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同窓会の女
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その女は優雅に日傘をさし、陽炎のように立ち昇る熱をサンダル履きの足でさばきながら近づいてきた。その華奢な姿がやや現実離れして見えたのは、博樹が暑さにやられつつあったからかもしれない。彼女は、博樹の前を素通りしてホテルに入って行った。知らない人だ。しかし何故か、水色のワンピースを着た彼女への既視感が拭えなかった。
「おーっ博樹久しぶり、暑いのにこんなとこで待たなくても」
同期の山岡の姿が見えて、博樹はほっとした。
「久しぶり、だって会場で上の先輩とかにいちいち挨拶すんのうざいし」
「それはわかるけど熱中症になるぞ……とりあえず行こうや」
M大学の公認サークル・古都研究会で、25年間顧問を務めてくれていた教授が、この春退官した。今日は教授の慰労パーティと、サークルの同窓会を兼ねた集まりがある。
どうしてこんな暑い時期に企画されたのか甚だ疑問ではあったが、結構いいホテルで、卒業生が集まろうと言い出すほどには、教授は慕われている。3階の宴会場の前にはずらりと机が並べられ、25学年の代表者がわちゃくちゃと受付をしていた。博樹たちの回生を取りまとめているのは、三松佑介と惠の同期生夫婦である。
「田上くん、久しぶりだねぇ! 山岡くんも、暑いから中で何か飲んでて」
「おう、いつも任せて悪いな」
応じる山岡がややおやじくさい。2人の名にピンクの蛍光ペンでチェックを入れた三松惠は2児の母親だが、屈託ない明るさは学生時代と変わらなかった。
博樹は何げなく、三松夫妻が広げる同期の名簿に視線をやったが、その中にまさかと思わせる名を見つけた。
「えっ、福原来るの?」
博樹の声に、三松佑介が顔を上げた。
「福ちゃんならもう来てる、後輩たちに捕まってるみたい」
山岡も、驚いて目を丸くした。
「最近たまにOBの集まりに来るんだよ」
佑介の言葉が、博樹には信じられない。あの人づき合いの悪かった、陰キャの福原晴也が、こんな場所に顔を出すなんて。惠は博樹たちに含み笑いを見せた。
「今日福原くん、めっちゃ綺麗にしてきてるよ」
「……綺麗に?」
山岡にも意味がわからないらしく、博樹は彼と顔を見合わせた。
広々とした宴会場に入ると、現役の頃を知る懐かしい先輩や後輩が、次々に声をかけてきた。ホテルマンが盆に載せてきた茶の入ったグラスを取り、博樹は喉を潤す。
ざわめきと食欲を刺激する匂いの中、博樹の目は、元顧問の教授と後輩たちと語らう、水色のワンピースの女の姿を捉えた。さっきホテルの前を通りすがった女である。
「……うちのOGにあんな美人いた?」
博樹がこそっと耳打ちすると、山岡があっ! と叫んだ。
「あれ福原じゃん! あの噂マジだったんだ」
噂? と博樹はおうむ返しした。
「福原が女装バーのホステスやってて、しかも売れっ子だって」
「はぁっ? 何だよそれ」
博樹は女を凝視してしまう。言われてみると、少し癖のある、オリーブの色味をした明るい色の髪は、学生時代より少し長いけれど、確かに福原のものだった。いやしかし、どうしてあいつが女装バーのホステスなんかになってるんだ? 学生時代、そんな素振りもなかったのに。
それ以前に博樹は、福原が大学にいる以外の時間を、何をして過ごしているのか全く知らなかったと、今更気づく。
女がこちらを見た。隣に立つ教授もこちらを見て手を挙げたので、博樹たちは半ばぽかんとしたまま、会釈した。
乾杯と教授の挨拶があり、OB会から教授にプレゼントが渡された後、歓談の時間が設けられた。福原晴也は三松夫妻と楽しげに話している。
