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ほつれた心が縫い留められる時
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複雑な思いを亜希が持て余していることを察したのか、千種がそっと亜希に言う。
「人の気持ちは変わる、だからそのこと自体は罪じゃないし、受け入れるほうが自分も楽だ」
千種はきっと、自分のことも話しているのだろう。彼は明らかに、この2ヶ月ほどで、父や兄に対する刺々しいものを和らげてきていた。
「……ってこれ、親父までこんなこと」
千種は淡いピンクの花籠の横に、トルコキキョウや紫の薔薇を基調にした花束が置かれていることに気づき、送り主の名を見て目を剥く。それに気づいた住野の祖父が、千種に話しかけた。
「そうそう、クードゥル・オオニシって、千種さんのお身内のブランドなのかな」
「あ、はい……父がメインデザイナーです」
祖父は目を丸くした。
「千種さんもお手伝いされて?」
「いえ、私は関与していません、兄が事務方を仕切っていますが」
亜希は祖父の好奇心から千種を守るべく、話に割り込んだ。
「千種さんの仕事はぬいぐるみの修理だって私話さなかった?」
「ああ、そうだったね、じゃあそれもクードゥル・オオニシの系列ってことかい?」
話がややこしくなってきた。亜希が千種と苦笑を交わした時、新郎新婦の支度が整ったので、ほどなく開宴する旨のアナウンスがあった。
亜希の左、つまり住野の祖父と亜希の間に案内された千種は、やや居心地が悪そうだった。これでは完全に婚約者扱いなので、亜希も困惑を禁じ得なかったが、そういうことなのか、とも思ったりする。
結婚式は新郎新婦が一緒になる決意を皆の前で見せる儀式だが、そこに出席することもまた、自分の立場を周囲に知らしめることなのだ。
「新郎様と新婦様、ご登場です」
キャプテンの声とともに扉が開く。由希は青いドレス、丸山は黒のタキシードにお色直ししていた。音楽もアナウンスも無いが、自然とその場から拍手が湧く。2人が笑顔で高砂の席に着くと、それが合図であるかのように、皆のグラスにビールが注がれた。
丸山が立ち上がり、今日の参列への感謝を皆に伝えるのも、身内だけの祝宴らしかった。乾杯の発声を彼の叔父が務めると、和やかに食事が始まる。本当に良い式になったと、亜希は自分のことのように嬉しかった。
約2時間の宴がお開きになった後、ホテルのカフェで少し時間を潰したが、暑さがましになるまでにはまだまだかかりそうだった。意を決した亜希は炎天下、無事に祖母をフロイデハウスに送り届けてひと息つく。
祖母とロビーに入るとそこは涼しく快適で、ここから家まで歩くのさえ嫌になりそうである。
「タクシー使えばよかったわねぇ、千種さんもあんな暑い格好で……」
祖母の言葉に、確かに、と思った。夏に正装をした男性は気の毒だ。
「まあとにかく今日はゆっくりしてね、後で写真送るから」
「ありがとう、気をつけてね」
祖母に見送られ、亜希は再び日傘を開く。千種は亜希とももちゃんの写真を撮るのだと言って、着替えるために一度自宅に帰っていた。彼から連絡があるまで、亜希はワンピースを脱ぐことができないらしい。
家に着くと、亜希は髪を崩した。ももちゃんと撮影するなら、丁寧に結い上げられた髪より、普段のスタイルに近いほうがいいような気がしたからだった。
「ただいま、由希ちゃん凄くきれいだったよ」
亜希はベッドに寝ているももちゃんとさくらちゃんに声をかけた。暑い部屋の中で文句も言わずに待っていてくれるぬいぐるみたちに、亜希は勝手に申し訳なく思い、エアコンをつける。
程なくしてやってきた千種のメッセージに、亜希は思わずマジか、と呟いた。
「駅に着きました、公園に来れますか?」
だいぶ日が傾き、太陽のぎらつきは落ち着いてきたが、まだ外は暑い。
