あきとかな ~恋とはどんなものかしら~

穂祥 舞

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9月 7

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 暁斗は昨夜、最も厄介な案件に挑んでいた。実家への報告である。家の固定電話に連絡すると、母が直ぐに出た。父は大学の同窓会の旅行に参加したとかで、在宅していなかった。

「あら、相談室の立ち上げメンバーとして? 良かったわね、社内報に写真とか載ったら送ってちょうだいよ」

 乃里子は相談室の話は喜んでくれたが、アウティングの話題に移行すると、沈黙した。

「……それ、ネットで探したら読めるの?」
「あまりお勧めしない、奏人さんのこともひどく書いてるから」
「お父さんにも話すわよ、あなたもそんなんじゃお墓参りどころじゃないんでしょ?」
「うん、とりあえず母さんから先に話してよ……連休の何処かでそっちへ行くつもりではいるんだ、都合の良い日を後で教えて」

 暁斗は乃里子に謝って電話を切った。奏人は忙しいだろうと思い、こちらからは連絡しなかった。



 珍しく良く眠れないまま暁斗が出社したので、営業1課の面々は課長が明るく振る舞っていても、その疲れた顔から、昨日のごたごたに煩わされていることを察していた。

「しばらく俺は外に出ないからよろしく頼む、ほどほどにネタにしておけばいい」

 外回りに出ようとする部下たちに言うと、そんなところで自虐しないでくださいと突っ込まれた。
 昼休みが終わると、岸がやってきて暁斗を呼んだ。専務たちが少し話がしたいと言っていると聞かされ、暁斗はほぼ切らしていた気力を奮い立たせて、役員フロアに岸と向かった。
 きみが離婚したのはやはりそれが理由だったのか。会見であんな暴露をして、家族に恥ずかしいと思わないのか。きみがそっちだったとは、ちょっと残念だね。……それから40分間、山中から聞かされていた通り、3名の男たちの中には、露骨な軽蔑の言葉を暁斗にぶつけて来る者もいて、暁斗は腹が立つよりも呆れた。昨日の相談室設置の会見を見ていないのか? もしや設置にはなから反対していたのか? 目に余る言葉を遮ってくれる岸が横にいなかったら、寝不足と精神的な摩耗まもうで忍耐力が落ちていた暁斗は、辞めますと叫んで出て行ってしまうところだった。
 会社がマスコミに振り回されるような動きを取るのは好ましくないので、現時点では株式会社エリカワとして出版社に抗議はしないと通告された。

「では桂山の名誉回復のために会社として何もしていただけない上に、桂山をしばらく社内に軟禁するということですね」

 暁斗の当面の処遇の話になると、岸は静かでありながらも挑発的な言葉を口にした。

「軟禁とは穏やかでないね、桂山くんを守るためでもあるんだよ」

 専務の一人は岸が気分を害しているのを見て取り、なだめるように言ったが、遅かったようだった。

「わかりました、相談室と私の名前で出版社に一言送ることにします、あと桂山を外に出さず営業成績が落ちた場合は専務からの指示に従った結果だと報告させていただきます」

 暁斗は岸の発言に驚き、これから約束がありますからと言って立ち上がった岸に引きずられるようにして、会議室を出た。

「ちょ、部長……いくら何でもあれは……」

 暁斗はエレベーターのドアが閉まると、困惑のあまり言った。岸はいい、と吐き捨てた。

「ほづみんの時も酷かったんだ、あれから何にも認識の変化が無い、ああいう連中が上にいる限りこの会社は駄目だ」
「でもあんな言い方なさらなくても」
「俺がクビ覚悟で発言してるんだから少し喜べよ」

 いつになく強い口調で言われて、暁斗は言葉を飲み込み、すみません、と岸に頭を下げた。

「いや、悪かった、こっちが勝手にしたことだな……大丈夫だ、そうそうクビにはならんよ、だったら大平さんもとっくの前に辞めてるだろう」

 岸は営業部のフロアに一緒に降りて来た。谷口に、専務からの通達を伝えるためだろう。

「大平さんはそんなに噛みついたんですか?」
「自分のことじゃない、かなり前の話だが同期の女性が……マタハラというやつだ、彼女の妊娠を知って辞めるように仕向けた奴がいたらしい」

