夏の扉が開かない

穂祥 舞

文字の大きさ
上 下
34 / 55
2 7月中旬

母とトマトと加太②

しおりを挟む
 泰生はへ? と言って顔を上げた。加太の海水浴場の話題は確かに出したが、いつの間にそんな話になったのだろうか。

「だいぶ遠いけど、ええんか?」
「ええやろ、友樹もあんたも彼女できると思たら、もう最後の家族旅行になるかも知れんしな」

 母は何となく浮かれているようである。泰生は2個目のトマトをまな板に置いた。

「おかん、加太って行ったことあるん?」
「あるで、お父さんと結婚する前で、あんな可愛らしい電車走ってなかった頃やけど」

 結婚する前という言葉に何か含みがある感じがしたので、一応突っ込んでおく。

「何やそれ、おとんと違う男と行ったとか? ウケる」
「そうや、これでも私、人並みにモテたんやから」

 泰生は思わず母の顔を見た。地雷を踏んだと思ったが、母は微妙に自慢げである。

「あんたのおかんはそういうことやから、あんたも自信持って新しいクラブで彼女探しなはれ」
「……ちょっと待てや、おかんが若い時それなりに遊んでたんはええとして、俺の彼女探しはどっから来たんや」

 母は濡れた手を拭いて、目を瞬く。嫌な予感しかしなかった。

「あんた、好きな子に振られたから吹奏楽部辞めたんちゃうんか? 友樹が何かそんな言い方しとったから」
「ちょ、兄貴のその妄想何なん……」

 言いながらも泰生は、自分の態度から兄が何かを感じ取っていたらしいことにどきどきしてしまう。母はややテンションが下がったようだった。

「違うん? あ、ちょっと先に加太の宿押さえるで、トマト切れたら玉ねぎ薄切りできる?」
「ラジャー」

 母がそちらに気を持って行かれたことに泰生はほっとした。ノートパソコンをキッチンテーブルに持ってきて、母はあけすけに語り始める。

「トマトが好きな人やってん……どこに何食べに行っても、いっつもトマトスライスとか頼んで、おかげで私までトマトの味にうるさい女になってしもたわ」

 4個のトマトを無事切り終えた泰生は、玉ねぎの皮を剥き始めた。目に染みるので、無意味だが腕を伸ばして玉ねぎを遠ざける。

「そのトマトマン、学生時代につき合っとったん?」
「うん、2年交際したけど、就職して東京に行ってしもたから、自然消滅や……遠距離で頑張るほど好きじゃなかったんかなって、今更思う」

 母の懐かしそうな昔語りからは、トマトマンへの未練などは感じられなかった。父とは社会人になって3年目くらいに出逢ったと聞いたことがあるので、その彼とのことが完全に終わった後だったのだろう。
 縁があれば、という昨日の石田の言葉を思い出す。母はトマトマンとは、縁が無かった。でも、加太という土地や美味しいトマトは、彼女の胸に美しい(?)思い出を呼び起こす。
 それも一種の縁なんかな。泰生は何となく、そんな思いを愛おしく感じつつ、玉ねぎにゆっくりと包丁を入れた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

タダで済むと思うな

美凪ましろ
ライト文芸
 フルタイムで働きながらワンオペで子育てをし、夫のケアもしていた井口虹子は、結婚十六年目のある夜、限界を迎える。  ――よし、決めた。  我慢するのは止めだ止め。  家族のために粉骨砕身頑張っていた自分。これからは自分のために生きる!  そう決めた虹子が企てた夫への復讐とは。 ■十八歳以下の男女の性行為があります。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

処理中です...