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新緑と新しいネクタイ
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その日晴也は、何となく納得できないものを抱えつつ出勤した。晶がこの間買っていた2本のネクタイの片方を、今朝いきなりつけて行けと言ったのである。彼は営業担当なので、2本とも自分で使うために買ったと晴也は思っていたのだ。
晶が晴也に手渡したのは、淡めの若草色の地に小さな鳥が散っているネクタイだった。確かにこのパステルカラーや小鳥の柄は晴也向きかもしれないが、この色なら黒い髪の晶にもよく似合うのに、と思った。
それで晶は、自分はもう少し暗い、モスグリーンのネクタイをつけて出た。そのネクタイに散っていた柄は犬である。まあそれはそれで、晶に似合っていたのだが。
「福原さん、春らしいネクタイですね」
総務課の部屋に入るなり、数人の女性社員から声をかけられた。こんなことも珍しいので、晴也は彼女らに素直に礼を言った。
お昼が近づいてきた頃、晴也は新入社員に備品の発注データの入力を教えていて、入り口に背中を向けていた。すると後輩に肩をつつかれた。
「福原さん、吉岡さんですけど」
「は?」
晴也は入り口を振り返る。地味な眼鏡とスーツの営業マンが、笑顔で立っていた。
晶は晴也の会社の取引先の担当者である。それで同じフロアの営業課を訪れると、大概総務課に晴也の顔を見に寄るのだ。以前いろいろあって、営業課でも総務課でも、二人が一緒に暮らす恋人同士であることは知れ渡っていた。
公私混同も甚だしいと、晴也は晶にずっと訴えているのに、総務課の連中が晶に対しては歓迎モード(晶は常に感じが良く、ストリップダンサーとしての彼のファンも存在する)なこともあり、毎月こんな茶番が繰り広げられてしまう。
「……こんにちは吉岡さん、こちらに何かご用でしたか?」
「福原さんこんにちは、ちょうど昼だから食事でもいかがですか?」
敬語で話し合う二人を見て、皆が笑いをこらえている。その時、晴也の真後ろに座る同僚が、要らないことを言った。
「あ、ネクタイ、ブランドお揃いの色柄違いですか?」
返事ができず、眩暈を覚えた晴也の代わりに、そんなところです、と晶がいけしゃあしゃあと答えた。こいつ、今日ここに来ると決まってたから、このネクタイつけろって言ったんだな! 他の社員に見えないように晴也は晶を睨みつけた。
昼休みを告げるチャイムが間の抜けた音で鳴り、皆がわらわらと立ち上がる。晶はにっこり笑い、行きますか、と晴也に言った。
晴也はむすっとしたまま上着と財布を取り、晶について行く。営業課の連中ともエレベーターの前で遭遇するので、下に降りるまでいたたまれなかった。
ビルの外は陽射しが眩しかったが、少し風があった。街路樹の青葉がさわさわと揺れ、心地良い。
「さてハルさん、何食う?」
呑気な晶の声に、晴也は突っかかる。
「……おまえ昼食ったら会社に帰るんだろうな?」
「帰るよ、そう怒るな、平日に一緒にランチなんか滅多に無いんだから」
「意味わからない」
初夏を感じさせる、緑の匂いを含んだ風は気持ち良かったものの、晴也はぶすったれたままだった。サラリーマン御用達の店が並ぶ通りに早足で向かう晴也に、お待ちくださいませお嬢様、と無駄に芝居掛かって、晶がついて行く。
その頃総務課では、女子社員たちが弁当を広げながら、晴也と晶の噂をしていた。
「ほんと面白いよね、あの二人」
「コントだよね、でも福原さんが明るくなったの、吉岡さんと出会ってからなんでしょ?」
「へぇ、そうなんですか?」
「そうだよ、眼鏡も小洒落たし、昔はあんな季節感あるネクタイ絶対してこなかった」
女たちはいひひ、と笑った。
「福原さん真面目だからさ、こういうの良くないってたぶんめちゃ思ってるのよ、でも吉岡さんが来たら微妙に嬉しそうなのが洩れ出てるよね」
「あ、やっぱそう思う? 可愛いわぁ」
こんな具合に、周囲に笑いのネタを提供していることを、晴也は全く知らない。
