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ラスト・プレゼント
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女装バー「めぎつね」は、その夜も客入りがそこそこ多かった。ベテラン女装男子たちはくるくると店内を歩き回り、客と他愛無い会話に興じる。おさわり厳禁、カラオケ等の鳴り物無しだが、意外と楽しいという口コミが多い。
磯貝のお気に入りである可愛い系ホステスのハルは、出勤日数が少ないレア感もあるのか、磯貝を含む熱心な常連客を何人か抱えている。ただし彼は、常連客に帰り道で待ち伏せされ襲われかけたという過去があるせいか、ガードが固い。また、ホステスたちは高価なプレゼントを受け取らない決まりになっているらしく、中でもハルはかなり頑なに拒むという噂だ。
しかし磯貝は今夜、ハルにプレゼントを渡そうと思っていた。昨年末に小さなチョコレートを渡したら、意外にも彼は受け取り、美味しかったと随分喜んでくれた。それが嬉しかったので、ホワイトデーにかこつけて、また小さなクッキーを用意していた。
「磯貝さんこんばんは、暖かくなりましたね」
ハルが水割りセットと、アテのミックスナッツを持って来た。磯貝は多くても月に2回しかめぎつねを訪れないが、ボトルを置いている。感染症が拡大する約1年前から通い始めて、3本目のウィスキーが尽きようとしていた。
「花粉症がまずくてねぇ」
マスクを外しながら磯貝は言ったが、鼻がむずむずした。
「辛いですね、遠慮なくくしゃみしてくださいよ……俺はたぶん今年デビューです、明日耳鼻科に行くつもりなんです」
そう話すハルだが、相変わらず頬や鼻の周辺はつるんと美しく、丁寧に塗られたマスカラの下のきれいな白目が、充血している訳でも無かった。
彼が傍に来ると、きれいな子だなといつも思う。磯貝には妻子がおり、ゲイでもバイでもない。しかしめぎつねのホステスたちには、全員男だとわかっていても何やらどきどきさせられるし、殊にハルに対して感じるのは、ほぼときめきだ。
ハルはそんなに話が上手ではないと思う。しかし、半分酔った人間のくだらない話をきちんと聞き、彼もつき合い飲みをしているのに、驚くほど内容を覚えている。だから、それにほっとさせられるのだ。
「そうそう、娘が無事に大学に合格してね」
磯貝は先月の話題を振る。ハルは水割りを作りながら、あっ、おめでとうございます、と笑顔になった。
「関西っておっしゃってましたよね? 行きたい学部があるからその大学を選んだって、何か良いですね」
「東京にも娘の言うような学部のある大学はあるんだけどなぁ」
磯貝はアーモンドをつまむ。水割りが差し出された。
「それはお嬢さんに一人暮らしをさせるのが心配だということですか?」
磯貝はハルの言葉に、返事を躊躇った。先月、彼に話していないことがある。
「えっ磯貝さん、泣いたら嫌ですよ、そんなんじゃお嬢さんが結婚なさる時大変ですよ」
磯貝がつい俯いたからか、ハルは揃えた指先で軽くテーブルを叩いた。短く切り揃え磨かれた爪が美しいが、その手指の節くれは、紛れもなく男のものである。
「いや、ハルちゃん……娘と一緒に家族みんなで大阪に行くことにしたんだ」
一大告白をするように、磯貝は言った。ハルの明るい茶色の瞳が見開かれる。
「俺は三重の出だって言ったことあったっけ?」
「はい、お伊勢さんの近くだって……奥様は大阪でしたよね、ああ……磯貝さん的にはUターンするようなものなんですね」
ハルは少し首を傾け、微笑した。磯貝は鞄から、掌に乗るほどの小箱を出す。
「遅くなったけど、ホワイトデーのプレゼント」
「えっ、バレンタインデーにお渡ししたチョコは、そんな気遣っていただくものじゃ……」
ハルは困惑したが、磯貝は彼の前に箱をそっと置いた。
「4年間俺の与太話につき合ってくれたお返しだ、まあこれじゃハルちゃんの仕事に見合わないんだけど」
磯貝の言葉に、ハルは薄く涙を浮かべた。ああ、別れを惜しんでくれるのか。それで十分だった。可愛らしい女装男子への、片想いのようなものが、終わる。
クッキーの小箱を見つめる晴也が、憂い顔をしていた。関西への転勤が決まった常連客から貰ったのだという。
晶はそのブランドのクッキーが、晴也の好物であることを知っている。その客は、晴也がこのクッキーを好きだとわかっていて選んだのだろうか。ホワイトデーに同じものをすでに晴也に渡したにもかかわらず、晶は微妙に悔しい。
晴也は自分の長所への自覚が薄く、ホステスとしてはややガードが甘いと、晶は彼と出会った頃から思っている。しかしおそらくそこが、めぎつねのハルの魅力に繋がっている部分もあるのだ。
危なっかしいのだが、だからといってめぎつねから遠ざけるなどして、晴也の長所を自分が独占するのは、彼のためにも良くないと晶は思う。
人気商売をする人間をパートナーにすると、たまにやきもきさせられる。晶は自分のことを棚に上げて、そんなことを考えていた。