現役の頃、博樹は福原とあまり話さなかった。彼はこのサークルの主たる活動、古都の散策に行く時は顔を出したが、それ以外の飲み会やレクリエーションには参加しなかったからである。
福原はいつも、これ以上は自分に立ち入ってこないでほしいと、無言のアピールをしていたように思う(三松夫妻は何故か例外だった)。それが若干腹立たしくて、あいつもう誘わなくていいだろ、と言ってしまったこともあった。
三松夫妻が福原を連れてきた。白くてつるんとした肌、綺麗に描かれた眉、丁寧にマスカラをつけた長い睫毛、仄かにピンク色をした頬と唇。顔を見ただけでは、男だとはわからない。博樹もこれまで、こんな美人と出会ったことがないと思ってしまうくらいである。
「田上、4年タイにいたんだって?」
福原は博樹に言った。声は昔から変わらなかったが、話し方が明瞭になった。
「……うん、感染症のせいでなかなか進捗しなくて、倍の時間がかかったんだ」
答えつつ、博樹がやや苦々しい気持ちになるのは、長くなった海外出張が妻の心変わりを招いたからである。
お疲れさまだったね、と福原は言った。博樹が妻に浮気され離婚したことも、誰かから聞いて知っているのだろう。そこには一切触れないのに、福原がむしろその部分を労ってくれているのを感じた。
「さっきホテルの前でスルーしてごめん、田上かなって思ったけど自信が無かった」
福原は困ったように笑う。博樹は彼のそんな顔を初めて見たような気がした。
「いや、俺も全くわからなくて」
口にすると、奇妙なくすぐったさがあった。学生時代に存在感の無かった男が、夏の陽炎の中から色気に似たオーラを纏い現れたことに、博樹の脳内はややパニックを起こしている。
学生時代の知人としょっちゅう集まり、思い出にしがみつこうとは思わないが、同期たちの今を知るのは楽しいことかもしれない。この元陰キャの変貌ぶりは、面白過ぎると同時に何やら悩ましいけれど。
福原から慣れた手つきでビールを注いでもらいながら、今日来て良かったと博樹は思っていた。
〈初出 2023.7.15 #創作BL深夜の60分一本勝負 お題:同窓会、陽炎〉
「おーっ博樹久しぶり、暑いのにこんなとこで待たなくても」
同期の山岡の姿が見えて、博樹はほっとした。
「久しぶり、だって会場で上の先輩とかにいちいち挨拶すんのうざいし」
「それはわかるけど熱中症になるぞ……とりあえず行こうや」
M大学の公認サークル・古都研究会で、25年間顧問を務めてくれていた教授が、この春退官した。今日は教授の慰労パーティと、サークルの同窓会を兼ねた集まりがある。
どうしてこんな暑い時期に企画されたのか甚だ疑問ではあったが、結構いいホテルで、卒業生が集まろうと言い出すほどには、教授は慕われている。3階の宴会場の前にはずらりと机が並べられ、25学年の代表者がわちゃくちゃと受付をしていた。博樹たちの回生を取りまとめているのは、三松佑介と惠の同期生夫婦である。
「田上くん、久しぶりだねぇ! 山岡くんも、暑いから中で何か飲んでて」
「おう、いつも任せて悪いな」
応じる山岡がややおやじくさい。2人の名にピンクの蛍光ペンでチェックを入れた三松惠は2児の母親だが、屈託ない明るさは学生時代と変わらなかった。
博樹は何げなく、三松夫妻が広げる同期の名簿に視線をやったが、その中にまさかと思わせる名を見つけた。
「えっ、福原来るの?」
博樹の声に、三松佑介が顔を上げた。
「福ちゃんならもう来てる、後輩たちに捕まってるみたい」
山岡も、驚いて目を丸くした。
「最近たまにOBの集まりに来るんだよ」
佑介の言葉が、博樹には信じられない。あの人づき合いの悪かった、陰キャの福原晴也が、こんな場所に顔を出すなんて。惠は博樹たちに含み笑いを見せた。
