10万円台、高いものは天井知らずである。
「でも必死でバイトしたら手ぇ届く値段やったりするし、試したら欲しなるやろ」
「それは言うな、手が届いたとしてどこに置いとくねん」
確かに。泰生が笑った時、焼き鳥の盛り合わせがやってきた。
「うまそう、どれする?」
「皮は譲れへんけどあとは長谷川の好きなん食べて」
岡本が皮を自分の取り皿に移したので、泰生はふっくらしたねぎまを取る。かぶりつくと、肉もたれも美味で、幸福感が増した。
泰生が食べるのを眺めていた岡本は、だしぬけに言った。
「ごめんな、管弦楽団に強引に誘って」
「……へ?」
「悪い癖なんや」
岡本は皮に手もつけず、昔の話をした。中学の頃から親しかった友達を、高校に入学して直ぐにバスケットボール部に誘った。友達があまり乗り気でないのは察していたが、岡本は彼と一緒に楽しみたかったし、きっと面白さをわかってくれると思っていた。
「でも面白くなかったみたいでな、やる気無いまま練習してたから怪我してん……そのままそいつはクラブ辞めて、クラスも離れたから疎遠になって、そのまま卒業した」
岡本は自分を責めているようだった。しかし、バスケットボール部に入ると決めたのは友達なのだから、岡本に責任は無いと泰生は思う。ただ、そうストレートに伝えると、岡本が大切にしていた人を貶すことになりそうなので、泰生は言葉を選んだ。
「その子のことはわからんけど、少なくとも俺は、仕方なく管弦楽団に入ることにしたんちゃうで……吹部辞める時にちょっといろいろあったんやけど、楽器弾くこととは別やってわかったから」
感謝とまでは言わないが、自分を見つめ直すきっかけをくれた岡本に対して、悪い感情を持つ理由が無かった。
岡本は泰生の言葉にほっとしたのか、微笑して皮の串を手に取る。それを見て泰生は、乾いた喉にビールが沁みるような心地良さを、胸の深いところで感じた。
カラカラに乾いていたのは、喉ではなく心の中だった。そして朗らかで人当たりのいい岡本にも、密かにカラカラになっている場所があったようだ。彼は2杯目のビールを注文すべく、呼び鈴を押した。
「ありがと、そう言うてくれるんやったら救われる」
「うん、だいぶ迷ったけど俺は自分の選択を信じてる、というか信じたい」
互いの乾いた場所に水を注ぐことが、親しくなるというプロセスそのものなのかもしれない。泰生はつくねの串に手を伸ばした。
「美味しい、枝豆もうまそう」
「ここは焼き鳥もうまいで、しかもそんな高ないし」
泰生は勧められて枝豆を摘む。莢から出して口に入れると、香ばしかった。
大切なことを思い出し、おしぼりで手を拭いて鞄を開ける。
「あのな、もし行けそうやったらこれ行かへん?」
泰生が楽器店で貰った、弦楽器フェアのチラシを見せると、岡本はひゃっ! と変な悲鳴を上げた。
「楽器買うんか! 長谷川って実はええとこの子なん?」
これには泰生も驚いたが、説明不足だったのでまず岡本に詫びる。
「楽器も買わへんしええとこの子ちゃう、松脂を試せるんやって」
「松脂?」
岡本は目を丸くし、違った意味の驚きを見せた。
「最近ずっとこだわってない? ヤニの呪いにかかってる?」
「呪いって何や……だって何かええ楽器に当たってしもたから、ヤニも選びたいかなって」
「ふうん……俺楽器買う気無いけど試奏しよかな」
チェロとコントラバスは、同じくらいの価格だ。安いものは10万円台、高いものは天井知らずである。
「でも必死でバイトしたら手ぇ届く値段やったりするし、試したら欲しなるやろ」
「それは言うな、手が届いたとしてどこに置いとくねん」
確かに。泰生が笑った時、焼き鳥の盛り合わせがやってきた。
「うまそう、どれする?」
「皮は譲れへんけどあとは長谷川の好きなん食べて」
岡本が皮を自分の取り皿に移したので、泰生はふっくらしたねぎまを取る。かぶりつくと、肉もたれも美味で、幸福感が増した。
泰生が食べるのを眺めていた岡本は、だしぬけに言った。
「ごめんな、管弦楽団に強引に誘って」
「……へ?」
「悪い癖なんや」
岡本は皮に手もつけず、昔の話をした。中学の頃から親しかった友達を、高校に入学して直ぐにバスケットボール部に誘った。友達があまり乗り気でないのは察していたが、岡本は彼と一緒に楽しみたかったし、きっと面白さをわかってくれると思っていた。
「でも面白くなかったみたいでな、やる気無いまま練習してたから怪我してん……そのままそいつはクラブ辞めて、クラスも離れたから疎遠になって、そのまま卒業した」
岡本は自分を責めているようだった。しかし、バスケットボール部に入ると決めたのは友達なのだから、岡本に責任は無いと泰生は思う。ただ、そうストレートに伝えると、岡本が大切にしていた人を貶すことになりそうなので、泰生は言葉を選んだ。
「その子のことはわからんけど、少なくとも俺は、仕方なく管弦楽団に入ることにしたんちゃうで……吹部辞める時にちょっといろいろあったんやけど、楽器弾くこととは別やってわかったから」
感謝とまでは言わないが、自分を見つめ直すきっかけをくれた岡本に対して、悪い感情を持つ理由が無かった。
岡本は泰生の言葉にほっとしたのか、微笑して皮の串を手に取る。それを見て泰生は、乾いた喉にビールが沁みるような心地良さを、胸の深いところで感じた。
カラカラに乾いていたのは、喉ではなく心の中だった。そして朗らかで人当たりのいい岡本にも、密かにカラカラになっている場所があったようだ。彼は2杯目のビールを注文すべく、呼び鈴を押した。
「ありがと、そう言うてくれるんやったら救われる」
「うん、だいぶ迷ったけど俺は自分の選択を信じてる、というか信じたい」
互いの乾いた場所に水を注ぐことが、親しくなるというプロセスそのものなのかもしれない。泰生はつくねの串に手を伸ばした。
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