〈初出 2023.5.6 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題:風薫る、パステルカラー〉
晶が晴也に手渡したのは、淡めの若草色の地に小さな鳥が散っているネクタイだった。確かにこのパステルカラーや小鳥の柄は晴也向きかもしれないが、この色なら黒い髪の晶にもよく似合うのに、と思った。
それで晶は、自分はもう少し暗い、モスグリーンのネクタイをつけて出た。そのネクタイに散っていた柄は犬である。まあそれはそれで、晶に似合っていたのだが。
「福原さん、春らしいネクタイですね」
総務課の部屋に入るなり、数人の女性社員から声をかけられた。こんなことも珍しいので、晴也は彼女らに素直に礼を言った。
お昼が近づいてきた頃、晴也は新入社員に備品の発注データの入力を教えていて、入り口に背中を向けていた。すると後輩に肩をつつかれた。
「福原さん、吉岡さんですけど」
「は?」
晴也は入り口を振り返る。地味な眼鏡とスーツの営業マンが、笑顔で立っていた。
晶は晴也の会社の取引先の担当者である。それで同じフロアの営業課を訪れると、大概総務課に晴也の顔を見に寄るのだ。以前いろいろあって、営業課でも総務課でも、二人が一緒に暮らす恋人同士であることは知れ渡っていた。
公私混同も甚だしいと、晴也は晶にずっと訴えているのに、総務課の連中が晶に対しては歓迎モード(晶は常に感じが良く、ストリップダンサーとしての彼のファンも存在する)なこともあり、毎月こんな茶番が繰り広げられてしまう。
「……こんにちは吉岡さん、こちらに何かご用でしたか?」
「福原さんこんにちは、ちょうど昼だから食事でもいかがですか?」
敬語で話し合う二人を見て、皆が笑いをこらえている。その時、晴也の真後ろに座る同僚が、要らないことを言った。
「あ、ネクタイ、ブランドお揃いの色柄違いですか?」
返事ができず、眩暈を覚えた晴也の代わりに、そんなところです、と晶がいけしゃあしゃあと答えた。こいつ、今日ここに来ると決まってたから、このネクタイつけろって言ったんだな! 他の社員に見えないように晴也は晶を睨みつけた。
昼休みを告げるチャイムが間の抜けた音で鳴り、皆がわらわらと立ち上がる。晶はにっこり笑い、行きますか、と晴也に言った。
晴也はむすっとしたまま上着と財布を取り、晶について行く。営業課の連中ともエレベーターの前で遭遇するので、下に降りるまでいたたまれなかった。
ビルの外は陽射しが眩しかったが、少し風があった。街路樹の青葉がさわさわと揺れ、心地良い。
「さてハルさん、何食う?」
呑気な晶の声に、晴也は突っかかる。
「……おまえ昼食ったら会社に帰るんだろうな?」
「帰るよ、そう怒るな、平日に一緒にランチなんか滅多に無いんだから」
「意味わからない」
初夏を感じさせる、緑の匂いを含んだ風は気持ち良かったものの、晴也はぶすったれたままだった。サラリーマン御用達の店が並ぶ通りに早足で向かう晴也に、お待ちくださいませお嬢様、と無駄に芝居掛かって、晶がついて行く。
その頃総務課では、女子社員たちが弁当を広げながら、晴也と晶の噂をしていた。
「ほんと面白いよね、あの二人」
「コントだよね、でも福原さんが明るくなったの、吉岡さんと出会ってからなんでしょ?」
「へぇ、そうなんですか?」
「そうだよ、眼鏡も小洒落たし、昔はあんな季節感あるネクタイ絶対してこなかった」
女たちはいひひ、と笑った。
「福原さん真面目だからさ、こういうの良くないってたぶんめちゃ思ってるのよ、でも吉岡さんが来たら微妙に嬉しそうなのが洩れ出てるよね」
「あ、やっぱそう思う? 可愛いわぁ」
こんな具合に、周囲に笑いのネタを提供していることを、晴也は全く知らない。
〈初出 2023.5.6 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題:風薫る、パステルカラー〉
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