夏の扉が開かない

穂祥 舞

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1 7月上旬

兄と夕涼み①

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 泰生がベランダに出て、外の風と暮れて来た空を楽しんでいると、兄の友樹ともきが仕事から帰ってきた。日が長いので、もうそんな時間かと思う。

「ただいま、何黄昏てるん」

 友樹はリビングを通過して、そのまま泰生のところへやってくる。サンダルは泰生が使っているので、靴下履きのままである。3つ上の兄は、京都の大学を出てから大阪の会社に勤務し始めて2年目だが、特に会社で何かに悩まされることもなく、順調な社会人生活を送っているようだ。

「あ、空きれいやなぁ」

 友樹は梅雨の晴れ間の美しい空を見上げて、言った。泰生も兄の言葉に、うん、と同意した。吹く風も今日は爽やかなほうで、良い夕涼みだ。

「伏見のキャンパスどう? 近いしええんちゃうん?」

 友樹に訊かれて、泰生は素直に、うん、と答えた。

「駅チカやし、広いし、緑も多いし」

 友樹の大学くらいしか比較の対象を知らないが、伏見キャンパスは大学らしい気がする。少し古めの校舎がいくつも建ち、食堂が複数あって、学生が気軽に溜まることのできるスペースが多い。不満を挙げるとしたら、下京キャンパスと比べて周辺に飲食店が少ないことくらいだろうか。とはいえ飲み食いする場所も、部活動をしていなければほぼ用は無い。
 弟がぼんやり答えるのを聞いて、友樹はふんふんと頷いた。

「あそこはまだ、外国人観光客にぎりぎり侵されてへんしな」

 泰生が3月まで通っていた下京キャンパスは京都駅が最寄りだったので、外国人が多かった。観光客を歓迎しない訳ではないが、特に京都駅以北の公共交通機関の混雑状況は異様で、泰生の目から見ても、まさしくオーバーツーリズムである。
 兄の卒業した大学は京都御所に近い場所にあるので、今は観光客だらけのようだが、彼が学生の頃は、まだここまで京都は大変なことになっていなかった。

「申し訳ないけど、就職して京都脱出できてよかったと思てる……」

 友樹は呟いてから、そよと吹いた風に鼻をうごめかすような姿勢になった。泰生もそれを真似ると、匂ったのは夏の緑などではなく、近所の夕飯のカレーだった。
 泰生はベランダから、キッチンにいる母に、夕ご飯何? と訊いた。母の返事は早かった。

「焼き鳥と、なすの揚げ浸しと、豆腐とわかめの味噌汁やけど、何?」
「別にいちゃもんはつけてへんで」
「当たり前や、いちゃもんつけるんやったら自分で作り」

 何故か喧嘩腰の母に、泰生はむかっとしたが、友樹は小さく笑った。母は友樹にも呼びかける。

「ともちゃん、汗かくから着替えなさい……もうほんま、何でごつい息子にこんなん言わなあかんのやろか」
「何でそんな絡んでくんねん、パートで何かあったんか」
「そんなん、いっつも何かあるわ」
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