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普通の人っぽいGW
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デートの約束の日は、良い天気で暑かった。外国人観光客も増えてきた上、今日などはきっと、何処に行っても日本人も溢れかえっているだろう。そういう環境に乗りこむことに慣れていない亜希の鞄は、水筒やら汗拭きシートやらでいっぱいになっていた。
荷物が増えるというのに、亜希は迷った末に、いつものトートバッグにももちゃんを入れて出た。良い撮影スポットがあれば、という欲望に負けてしまった。
亜希が特に行先の提案をしなかったので、飛行機を見に行こうと千種は言った。高田馬場駅で合流すると、丁寧に化粧をした亜希がネイビーのワンピース姿だった(これは亜希にとってかなり勇気の要る選択だった)せいか、千種はやや驚いたような目になった。彼はカジュアル過ぎない黒いデニムに軽い生地のジャケットを羽織っており、ちぐはぐにならなくてよかったと、密かに亜希はほっとする。
「ああ、亜希さんはワンピースが似合うんじゃないかなと俺ずっと思ってたから……」
千種は楽しげに言って、亜希の左肩にかかっているトートバッグに目を止めた。
「ももちゃん撮るんだ」
「飛行機とか初めてだもん」
亜希の返事に、千種はくすっと笑っただけだった。ぬいぐるみを持ち歩く女を、普通に受け止めてくれることにほっとする。
そこそこ混雑する山手線に揺られながら、亜希は千種に話す。
「飛行機って私、1回しか乗ったことないの……大学卒業する直前に、ゼミ旅行で北海道に行った時」
千種は1回きり? と驚く。
「修学旅行は?」
「大阪と京都と広島」
「あ、一緒だ……新幹線だよね」
小売業に従事する人間は、連休もあまり頻繁に取れない。少なくともハッピーストアでは、3連休以上を堂々とシフトに入れられるのは、結婚して新婚旅行に行く時くらいである。だから、普段は飛行機を使うような旅行にも行き辛いのだ。
そう話すと、千種は憐憫のようなものを表情に浮かべた。
「亜希さんは就職してから旅行してないの?」
「うん、大学生だった妹と一度箱根に行ったくらいかな? 平日に連休は取れなくはないんだけど、一緒に行く人がいないから」
あまりこんな話をすると、中澤じゃないが、これではまともにデートもできないと思われそうである。千種は亜希の小さな不安をよそに、明るく言った。
「俺たまに大阪行くのに飛行機使うんだ、1時間で着くし、ぬくもりぬいぐるみ病院の本院は伊丹空港からも行きやすいから」
「え、何だか贅沢」
「早割で真っ昼間の便を使ったら、新幹線より安い時あるよ」
「えーっ、知らなかった」
ごったがえす品川で京急に乗り換えた。車内にはスーツケースを持つ人たちも多い。ぎりぎり座ることができずに少し戸惑うと、千種は亜希を貫通扉のほうに導き、人の乗り降りでごちゃつかないようにしてくれた。
亜希さん、と千種は窓の外を見たまま言う。
「平日に連休取るか、前の日にちょっと早く仕事終わって最終便に乗るかして、飛行機で大阪に行かないか?」
突然の誘いに、亜希はどきりとして返事ができなかった。彼は亜希のほうに顔を向ける。
「こないだ俺のアイコンのさ、ジンベエザメのぬいぐるみのこと訊いてただろ? 母親のお土産って言ったけど、あのぬいぐるみを置いてる水族館には行ったことないんだ」
国内にジンベエザメが泳ぐ水族館は多くない。大阪のその水族館が、そのひとつであることくらいは、亜希も知っていた。
「だから一緒に行きたいと思って」
「あ、うん……」
「興味無い?」
そんなことない、と言いながら、亜希は勝手に恥じ入り、じわりと頬を熱くした。大阪という言葉が出た瞬間、母親に紹介したいというようなことを言われるのかと、身構えたのだ。
「どうしたの、暑い?」
千種が訊いてくるので、少し、と答えてごまかす。……馬鹿じゃないの私。
電車が地下に入り、羽田空港国際線ターミナル駅で外国人がごっそりと電車を降りた。今更だが、椅子に腰を下ろす。ももちゃんの入ったトートバッグを膝の上に置くと、耳がちらっと覗いた。こんな遠出にももちゃんを連れてきたのは、小学生の頃の家族旅行以来かもしれない。
「ももちゃんのファン増えたね」
指先でももちゃんの耳をすっと撫でた千種の言い方は、多分に大げさだった。新作をアップすると欠かさずいいねをくれる人が、ももちゃんの退院以降微増したのは確かだけれど、亜希の写真など所詮、素人の手慰みである。ぬいぐるみ愛好家の緩い日常のひとコマでしかない。
