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越の国に咲く椿
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風呂を溜める用意をしてきた晶が、今週末は被災地支援を兼ねて旅行に行くと言い出した。
「石川県の温泉に行こう」
洗濯した枕カバーをつけていた晴也の眠気が、一気に覚めた。
「えっ! 遠いし、余震とか大丈夫なのか?」
「地震は微妙だけど、金沢市周辺はライフラインとか問題無いから、むしろ来てほしいって」
晶の会社の得意先に金沢出身の担当者がおり、最近そんな話をしたらしい。温泉旅行に行きたいという話をずっと伸ばし伸ばしにしていたので、晴也はまあいいかと思った。驚きが醒めると、素直に楽しみになった。
東京から金沢まで北陸新幹線で2時間半、さらに路線バスで30分の湯涌温泉に、晶の選んだ宿はあった。高校を卒業してイギリスに長く暮らした晶は、日本国内をあまり知らない。北陸は晴也も初めてだが、晶はかなりハイテンションで、チェックインができる4時には宿に着けるよう予定を組んでいた。
北陸は雪だった。小さな温泉街が薄く積もる雪と湯煙に滲み、晴也は異世界に来たような気分になる。吐く息が全て白く視覚化され、傘に雪が落ちる微かな音がした。寒いけれど、何かとても美しい。
「ちょっと東京周辺では味わえない風情だな」
「竹久夢二に縁のある温泉らしいよ、それだけでロマンチック感アップだ」
晶はいつもよりゆっくり歩きながら、答えた。雪に警戒しているのだ。彼が転んで脚を怪我などしたら副業にかかわるので、晴也も彼に合わせてゆっくり進む。
宿に着くと随分歓迎されたような気がした。2人のバッグを運んでくれた仲居は、本当なら週末は満室になるシーズンだけれど、やはり地震の影響でやや客足が落ちていると話す。彼女は非常出口を丁寧に説明してくれた。
「夕飯は7時で承りました……寒いのがお嫌でなければ、お庭をご覧になってからお風呂にお入りくださいな」
仲居が去ると、晶は彼女の勧めに従う気満々だった。あまり寒いのは好きでない晴也だが、北陸の雪景色は悪くないので、コートに腕を通した。
旅館の庭に出るための踏石には長靴が用意してあり、晴也は軽くはしゃぎつつそれに足を入れた。備え付けられていた風情のある番傘は大きく、晶が手に持つ。
「相合傘しよう」
晴也は晶に寄り添い、長靴で雪を踏みしめながら散歩した。寒さに慣れてくると、こんな雪の中でも鳥が飛び、冬の花が咲いているのが目に入って、生命の営みみたいなものを感じる。
「あ、椿だ」
晴也は晶の腕を軽く引いて、赤い花が沢山咲いている背の低い木に近づいた。晶も興味深そうに、丸く咲く花に顔を近づける。
「東京で咲いてるやつより大きいし、花の色が濃いな」
「種類が違うとか?」
花が丸ごと落ちる椿は不吉だとも言われるが、白く積もった雪の上に赤い色が映え、落ちている花も美しい。晶はそれをひとつ拾い、芝居がかって晴也に差し出す。
「この花が枯れる頃に……」
デュマ・フィスの『椿姫』だ。それくらいは晴也も知っていた。晴也は自分を見る晶から、上目遣いで花を受け取ったが、物語が悲恋なので少しもやっとしてしまう。
「……俺はショウさんと会えなくなって、知らない間にショウさんが死んでたとか嫌だぞ」
「は?」
真面目な顔で言う晴也に、晶は高い声を上げた。
「どういう連想なんだハルさん、雪景色におセンチになりましたか?」
言われて少し考えた晴也は、おセンチになる原因に思い当たる。
「うーん、春にショウさんがロンドンに長期出張するからかな?」
「あっそうか、温泉に誘ったのはそんなつもりはなかったんだけど、意識させたかな」
晶は5月にロンドンで舞台に上がることが決まっており、練習のために3月下旬に出発する。彼の舞台を妹と観に行くつもりでいる晴也だが、晶と2ヶ月離れることに変わりはない。
するといきなり、ぎゅっと肩を抱き寄せられて、晴也はよろけてしまった。うわ、と言いながら晶に抱きつく。
「ハルさんは昔、思ったことの半分も俺に話してくれなかったから、これは成長だなぁ」
前回晶がロンドンに出かけた時、晴也は寂しさや不安を口に出せずに暴発させて、晶に迷惑をかけた。彼はそれを言っているらしい。晴也は頬が熱くなるのを見られないよう、俯いたまま応じた。
「うんまあ、反省を踏まえて」
「また俺の勝手につき合わせることになるな」
「馬鹿……好きなだけ踊ってこいよ、ただし元気で戻ってくるように」
晴也がそう言うと、晶は腕に力を入れた。静かに降る雪が、少し波立った気持ちを鎮めてくれる。
「さてさて、かなり寒いから温泉行こうか」
頭上から降る晶の声に、晴也はゆっくり腕を解いた。手袋を嵌めた右手には赤い椿が握られたままだったが、花は崩れていない。
相合傘のまま建物のほうに戻る。晴也は右手に椿の花を載せて、左手で晶の腕をそっと取った。お風呂も夕飯も、その時の晶との語らいも楽しみだった。
〈初出 2024.1.20 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題:雪景色、椿〉
能登半島の地震から間もなく1カ月です。被災地の暮らしが1日でも早く復旧しますよう。
