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福原さんの公然の秘密
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福原さんがちらっと腕時計を見る。僕はそれで、もうすぐ終業時間だなと察する。
福原さんは、新入社員の僕に総務課の仕事を、文字通り手取り足取り教えてくれた。彼は備品管理のリーダーで、庶務みたいな仕事もしている。目立つ仕事ではないし、福原さん自身も地味だけれど、彼がここを固めておいてくれるからこそ、皆安心して仕事ができる面がある。それくらいは、だんだんわかってきたので、僕も至らないなりに一生懸命やっているつもりだ。
福原さんは、水曜と木曜はかなり高い確率で定時に上がる。僕はつい最近まで知らなかったのだが、夜の仕事をしているからである。借金でもあるのかと思いきや、単なる趣味らしい。本人に訊けば早いのだが、普段あまり余計な話をしたくなさそうな福原さんに、尋ねることはしていない。
僕は一大決心をして、福原さんの趣味と実益を兼ねているのは何なのか、今夜突き止める決心をしていた。気になって仕方がないことを放置するのは、好きじゃない。
5時。のんびりと、終業の合図のチャイムが鳴った。総務課の残業は月末以外は少ないほうで、おつかれ、と言いながら皆がたがたと机を離れていく。福原さんも、お先です、と眼鏡の奥の目を伏せがちにして、総務課の部屋を出て行った。
僕は福原さんがエレベーターに乗ったのを見届けて、エレベーター待ちを嫌う社員と一緒に非常階段を降りる。ちょっと階段のせいで目が回りつつビルを出ると、駅に向かう人波の中に、福原さんの明るい色の髪が見え隠れしていた。
山手線に乗り、福原さんは新宿で降りた。尾行する僕に気づく様子も無い彼が向かったのは、2丁目だった……えっ、マジですか? 僕はこの辺りを全く知らない。しかも福原さんが入ったのは、古くて小さな、胡散臭い雑居ビルである。僕は出来心で始めた探偵ごっこに、既に後悔を覚えていた。
福原さんだけを乗せたであろう小さなエレベーターは、3階で止まっている。壁に貼られた薄汚れた案内板を見ると、ワンフロアに1店舗しかないらしく、3階は「めぎつね」と書かれていた。
僕は一旦ビルの外に出て、検索してみた。新宿2丁目、めぎつね……すぐにヒットした。何と、女装バーではないか! しかも口コミ評価が高い。ホステスたちの写真は無いが、投稿された口コミには、皆男性とは思えないほどきれいで、フレンドリーだと書かれている。マジですか……福原さんが女装して、ここでホステスを?
開店は19時となっていた。僕は駅前の喫茶店で時間を潰して、再度雑居ビルに向かった。エレベーターで一緒になった中年のサラリーマンも3階で降りたので、どきどきしながらついて行った。
「いらっしゃいませ」
低い声の美女たち4人に迎えられ、僕の脳がバグを起こしそうだった。この人たち、ほんとに男なのか? 店内は明るく、想像していたような退廃した感じは無い。先に入ったサラリーマンは、後で連れが来ると言ってテーブル席に向かい、僕は1人だと申告して、カウンター席に通された。
カウンターの中にいた明るい髪の美女に、僕の目は釘づけになる。眼鏡をしていないし、丁寧にアイメイクを施し口紅をつけているが、福原さんに間違いなかった。彼女、いや彼はおしぼりを出しながら僕の顔を見て、おっ、とおやじのように言った。
「秋山? 1人で来たのか?」
話し方は普段通り、しかも僕がここにいることに微塵の焦りも見せない福原さんに、僕のほうが緊張してしまう。
「はっ、はい、副業をしてらっしゃると聞いて……一体何をなさってるのかと」
「あれっ、今まで誰からも聞かされてないのか?」
福原さんがメニューを出したので、とりあえずビールを頼んだ。
「俺のバイトは結構皆知ってるし、たまに飲みに来る人もいるんだけど」
僕は驚く。確かに会社は副業を禁じてはいないが、そんなに水商売を堂々と……しかも地味で真面目な福原さんが……。
店の扉にぶら下がったベルが鳴り、複数の男の声がした。
「こんばんはハルちゃん、やっと涼しくなったね」
「おおっ、ハルちゃんがニット着てる、秋になったって感じするなぁ」
福原さんは、会社では見たことがないような笑顔と明るい声で、いらっしゃい、と応じた。
ハルちゃん(下の名前の晴也から源氏名をつけたそうだ)こと福原さんは、人気者だった。店を訪れる老若男女が皆彼と話したがり、彼はお酒とおつまみの載った盆を持ちくるくると歩き回る。僕はそれを見慣れるのに時間がかかった。だって会社では、あまり誰とも口をきかず、僕にずっとついていてくれるから。
「うちの課で新入社員は秋山1人だもんなぁ、年齢が近い人と交流できるようにちょっと考えるよ」
福原さんは僕が独りでこの店に来たから、ぼっちだと思って同情していた。別にそんな気遣いは欲していないのだけれど。
眉の裾を下げて申し訳なさそうに言う彼が綺麗で、目が離せなくて困ってしまった。
そんな訳で、以来総務課では、僕がいろいろな人と話ができるように気を遣ってくれている。でも、福原さんから教えてもらうことが少し減ったこともあり、彼と話す時間も減ったのが僕は寂しい。
終業のチャイムが鳴る少し前に福原さんが時計を見ると、何だか僕は切なくなる。だってこれから福原さんは、僕の指導担当でなく、人気ホステスの「めぎつねのハル」に変身するから。