そう言うと、千種の目が笑う。
「皆そういう緩さに飢えてるのかもしれない、子どもも大人もあくせくして」
荷物が増えるというのに、亜希は迷った末に、いつものトートバッグにももちゃんを入れて出た。良い撮影スポットがあれば、という欲望に負けてしまった。
亜希が特に行先の提案をしなかったので、飛行機を見に行こうと千種は言った。高田馬場駅で合流すると、丁寧に化粧をした亜希がネイビーのワンピース姿だった(これは亜希にとってかなり勇気の要る選択だった)せいか、千種はやや驚いたような目になった。彼はカジュアル過ぎない黒いデニムに軽い生地のジャケットを羽織っており、ちぐはぐにならなくてよかったと、密かに亜希はほっとする。
「ああ、亜希さんはワンピースが似合うんじゃないかなと俺ずっと思ってたから……」
千種は楽しげに言って、亜希の左肩にかかっているトートバッグに目を止めた。
「ももちゃん撮るんだ」
「飛行機とか初めてだもん」
亜希の返事に、千種はくすっと笑っただけだった。ぬいぐるみを持ち歩く女を、普通に受け止めてくれることにほっとする。
そこそこ混雑する山手線に揺られながら、亜希は千種に話す。
「飛行機って私、1回しか乗ったことないの……大学卒業する直前に、ゼミ旅行で北海道に行った時」
千種は1回きり? と驚く。
「修学旅行は?」
「大阪と京都と広島」
「あ、一緒だ……新幹線だよね」
小売業に従事する人間は、連休もあまり頻繁に取れない。少なくともハッピーストアでは、3連休以上を堂々とシフトに入れられるのは、結婚して新婚旅行に行く時くらいである。だから、普段は飛行機を使うような旅行にも行き辛いのだ。
そう話すと、千種は憐憫のようなものを表情に浮かべた。
「亜希さんは就職してから旅行してないの?」
「うん、大学生だった妹と一度箱根に行ったくらいかな? 平日に連休は取れなくはないんだけど、一緒に行く人がいないから」
あまりこんな話をすると、中澤じゃないが、これではまともにデートもできないと思われそうである。千種は亜希の小さな不安をよそに、明るく言った。
「俺たまに大阪行くのに飛行機使うんだ、1時間で着くし、ぬくもりぬいぐるみ病院の本院は伊丹空港からも行きやすいから」
「え、何だか贅沢」
「早割で真っ昼間の便を使ったら、新幹線より安い時あるよ」
「えーっ、知らなかった」
ごったがえす品川で京急に乗り換えた。車内にはスーツケースを持つ人たちも多い。ぎりぎり座ることができずに少し戸惑うと、千種は亜希を貫通扉のほうに導き、人の乗り降りでごちゃつかないようにしてくれた。
亜希さん、と千種は窓の外を見たまま言う。
「平日に連休取るか、前の日にちょっと早く仕事終わって最終便に乗るかして、飛行機で大阪に行かないか?」
突然の誘いに、亜希はどきりとして返事ができなかった。彼は亜希のほうに顔を向ける。
「こないだ俺のアイコンのさ、ジンベエザメのぬいぐるみのこと訊いてただろ? 母親のお土産って言ったけど、あのぬいぐるみを置いてる水族館には行ったことないんだ」
国内にジンベエザメが泳ぐ水族館は多くない。大阪のその水族館が、そのひとつであることくらいは、亜希も知っていた。
「だから一緒に行きたいと思って」
「あ、うん……」
「興味無い?」
そんなことない、と言いながら、亜希は勝手に恥じ入り、じわりと頬を熱くした。大阪という言葉が出た瞬間、母親に紹介したいというようなことを言われるのかと、身構えたのだ。
「どうしたの、暑い?」
千種が訊いてくるので、少し、と答えてごまかす。……馬鹿じゃないの私。
電車が地下に入り、羽田空港国際線ターミナル駅で外国人がごっそりと電車を降りた。今更だが、椅子に腰を下ろす。ももちゃんの入ったトートバッグを膝の上に置くと、耳がちらっと覗いた。こんな遠出にももちゃんを連れてきたのは、小学生の頃の家族旅行以来かもしれない。
「ももちゃんのファン増えたね」
指先でももちゃんの耳をすっと撫でた千種の言い方は、多分に大げさだった。新作をアップすると欠かさずいいねをくれる人が、ももちゃんの退院以降微増したのは確かだけれど、亜希の写真など所詮、素人の手慰みである。ぬいぐるみ愛好家の緩い日常のひとコマでしかない。
そう言うと、千種の目が笑う。
「皆そういう緩さに飢えてるのかもしれない、子どもも大人もあくせくして」
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