「……まあいいか、行くよももちゃん」
トートバッグにももちゃんを足から入れて、エアコンを止める。パンプスのヒールがやや辛かったので、サンダルを履いて出た。
「人の気持ちは変わる、だからそのこと自体は罪じゃないし、受け入れるほうが自分も楽だ」
千種はきっと、自分のことも話しているのだろう。彼は明らかに、この2ヶ月ほどで、父や兄に対する刺々しいものを和らげてきていた。
「……ってこれ、親父までこんなこと」
千種は淡いピンクの花籠の横に、トルコキキョウや紫の薔薇を基調にした花束が置かれていることに気づき、送り主の名を見て目を剥く。それに気づいた住野の祖父が、千種に話しかけた。
「そうそう、クードゥル・オオニシって、千種さんのお身内のブランドなのかな」
「あ、はい……父がメインデザイナーです」
祖父は目を丸くした。
「千種さんもお手伝いされて?」
「いえ、私は関与していません、兄が事務方を仕切っていますが」
亜希は祖父の好奇心から千種を守るべく、話に割り込んだ。
「千種さんの仕事はぬいぐるみの修理だって私話さなかった?」
「ああ、そうだったね、じゃあそれもクードゥル・オオニシの系列ってことかい?」
話がややこしくなってきた。亜希が千種と苦笑を交わした時、新郎新婦の支度が整ったので、ほどなく開宴する旨のアナウンスがあった。
亜希の左、つまり住野の祖父と亜希の間に案内された千種は、やや居心地が悪そうだった。これでは完全に婚約者扱いなので、亜希も困惑を禁じ得なかったが、そういうことなのか、とも思ったりする。
結婚式は新郎新婦が一緒になる決意を皆の前で見せる儀式だが、そこに出席することもまた、自分の立場を周囲に知らしめることなのだ。
「新郎様と新婦様、ご登場です」
キャプテンの声とともに扉が開く。由希は青いドレス、丸山は黒のタキシードにお色直ししていた。音楽もアナウンスも無いが、自然とその場から拍手が湧く。2人が笑顔で高砂の席に着くと、それが合図であるかのように、皆のグラスにビールが注がれた。
丸山が立ち上がり、今日の参列への感謝を皆に伝えるのも、身内だけの祝宴らしかった。乾杯の発声を彼の叔父が務めると、和やかに食事が始まる。本当に良い式になったと、亜希は自分のことのように嬉しかった。
約2時間の宴がお開きになった後、ホテルのカフェで少し時間を潰したが、暑さがましになるまでにはまだまだかかりそうだった。意を決した亜希は炎天下、無事に祖母をフロイデハウスに送り届けてひと息つく。
祖母とロビーに入るとそこは涼しく快適で、ここから家まで歩くのさえ嫌になりそうである。
「タクシー使えばよかったわねぇ、千種さんもあんな暑い格好で……」
祖母の言葉に、確かに、と思った。夏に正装をした男性は気の毒だ。
「まあとにかく今日はゆっくりしてね、後で写真送るから」
「ありがとう、気をつけてね」
祖母に見送られ、亜希は再び日傘を開く。千種は亜希とももちゃんの写真を撮るのだと言って、着替えるために一度自宅に帰っていた。彼から連絡があるまで、亜希はワンピースを脱ぐことができないらしい。
家に着くと、亜希は髪を崩した。ももちゃんと撮影するなら、丁寧に結い上げられた髪より、普段のスタイルに近いほうがいいような気がしたからだった。
「ただいま、由希ちゃん凄くきれいだったよ」
亜希はベッドに寝ているももちゃんとさくらちゃんに声をかけた。暑い部屋の中で文句も言わずに待っていてくれるぬいぐるみたちに、亜希は勝手に申し訳なく思い、エアコンをつける。
程なくしてやってきた千種のメッセージに、亜希は思わずマジか、と呟いた。
「駅に着きました、公園に来れますか?」
だいぶ日が傾き、太陽のぎらつきは落ち着いてきたが、まだ外は暑い。
「……まあいいか、行くよももちゃん」
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