ほつれた心も縫い留めて ~三十路の女王は紳士な針子にぬいぐるみごと愛でられる~

穂祥 舞

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針子が女王に明かすには

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 彼はカシューナッツを指で摘み、軽く笑った。

「確かに政治家は家庭のスキャンダルはまずいよね、そんな大袈裟じゃないんだけど……デザイナーなんだ、一部オートクチュールの」

 ええっ! という声の代わりに、亜希のビール缶がぷしゅっと間の抜けた音を立てた。

「クードゥル・オオニシって、小さい会社なんだけど」

 千種の言葉に、亜希はただただあ然とする。ファッションにほぼ興味の無い亜希でも、そのブランドの名を知っていた。皇族のとある宮さまのお気に入りで、活動的かつ個性的な彼女が公務に赴く際に、勝負服として選ぶブランドだと有名だからだ。オーソドックスでありながら、細部に独特の遊び心がある、という評価を受けている。

「あ、驚かせた?」

 千種の苦笑に、亜希は頷きビールを口にした。

「うん、ちょっとびびった」
「ごめん……パタンナーの母が父のデザインした服を作る、元々小さな婦人服屋だった会社なんだ、名が売れたのはワイドショーの皇室ネタで取り上げられてからで」

 凄いな、と亜希は素直に感心する。千種の両親は、ドラマのようなサクセスストーリーの持ち主なのだ。
 千種は他人事のように続ける。

「離婚したら母が、クードゥル・オオニシに対する全ての権利を奪われるような話になって、父が店を大きくする時に金を出した母の家族……俺の祖父母が激怒したとか、父が手を出したのは俺と同い年のモデルだとかいう話が、まあ大っぴらにはできなくて、火消しを兄が必死でやってきた訳です」

 次々に与えられる情報に、亜希の脳内が一気に混乱する。小さな会社なんて言うが、亜希にしてみると、千種は立派な御曹司である。母親の実家も裕福そうだし、彼が何処となく上品な雰囲気を持っているのは、育ちのせいなのかもしれない。また、針を操る彼の器用な手先は、きっとパタンナーの母親譲りに違いないと思う。
 千種の母は現在大阪で暮らしているという。元夫とは会社のことで裁判沙汰になりかけたものの、ビジネスのつき合いが続いていて、オートクチュール部門の大切な顧客から依頼がある時だけ、東京に赴くらしい。

「あ、じゃあ大阪に行ったらお母様に会ってるんだ」
「うん……実はぬくもりぬいぐるみ病院の運営会社の社長がさ、母の従姉なもんだから、定期的に大阪の本院に来いと若干圧力かけられてて」
「えーっ、そうなの……」

 亜希の何度目かの驚きの声に、千種は不本意な表情になる。

「今住野さん、俺が身内に寄りかかって人生送ってると思ってるだろ?」

 亜希はその言葉の意味がわからず、目をぱちくりさせた。

「へ? 思ってないけど?」
「いや、……ぬくもりぬいぐるみ病院はほんとたまたまだったんだ」

 千種が勝手に気まずそうにするのがやや笑えた。しかし彼が両親と同じ道を選んだことで、これまで少なからず羨望や嫉妬のまなざしを周囲から受けてきたことが察され、ちょっと気の毒になる。
 遺伝としての能力が備わっていたとしても、千種の技術は彼が努力して身につけたものだ。なのにそれを、彼がタダで手に入れたように見做してやっかむ人は、やはりいるのだろう。

「母の親族って起業してる人が多くてさ、従姉妹おばっていうの? その人が社長とは知らずに求人に応募して……」
「うんうん、そういうことあると思う、大学のゼミ友でね、知らずに大叔父さんが会長やってる会社に就職した子いるから」

 亜希は千種の気持ちを楽にしてやりたくて、学生時代の友人の話をしてやった。千種は口許を少し緩める。

「住野さん優しい」

 そんな言われ方をして、亜希はぎょっとしてしまう。

「だって、気にしなくていいこと気にしてるみたいだから」

 千種はしばし亜希の顔を見つめて、またふっと笑った。そしてビールに口をつけた。

「俺もう中学生の頃には、母親とか他のお針子さんたちのとこへ行って針を持ち始めて……上手だと言われてますます面白くなって」

 しかしすぐに、千種はその楽しみが自分の家の中でしか許されないことに気づく。学校の手芸部には男子部員はおらず、周りの男子は家庭科の時間に退屈そうにしていた。俺はどうも、少しおかしいらしい。千種は布や針に触ることが好きな自分を、外では隠した。
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