〈初出 2023.8.5 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題:5時のチャイム、センチメンタル〉
福原さんは、新入社員の僕に総務課の仕事を、文字通り手取り足取り教えてくれた。彼は備品管理のリーダーで、庶務みたいな仕事もしている。目立つ仕事ではないし、福原さん自身も地味だけれど、彼がここを固めておいてくれるからこそ、皆安心して仕事ができる面がある。それくらいは、だんだんわかってきたので、僕も至らないなりに一生懸命やっているつもりだ。
福原さんは、水曜と木曜はかなり高い確率で定時に上がる。僕はつい最近まで知らなかったのだが、夜の仕事をしているからである。借金でもあるのかと思いきや、単なる趣味らしい。本人に訊けば早いのだが、普段あまり余計な話をしたくなさそうな福原さんに、尋ねることはしていない。
僕は一大決心をして、福原さんの趣味と実益を兼ねているのは何なのか、今夜突き止める決心をしていた。気になって仕方がないことを放置するのは、好きじゃない。
5時。のんびりと、終業の合図のチャイムが鳴った。総務課の残業は月末以外は少ないほうで、おつかれ、と言いながら皆がたがたと机を離れていく。福原さんも、お先です、と眼鏡の奥の目を伏せがちにして、総務課の部屋を出て行った。
僕は福原さんがエレベーターに乗ったのを見届けて、エレベーター待ちを嫌う社員と一緒に非常階段を降りる。ちょっと階段のせいで目が回りつつビルを出ると、駅に向かう人波の中に、福原さんの明るい色の髪が見え隠れしていた。
山手線に乗り、福原さんは新宿で降りた。尾行する僕に気づく様子も無い彼が向かったのは、2丁目だった……えっ、マジですか? 僕はこの辺りを全く知らない。しかも福原さんが入ったのは、古くて小さな、胡散臭い雑居ビルである。僕は出来心で始めた探偵ごっこに、既に後悔を覚えていた。
福原さんだけを乗せたであろう小さなエレベーターは、3階で止まっている。壁に貼られた薄汚れた案内板を見ると、ワンフロアに1店舗しかないらしく、3階は「めぎつね」と書かれていた。
僕は一旦ビルの外に出て、検索してみた。新宿2丁目、めぎつね……すぐにヒットした。何と、女装バーではないか! しかも口コミ評価が高い。ホステスたちの写真は無いが、投稿された口コミには、皆男性とは思えないほどきれいで、フレンドリーだと書かれている。マジですか……福原さんが女装して、ここでホステスを?
開店は19時となっていた。僕は駅前の喫茶店で時間を潰して、再度雑居ビルに向かった。エレベーターで一緒になった中年のサラリーマンも3階で降りたので、どきどきしながらついて行った。
「いらっしゃいませ」
低い声の美女たち4人に迎えられ、僕の脳がバグを起こしそうだった。この人たち、ほんとに男なのか? 店内は明るく、想像していたような退廃した感じは無い。先に入ったサラリーマンは、後で連れが来ると言ってテーブル席に向かい、僕は1人だと申告して、カウンター席に通された。
カウンターの中にいた明るい髪の美女に、僕の目は釘づけになる。眼鏡をしていないし、丁寧にアイメイクを施し口紅をつけているが、福原さんに間違いなかった。彼女、いや彼はおしぼりを出しながら僕の顔を見て、おっ、とおやじのように言った。
「秋山? 1人で来たのか?」
話し方は普段通り、しかも僕がここにいることに微塵の焦りも見せない福原さんに、僕のほうが緊張してしまう。
「はっ、はい、副業をしてらっしゃると聞いて……一体何をなさってるのかと」
「あれっ、今まで誰からも聞かされてないのか?」
福原さんがメニューを出したので、とりあえずビールを頼んだ。
「俺のバイトは結構皆知ってるし、たまに飲みに来る人もいるんだけど」
僕は驚く。確かに会社は副業を禁じてはいないが、そんなに水商売を堂々と……しかも地味で真面目な福原さんが……。
店の扉にぶら下がったベルが鳴り、複数の男の声がした。
「こんばんはハルちゃん、やっと涼しくなったね」
「おおっ、ハルちゃんがニット着てる、秋になったって感じするなぁ」
福原さんは、会社では見たことがないような笑顔と明るい声で、いらっしゃい、と応じた。
ハルちゃん(下の名前の晴也から源氏名をつけたそうだ)こと福原さんは、人気者だった。店を訪れる老若男女が皆彼と話したがり、彼はお酒とおつまみの載った盆を持ちくるくると歩き回る。僕はそれを見慣れるのに時間がかかった。だって会社では、あまり誰とも口をきかず、僕にずっとついていてくれるから。
「うちの課で新入社員は秋山1人だもんなぁ、年齢が近い人と交流できるようにちょっと考えるよ」
福原さんは僕が独りでこの店に来たから、ぼっちだと思って同情していた。別にそんな気遣いは欲していないのだけれど。
眉の裾を下げて申し訳なさそうに言う彼が綺麗で、目が離せなくて困ってしまった。
そんな訳で、以来総務課では、僕がいろいろな人と話ができるように気を遣ってくれている。でも、福原さんから教えてもらうことが少し減ったこともあり、彼と話す時間も減ったのが僕は寂しい。
終業のチャイムが鳴る少し前に福原さんが時計を見ると、何だか僕は切なくなる。だってこれから福原さんは、僕の指導担当でなく、人気ホステスの「めぎつねのハル」に変身するから。
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