〈初出 2023.3.11 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題:ホワイトデー、お返し〉*こちらに投稿するにあたり、設定にかなり手を入れました。
磯貝のお気に入りである可愛い系ホステスのハルは、出勤日数が少ないレア感もあるのか、磯貝を含む熱心な常連客を何人か抱えている。ただし彼は、常連客に帰り道で待ち伏せされ襲われかけたという過去があるせいか、ガードが固い。また、ホステスたちは高価なプレゼントを受け取らない決まりになっているらしく、中でもハルはかなり頑なに拒むという噂だ。
しかし磯貝は今夜、ハルにプレゼントを渡そうと思っていた。昨年末に小さなチョコレートを渡したら、意外にも彼は受け取り、美味しかったと随分喜んでくれた。それが嬉しかったので、ホワイトデーにかこつけて、また小さなクッキーを用意していた。
「磯貝さんこんばんは、暖かくなりましたね」
ハルが水割りセットと、アテのミックスナッツを持って来た。磯貝は多くても月に2回しかめぎつねを訪れないが、ボトルを置いている。感染症が拡大する約1年前から通い始めて、3本目のウィスキーが尽きようとしていた。
「花粉症がまずくてねぇ」
マスクを外しながら磯貝は言ったが、鼻がむずむずした。
「辛いですね、遠慮なくくしゃみしてくださいよ……俺はたぶん今年デビューです、明日耳鼻科に行くつもりなんです」
そう話すハルだが、相変わらず頬や鼻の周辺はつるんと美しく、丁寧に塗られたマスカラの下のきれいな白目が、充血している訳でも無かった。
彼が傍に来ると、きれいな子だなといつも思う。磯貝には妻子がおり、ゲイでもバイでもない。しかしめぎつねのホステスたちには、全員男だとわかっていても何やらどきどきさせられるし、殊にハルに対して感じるのは、ほぼときめきだ。
ハルはそんなに話が上手ではないと思う。しかし、半分酔った人間のくだらない話をきちんと聞き、彼もつき合い飲みをしているのに、驚くほど内容を覚えている。だから、それにほっとさせられるのだ。
「そうそう、娘が無事に大学に合格してね」
磯貝は先月の話題を振る。ハルは水割りを作りながら、あっ、おめでとうございます、と笑顔になった。
「関西っておっしゃってましたよね? 行きたい学部があるからその大学を選んだって、何か良いですね」
「東京にも娘の言うような学部のある大学はあるんだけどなぁ」
磯貝はアーモンドをつまむ。水割りが差し出された。
「それはお嬢さんに一人暮らしをさせるのが心配だということですか?」
磯貝はハルの言葉に、返事を躊躇った。先月、彼に話していないことがある。
「えっ磯貝さん、泣いたら嫌ですよ、そんなんじゃお嬢さんが結婚なさる時大変ですよ」
磯貝がつい俯いたからか、ハルは揃えた指先で軽くテーブルを叩いた。短く切り揃え磨かれた爪が美しいが、その手指の節くれは、紛れもなく男のものである。
「いや、ハルちゃん……娘と一緒に家族みんなで大阪に行くことにしたんだ」
一大告白をするように、磯貝は言った。ハルの明るい茶色の瞳が見開かれる。
「俺は三重の出だって言ったことあったっけ?」
「はい、お伊勢さんの近くだって……奥様は大阪でしたよね、ああ……磯貝さん的にはUターンするようなものなんですね」
ハルは少し首を傾け、微笑した。磯貝は鞄から、掌に乗るほどの小箱を出す。
「遅くなったけど、ホワイトデーのプレゼント」
「えっ、バレンタインデーにお渡ししたチョコは、そんな気遣っていただくものじゃ……」
ハルは困惑したが、磯貝は彼の前に箱をそっと置いた。
「4年間俺の与太話につき合ってくれたお返しだ、まあこれじゃハルちゃんの仕事に見合わないんだけど」
磯貝の言葉に、ハルは薄く涙を浮かべた。ああ、別れを惜しんでくれるのか。それで十分だった。可愛らしい女装男子への、片想いのようなものが、終わる。
クッキーの小箱を見つめる晴也が、憂い顔をしていた。関西への転勤が決まった常連客から貰ったのだという。
晶はそのブランドのクッキーが、晴也の好物であることを知っている。その客は、晴也がこのクッキーを好きだとわかっていて選んだのだろうか。ホワイトデーに同じものをすでに晴也に渡したにもかかわらず、晶は微妙に悔しい。
晴也は自分の長所への自覚が薄く、ホステスとしてはややガードが甘いと、晶は彼と出会った頃から思っている。しかしおそらくそこが、めぎつねのハルの魅力に繋がっている部分もあるのだ。
危なっかしいのだが、だからといってめぎつねから遠ざけるなどして、晴也の長所を自分が独占するのは、彼のためにも良くないと晶は思う。
人気商売をする人間をパートナーにすると、たまにやきもきさせられる。晶は自分のことを棚に上げて、そんなことを考えていた。
〈初出 2023.3.11 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題:ホワイトデー、お返し〉*こちらに投稿するにあたり、設定にかなり手を入れました。
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