 え、と暁斗は思わず足を止めた。岸は苦笑した。

「最近までよくあった、今でもあるかも知れない……私も結婚して妊娠したら女性は仕事を辞めるのが普通だと思っていた……今夜大平さんからその話を聞くといい」

 言われて暁斗は、今夜相談室の面々と飲みに行く約束があったのを思い出す。楽しみでない訳ではないが、少しでも奏人とやり取りする時間が欲しいとちらりと思った。

「俺は自分の仕事ばかりで……この会社で働きづらい思いをしている人が沢山いるとちっとも知りませんでした、知らない間にそういう人を苦しめる側に加担していたかも」

 奏人に話したかったことを、岸に言ってみた。岸はもしかしたらな、と少し笑った。

「まずそう気づいて自分を省みることから始めたらいい、暁斗ももう自分の仕事をがむしゃらにやるだけでは足りない立場なんだから」

 まだまだ自分は未熟なのだ。それが分かっただけでも、この試練には価値があるのだろうと暁斗は思った。



 上半期の締めが近いということで、相談室開設を祝う宴は、西山は参加出来ず、岸は行けたら行くと連絡をよこし、大平は大幅に遅刻して、東京駅側の居酒屋の座敷にやって来た。その頃には暁斗はすっかり出来上がっており、清水はやけに饒舌じょうぜつになって山中をうんざりさせていた。

「やだ、もうそんなに飲んだの?」

 大平はコートを脱ぎながら呆れたように言った。山中が半ば叫ぶ。

「もうこいつら嫌だよ、来てくれて助かった」

 山中は大平と自分のビールを頼む。暁斗は俺梅酒のソーダ割り、と店員に告げた。

「桂山さんってあまりお酒強くなかったんだっけ?」
「そんなことないですよ」

 暁斗は少しぼんやりした脳内を動かして、彼女の席におしぼりと箸を置く。

「清水さん、食べるもの無いよ」
「桂山さんと大平さんの好きなもの頼んだらいいでしょ、僕予約取っただけで幹事じゃないです」
「普通予約の名前の人が幹事だよなぁ」

 とは言え幹事が常にオーダーしなくてはいけないことはない。飲み物がやって来たので、皆に回してから手早く大平のために焼き鳥やサラダを頼む。

「今日のお勧めの刺身盛りをもう一つ、清水さんもう一合日本酒でいい?」

 大平は暁斗の手際の良さに目を見開き、うちの幹事やって、と言った。

「営業はみんな幹事みたいなもんだしな」
「職業病ですよねぇ」
「はいはい、大平さん来たから乾杯しますよ」

 かんぱい、という声とともに場がパッと盛り上がる。暁斗は眠気に襲われていたが、それは心地良いものだった。

「桂山が専務どもの洗礼を受けたんだって」

 山中の一言で、一気にジョッキを半分空けた大平が一瞬でヒートアップした。

「あのじじいどもの⁉ 刺してやるなら手伝うわよ」
「怖い、やめてください」

 清水の言葉を無視して、大平はまくし立てた。

「あいつらのせいで今までどれだけの優秀な人が辞めて行ったことか! 辞めるべきなのはあいつらよ、クソなのよ、老害よっ」

 暁斗は自分の腹立ちや不快感まで吹き飛ばしそうな大平の剣幕に、まあまあ、と苦笑する。そして確認のため尋ねる。

「大平さんは辞めようと思わないんだ」
「当たり前よ、あいつらが追い出される時に塩を撒くまで辞めないわよ」
「だからほら、老人の価値観なんかもう死ぬまで変わんないんだから、スルーするのみ」

 清水も手を振りながら言った。少し呂律ろれつが怪しい。暁斗はふと思い、言った。

「何だかああいう人たちのせいで世の中のお年寄り皆が肩身の狭い思いをするのかなあ」
「皆が老害だなんてもちろん言わないわよ」
「僕は自分の両親の親たちは大好きですよ、でも他所の老人は微妙なところ」