「今日福原くん、めっちゃ綺麗にしてきてるよ」
「……綺麗に?」
山岡にも意味がわからないらしく、博樹は彼と顔を見合わせた。
広々とした宴会場に入ると、現役の頃を知る懐かしい先輩や後輩が、次々に声をかけてきた。ホテルマンが盆に載せてきた茶の入ったグラスを取り、博樹は喉を潤す。
ざわめきと食欲を刺激する匂いの中、博樹の目は、元顧問の教授と後輩たちと語らう、水色のワンピースの女の姿を捉えた。さっきホテルの前を通りすがった女である。
「……うちのOGにあんな美人いた?」
博樹がこそっと耳打ちすると、山岡があっ! と叫んだ。
「あれ福原じゃん! あの噂マジだったんだ」
噂? と博樹はおうむ返しした。
「福原が女装バーのホステスやってて、しかも売れっ子だって」
「はぁっ? 何だよそれ」
博樹は女を凝視してしまう。言われてみると、少し癖のある、オリーブの色味をした明るい色の髪は、学生時代より少し長いけれど、確かに福原のものだった。いやしかし、どうしてあいつが女装バーのホステスなんかになってるんだ? 学生時代、そんな素振りもなかったのに。
それ以前に博樹は、福原が大学にいる以外の時間を、何をして過ごしているのか全く知らなかったと、今更気づく。
女がこちらを見た。隣に立つ教授もこちらを見て手を挙げたので、博樹たちは半ばぽかんとしたまま、会釈した。
乾杯と教授の挨拶があり、OB会から教授にプレゼントが渡された後、歓談の時間が設けられた。福原晴也は三松夫妻と楽しげに話している。
現役の頃、博樹は福原とあまり話さなかった。彼はこのサークルの主たる活動、古都の散策に行く時は顔を出したが、それ以外の飲み会やレクリエーションには参加しなかったからである。
福原はいつも、これ以上は自分に立ち入ってこないでほしいと、無言のアピールをしていたように思う(三松夫妻は何故か例外だった)。それが若干腹立たしくて、あいつもう誘わなくていいだろ、と言ってしまったこともあった。
三松夫妻が福原を連れてきた。白くてつるんとした肌、綺麗に描かれた眉、丁寧にマスカラをつけた長い睫毛、仄かにピンク色をした頬と唇。顔を見ただけでは、男だとはわからない。博樹もこれまで、こんな美人と出会ったことがないと思ってしまうくらいである。
「田上、4年タイにいたんだって?」
福原は博樹に言った。声は昔から変わらなかったが、話し方が明瞭になった。
「……うん、感染症のせいでなかなか進捗しなくて、倍の時間がかかったんだ」
答えつつ、博樹がやや苦々しい気持ちになるのは、長くなった海外出張が妻の心変わりを招いたからである。
お疲れさまだったね、と福原は言った。博樹が妻に浮気され離婚したことも、誰かから聞いて知っているのだろう。そこには一切触れないのに、福原がむしろその部分を労ってくれているのを感じた。
「さっきホテルの前でスルーしてごめん、田上かなって思ったけど自信が無かった」
福原は困ったように笑う。博樹は彼のそんな顔を初めて見たような気がした。
「いや、俺も全くわからなくて」
口にすると、奇妙なくすぐったさがあった。学生時代に存在感の無かった男が、夏の陽炎の中から色気に似たオーラを纏い現れたことに、博樹の脳内はややパニックを起こしている。
学生時代の知人としょっちゅう集まり、思い出にしがみつこうとは思わないが、同期たちの今を知るのは楽しいことかもしれない。この元陰キャの変貌ぶりは、面白過ぎると同時に何やら悩ましいけれど。
福原から慣れた手つきでビールを注いでもらいながら、今日来て良かったと博樹は思っていた。
〈初出 2023.7.15 #創作BL深夜の60分一本勝負 お題:同窓会、陽炎〉
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