夏の扉が開かない

穂祥 舞

文字の大きさ
上 下
36 / 55
3 7月下旬

夏の自由研究:ベストな松脂とは②

しおりを挟む
「一番オーソドックスで初心者も使いやすい商品です、吹奏楽も管弦楽もいけますし、使い慣れてらっしゃるならこれでもいいと思います」
「松脂でそんなに音変わるんですか?」
「変わりますよ、特にコントラバスはクラシックとジャズで使い分けるかたもいらっしゃいます」

 吹奏楽部では弦楽器はコントラバスしか無いため、情報弱者になりがちだ。泰生は店員の説明を聞きながら、自分がかなりぼんやりと楽器に接してきたことを痛感させられる。

「弦が太いから弓に引っかかりやすいように、基本的にチェロやヴァイオリンの松脂より柔らかいんです……そのせいかこだわる人も多いです、本当はいろいろ試して好みの感触を見つけられるといいんですけど」

 泰生は数種類のコントラバス用松脂を見つめ、迷う。そして、考えたことをつい垂れ流してしまった。

「何か、松脂お試しアソートパックとかあったらええのに……」

 店員は面白そうに、いいですね、と笑った。

「管弦楽団なら何人かコントラバスいますよね? 皆さんいろいろお使いなら、お試し会をしてみたらどうでしょう……あ、もしよかったらこれを」

 店員は棚の裏のチラシホルダーから、紙を一枚抜いて泰生に手渡した。この楽器店の大阪駅近くの店舗で、弦楽器フェアを開催しているという。

「店舗で取り扱ってる松脂をお試しできる日があるんですよ、お問い合わせなさってみてください」

 泰生は驚いた。やはり松脂は、弦楽器奏者にとってそれほど大事なものなのだ。そしてこの間、岡本からチェロの松脂を安易に借りたのは少々まずかったと思い、ひとり密かに反省する。
 店員は、泰生の持ってきた松脂のケースの蓋を開けて、失礼しますと言いながら中身に指で触れた。

「ちょっと硬くなってきてますね、コントラバスの松脂は3、4年くらいで限界なので」

 やはりそうなのか。コントラバスは図体もやたらデカいし、まったく不経済な奴だと泰生は思った。
 店員は、慣れない客に今すぐ決めて買えと言わなかった。おそらく自身も弦楽器奏者で、松脂選びに悩まされたことがあるのだろう。

「まだこれいけますから、研究なさってから買っても遅くないですよ」
「あ、とりあえず他のメンバーが何使ってるかリサーチしてみます……」

 親切な店員に申し訳なかったので、弦をきれいに保つためにお薦めだという、ストリングクリーナーを買った。
 店員に礼を言って、泰生は楽器店を辞した。松脂はどうも、この夏の自由研究の対象にする必要がありそうだ。三村などはいかにも松脂にこだわっていそうではないか。自分で訊くのは関係性的にまだちょっと微妙なので、岡本にどこの松脂を使っているのか、訊いてもらおうと思った。
 泰生は腕時計をちらっと見て、ちょっと楽しい気分になりながら、兄との待ち合わせ場所である書店に向かった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

タダで済むと思うな

美凪ましろ
ライト文芸
 フルタイムで働きながらワンオペで子育てをし、夫のケアもしていた井口虹子は、結婚十六年目のある夜、限界を迎える。  ――よし、決めた。  我慢するのは止めだ止め。  家族のために粉骨砕身頑張っていた自分。これからは自分のために生きる!  そう決めた虹子が企てた夫への復讐とは。 ■十八歳以下の男女の性行為があります。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

処理中です...