 山中は清水に勝手だなぁ、と言い笑う。

「そんなの当たり前じゃないですか」
「あーもうおまえ相談室向きじゃないわ」
「山中さんだって向いてないでしょうが」

 どんどん脱線する会話に暁斗はああもう、と呻いた。大平がこちらを見た。

「……あの人たちの認識ってもう変わらないんですかね」

 暁斗の言葉に、彼女は肩をすくめた。

「女、ゲイ、あとまあ例えば障害者……自分たちより弱くて自分たちを基準に異形だと見做みなした相手の話は聞かないからね」
「もう自分らも弱者……老人なのになぁ」
「力を持った老人、特に男性は厄介ね、政治家たちを見なさいよ」

 これは日本全体の問題なのか、と暁斗はアルコールに侵された頭で考える。刺身とシーザーサラダが来て、大平が美味しそう、と声を高くした。

「私のことを恐ろしいフェミニストだと思ってる人も多いけれどね、私は男の人なら当たり前のことを何故女がしてはいけないのか、ただ疑問なだけなのよね」
「ああ、ゲイとしては共感します、キスする相手が男だったら何でだめなのかなと」

 大平はまあ! と叫び、桂山さんやだもう、と暁斗の二の腕をばしばし叩いた。刺身の皿を落としそうになるのを、山中が引き取ってくれた。

「何の話で盛り上がってんだよ」
「山中さんもう、桂山さんが何で男とキスしちゃだめなんだって」

 山中は大平の返事を聞いて暁斗をにらみつけた。

「何なんだよおまえ、こんなとこで惚気のろけてる場合じゃねえだろが」
「惚気てなんかいませんよ、一般論でしょ」

 暁斗は反論したが、山中は聞いていない。

「二人とも聞け、こいつの彼氏めちゃくちゃ可愛らしくて人気者で指名料高いんだ、あの記事見たらわかるだろ? 本来セレブの相手をする子なんだよ」

 大平と清水はへえぇ、と声を揃えた。暁斗は赤面した。何でこんな話になるんだ。

「彼氏って要するに、28歳SEとは客とデリヘル嬢……じゃなくてデリヘルボーイとの関係を超えてるってことなのよね?」
「えっ桂山さん顔真っ赤、写真撮りたい」

 清水がスマートフォンを取ろうとするので、暁斗はやめろ、と叫ぶ。その時すっと障子しょうじが開いた。

「何だ、部屋を間違えたかと思ったぞ、学生の飲み会かこれは」

 入ってきたのは岸だった。お疲れ様です、と皆が唱和し、大平が生中ふたつお願いします、と外に声をかける。

「で? 桂山くんの彼がどうだって? ゲイバーのようなところで知り合ったなんて嘘ついて、風俗嬢……男の子は何て言うんだ」
「何て呼ぶんですかね」

 清水が首を傾げた。

「超インテリ風俗ボーイですよ、学業に専念するからデリヘル辞めるらしいです」

 山中は隆史から聞いたのか、個人情報を漏らしまくった。ほう、と興味深げに岸に言われて、暁斗は今からどれだけ奏人の話をしなくてはいけなくなるかを想像し、頭を掻きむしる。
 ビールがやって来て、3度目の乾杯をする。暁斗はすかさず店員を呼んだ。

「枝豆と天ぷらの盛り合わせと……あとみんなお酒は?」
「おまえがデリヘルで働けよ、そのマメさで奏人くらい指名貰えんじゃねえか」

 山中の突っ込みにみんな大笑いした。

「かなとさんか、どんな字を書くんだ」

 岸に突っ込まれ、ある意味終わったと暁斗は思った。結局酒のアテには恋バナが一番なのだ。とはいえ、奏人の話をすればするほど、会えない現実が重くのしかかるのが辛い。
 でも今はとにかく、この新しく楽しいコミュニティに属していることを満喫するのだ。酒も食事も美味しいし、少なくとも、寂しさを紛らわせることは十分出来そうなのだから。

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