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昔の男、今の男
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「先ほどは失礼な態度を取り申し訳ありませんでした。もし不快でなければ、駅前の定食屋に居ますので、お立ち寄りください」
大西から、そんなメッセージが来ていた。従業員入口を出た亜希は、やや困惑しながら駅に向かう。家に来いと言ったのは小芝居だったようだが、彼が何故そんな真似をしたのか、亜希にはよくわからなかった。
駅舎がすぐそこに見える定食屋は、ハッピーストアの従業員も昼に使う店で、コスパが高いと好評である。自動ドアをくぐると、ほどほどに混む店内の窓際の席に、大西の姿が見えた。彼も亜希に気づいたようで、軽く手を挙げる。
「すみません、家で用意したのでなくて」
テーブルには、瓶ビールと枝豆が既に置かれていた。先に始めていたようだ。亜希が返答に困りつつ椅子を引くと、店員がきびきびとオーダーを取りに来る。
大西は慣れた風情で店員に言った。
「グラスもうひとつ頼みます、カキフライ定食と……住野さんは? 後にしますか?」
「あ、私もカキフライ定食で」
グラスが来ると、大西が素早くビールを注いでくれたが、途中で手を止めた。
「あ、飲むかどうかも訊かずにごめんなさい」
亜希は思わず背筋を伸ばした。家でたまに独り晩酌をする身なので、当然のように飲む気でいた。
「いえ、飲みますよ」
「そう? じゃあ乾杯、お疲れさまでした」
酔っているという感じでも無かったが、グラスを軽く当ててきた大西は上機嫌に見えた。大阪行きが楽しかったのか、逆に東京に戻ってホッとしたのだろうか。それを推し量るための情報さえ、今はまだ亜希の手の中に無い。
好きな人がいるなどと榊原の前でぶち上げて、亜希は勝手に目の前の男に対して気まずさを覚えていた。
「どうかしました? ああ、さっきのことは要説明ですね……勘違いだったら謝りますけど、住野さんあの人の傍にいるの嫌そうだったので」
大西に言われて、ビールを喉に流し込んだ亜希は、ああ、まあ、と歯切れ悪く応じる。
「あそこにいなくてもいいのに来るから、ちょい困ってました」
大西は眉根を寄せ、そこに薄く皺を作った。
「あの人何なんですか? スーツ着てたってことは、偉い人? もしかしてつきまとわれてるんじゃ」
榊原の肩を持つ気はさらさら無いが、殊更に貶めるつもりも無いので、亜希は少し焦る。
「そっ、そういう犯罪チックな感じではないと思うんですけど、……去年までつき合ってた人なんです」
亜希の告白に、大西はぽかんとした。そんな顔をしなくてもいいのではないかと思う。30年も生きてきたのだから、これでも恋愛の修羅場くらいはくぐってきているというものである。
大西は顎を上げ、ふうん、といかにもつまらなさそうに言った。
「で、住野さんに未練があるんだよね? 何か俺のこと嫌な目で見るし、喧嘩売られたと思ってあんな態度に出てしまったんだけど」
初対面の大西にこんな受け取られ方をするとは、曲がりなりにも接客中なのに、榊原はどんな顔をしていたのだろう? 亜希は次々と襲い来る困惑のせいで、疲れ始めていた。注がれたビールを遠慮なくあおってしまう。
「いや、未練があるというよりは……」
好きな人がいると言ったら、榊原はやけに驚いていた。亜希が今でも多少自分に未練があると、自惚れていたのだろう。全く図々しい……その時カキフライ定食がテーブルに運ばれてきたので、ビールと枝豆を避けた。
大西はもう1本ビールを頼み、いただきます、と早速手を合わせる。亜希も彼に倣い、箸を手にした。
「別にフォローする訳じゃないけど、あの人本社のバイヤーで、仕事はできるんです」
千切りのキャベツに箸を入れた大西は、再度つまらなさそうにふうん、と言った。気を悪くしたのかと、亜希のほうが会話を躊躇う。
「すみません、今度あの人が店に来ることがあったら、ひと言言っておきます」
大西が手酌で新しいビールを飲もうとするのを止め、グラスに注いでやった。彼は決まり悪そうな表情になる。あまりこれまで見たことのない顔だった。
「いいです、今日のことは忘れます……でも心配だから、住野さんがあの人とあまり接触しないでいてくれたほうが嬉しい」