私は雪の季節に北陸に行ったことが無く、この作品は城崎温泉の記憶を元にしていますが、冬の北陸の温泉に行きたいですね。
「石川県の温泉に行こう」
洗濯した枕カバーをつけていた晴也の眠気が、一気に覚めた。
「えっ! 遠いし、余震とか大丈夫なのか?」
「地震は微妙だけど、金沢市周辺はライフラインとか問題無いから、むしろ来てほしいって」
晶の会社の得意先に金沢出身の担当者がおり、最近そんな話をしたらしい。温泉旅行に行きたいという話をずっと伸ばし伸ばしにしていたので、晴也はまあいいかと思った。驚きが醒めると、素直に楽しみになった。
東京から金沢まで北陸新幹線で2時間半、さらに路線バスで30分の湯涌温泉に、晶の選んだ宿はあった。高校を卒業してイギリスに長く暮らした晶は、日本国内をあまり知らない。北陸は晴也も初めてだが、晶はかなりハイテンションで、チェックインができる4時には宿に着けるよう予定を組んでいた。
北陸は雪だった。小さな温泉街が薄く積もる雪と湯煙に滲み、晴也は異世界に来たような気分になる。吐く息が全て白く視覚化され、傘に雪が落ちる微かな音がした。寒いけれど、何かとても美しい。
「ちょっと東京周辺では味わえない風情だな」
「竹久夢二に縁のある温泉らしいよ、それだけでロマンチック感アップだ」
晶はいつもよりゆっくり歩きながら、答えた。雪に警戒しているのだ。彼が転んで脚を怪我などしたら副業にかかわるので、晴也も彼に合わせてゆっくり進む。
宿に着くと随分歓迎されたような気がした。2人のバッグを運んでくれた仲居は、本当なら週末は満室になるシーズンだけれど、やはり地震の影響でやや客足が落ちていると話す。彼女は非常出口を丁寧に説明してくれた。
「夕飯は7時で承りました……寒いのがお嫌でなければ、お庭をご覧になってからお風呂にお入りくださいな」
仲居が去ると、晶は彼女の勧めに従う気満々だった。あまり寒いのは好きでない晴也だが、北陸の雪景色は悪くないので、コートに腕を通した。
旅館の庭に出るための踏石には長靴が用意してあり、晴也は軽くはしゃぎつつそれに足を入れた。備え付けられていた風情のある番傘は大きく、晶が手に持つ。
「相合傘しよう」
晴也は晶に寄り添い、長靴で雪を踏みしめながら散歩した。寒さに慣れてくると、こんな雪の中でも鳥が飛び、冬の花が咲いているのが目に入って、生命の営みみたいなものを感じる。
「あ、椿だ」
晴也は晶の腕を軽く引いて、赤い花が沢山咲いている背の低い木に近づいた。晶も興味深そうに、丸く咲く花に顔を近づける。
「東京で咲いてるやつより大きいし、花の色が濃いな」
「種類が違うとか?」
花が丸ごと落ちる椿は不吉だとも言われるが、白く積もった雪の上に赤い色が映え、落ちている花も美しい。晶はそれをひとつ拾い、芝居がかって晴也に差し出す。
「この花が枯れる頃に……」
デュマ・フィスの『椿姫』だ。それくらいは晴也も知っていた。晴也は自分を見る晶から、上目遣いで花を受け取ったが、物語が悲恋なので少しもやっとしてしまう。
「……俺はショウさんと会えなくなって、知らない間にショウさんが死んでたとか嫌だぞ」
「は?」
真面目な顔で言う晴也に、晶は高い声を上げた。
「どういう連想なんだハルさん、雪景色におセンチになりましたか?」
言われて少し考えた晴也は、おセンチになる原因に思い当たる。
「うーん、春にショウさんがロンドンに長期出張するからかな?」
「あっそうか、温泉に誘ったのはそんなつもりはなかったんだけど、意識させたかな」
晶は5月にロンドンで舞台に上がることが決まっており、練習のために3月下旬に出発する。彼の舞台を妹と観に行くつもりでいる晴也だが、晶と2ヶ月離れることに変わりはない。
するといきなり、ぎゅっと肩を抱き寄せられて、晴也はよろけてしまった。うわ、と言いながら晶に抱きつく。
「ハルさんは昔、思ったことの半分も俺に話してくれなかったから、これは成長だなぁ」
前回晶がロンドンに出かけた時、晴也は寂しさや不安を口に出せずに暴発させて、晶に迷惑をかけた。彼はそれを言っているらしい。晴也は頬が熱くなるのを見られないよう、俯いたまま応じた。
「うんまあ、反省を踏まえて」
「また俺の勝手につき合わせることになるな」
「馬鹿……好きなだけ踊ってこいよ、ただし元気で戻ってくるように」
晴也がそう言うと、晶は腕に力を入れた。静かに降る雪が、少し波立った気持ちを鎮めてくれる。
「さてさて、かなり寒いから温泉行こうか」
頭上から降る晶の声に、晴也はゆっくり腕を解いた。手袋を嵌めた右手には赤い椿が握られたままだったが、花は崩れていない。
相合傘のまま建物のほうに戻る。晴也は右手に椿の花を載せて、左手で晶の腕をそっと取った。お風呂も夕飯も、その時の晶との語らいも楽しみだった。
〈初出 2024.1.20 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題:雪景色、椿〉
能登半島の地震から間もなく1カ月です。被災地の暮らしが1日でも早く復旧しますよう。
私は雪の季節に北陸に行ったことが無く、この作品は城崎温泉の記憶を元にしていますが、冬の北陸の温泉に行きたいですね。
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