あ、はい、と亜希はつられる形で答えてしまった。でも榊原に「彼があなたとは話すなと言うので」と言ってやるのは、何げに気持ち良さそうだ。
大西から、そんなメッセージが来ていた。従業員入口を出た亜希は、やや困惑しながら駅に向かう。家に来いと言ったのは小芝居だったようだが、彼が何故そんな真似をしたのか、亜希にはよくわからなかった。
駅舎がすぐそこに見える定食屋は、ハッピーストアの従業員も昼に使う店で、コスパが高いと好評である。自動ドアをくぐると、ほどほどに混む店内の窓際の席に、大西の姿が見えた。彼も亜希に気づいたようで、軽く手を挙げる。
「すみません、家で用意したのでなくて」
テーブルには、瓶ビールと枝豆が既に置かれていた。先に始めていたようだ。亜希が返答に困りつつ椅子を引くと、店員がきびきびとオーダーを取りに来る。
大西は慣れた風情で店員に言った。
「グラスもうひとつ頼みます、カキフライ定食と……住野さんは? 後にしますか?」
「あ、私もカキフライ定食で」
グラスが来ると、大西が素早くビールを注いでくれたが、途中で手を止めた。
「あ、飲むかどうかも訊かずにごめんなさい」
亜希は思わず背筋を伸ばした。家でたまに独り晩酌をする身なので、当然のように飲む気でいた。
「いえ、飲みますよ」
「そう? じゃあ乾杯、お疲れさまでした」
酔っているという感じでも無かったが、グラスを軽く当ててきた大西は上機嫌に見えた。大阪行きが楽しかったのか、逆に東京に戻ってホッとしたのだろうか。それを推し量るための情報さえ、今はまだ亜希の手の中に無い。
好きな人がいるなどと榊原の前でぶち上げて、亜希は勝手に目の前の男に対して気まずさを覚えていた。
「どうかしました? ああ、さっきのことは要説明ですね……勘違いだったら謝りますけど、住野さんあの人の傍にいるの嫌そうだったので」
大西に言われて、ビールを喉に流し込んだ亜希は、ああ、まあ、と歯切れ悪く応じる。
「あそこにいなくてもいいのに来るから、ちょい困ってました」
大西は眉根を寄せ、そこに薄く皺を作った。
「あの人何なんですか? スーツ着てたってことは、偉い人? もしかしてつきまとわれてるんじゃ」
榊原の肩を持つ気はさらさら無いが、殊更に貶めるつもりも無いので、亜希は少し焦る。
「そっ、そういう犯罪チックな感じではないと思うんですけど、……去年までつき合ってた人なんです」
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大西は顎を上げ、ふうん、といかにもつまらなさそうに言った。
「で、住野さんに未練があるんだよね? 何か俺のこと嫌な目で見るし、喧嘩売られたと思ってあんな態度に出てしまったんだけど」
初対面の大西にこんな受け取られ方をするとは、曲がりなりにも接客中なのに、榊原はどんな顔をしていたのだろう? 亜希は次々と襲い来る困惑のせいで、疲れ始めていた。注がれたビールを遠慮なくあおってしまう。
「いや、未練があるというよりは……」
好きな人がいると言ったら、榊原はやけに驚いていた。亜希が今でも多少自分に未練があると、自惚れていたのだろう。全く図々しい……その時カキフライ定食がテーブルに運ばれてきたので、ビールと枝豆を避けた。
大西はもう1本ビールを頼み、いただきます、と早速手を合わせる。亜希も彼に倣い、箸を手にした。
「別にフォローする訳じゃないけど、あの人本社のバイヤーで、仕事はできるんです」
千切りのキャベツに箸を入れた大西は、再度つまらなさそうにふうん、と言った。気を悪くしたのかと、亜希のほうが会話を躊躇う。
「すみません、今度あの人が店に来ることがあったら、ひと言言っておきます」
大西が手酌で新しいビールを飲もうとするのを止め、グラスに注いでやった。彼は決まり悪そうな表情になる。あまりこれまで見たことのない顔だった。
「いいです、今日のことは忘れます……でも心配だから、住野さんがあの人とあまり接触しないでいてくれたほうが嬉しい」
あ、はい、と亜希はつられる形で答えてしまった。でも榊原に「彼があなたとは話すなと言うので」と言ってやるのは、何げに気持ち良さそうだ。
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