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昔の男、今の男
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「何? レジ閉めするの?」
「レジが人少ないんです、雨が止んで1階混んできたので」
相手はこの店に3年半居た元チーフなので、亜希の雑な説明でも、状況はちゃんと通じた。榊原は軽い口調を変えずに話す。
「8時上がり? 俺レジ閉め手伝おっか、一緒に上がって飯でも食わない?」
「バイヤー様にそんなことしていただかなくても次長に頼んでます」
つい冷ややかな言い方になる。食事の誘いは無視した。
戸村が離れた場所からこちらを見ているので、イラっとした亜希は榊原の顔も見ずに言った。
「戸村さん、何か用事あるっぽいですよ」
「え? ……戸村くん、どうした?」
客が居ないからといって、榊原は声のボリュームを上げてその場から戸村に話しかける。そっちまで行けよ! 亜希はますますイラついたが、戸村がこちらにやってきた。
「ティッシュが定数いきそうなんですよ、もう売価変更したほうがいいか迷ってます」
榊原はてきぱきと指示した。
「今お客さん入って来てるからさ、もう少しこのままでいけば? 戸村くんが9時に上がる時に変更したらいいよ、在庫いけるよな?」
「あ、全然余裕です」
今日の目玉商品であるティッシュペーパーが、先着200パックの販売上限に達しつつあるらしい。戸村にとっては、この店の傾向をよく知る榊原は頼りになる。
榊原はさらに、横にローションティッシュを並べるよう言った。
「今ティッシュを買いにくる人の8割は花粉症だからな、3Pも絶対出るぞ」
「はい、メーカーで品切れしないんですかね」
「心配だからこっちも確保にかかってる」
亜希はレジを開けて、硬貨の棒金を作りながら、2人の話を耳に入れていた。電話で商品の問い合わせを受ける身としては、こういった情報は役に立つ。
先を見て動く榊原のような人間は、本社勤務に向いているだろう。かつては亜希も、こんな榊原をかっこいいと思い、憧れた。交際するようになると、何かと先回りされ過ぎて、今思えばやや面倒くさかったが……。
戸村は売り場を作りに行った。亜希が腕時計を見ると、19時45分である。あと15分、この男の相手をしなくてはいけないのだろうか……今すぐレジを閉めて帰りたいと思った。
榊原の話した通り、ティッシュを買いに2階にやってくる客が増えてきた。別に手は要らないのに、榊原は亜希の横に入ってきて、シールでよろしいですか? などと客に応対し始める。彼は接客も好きで、容姿が整っていることもあり、チーフ時代から客のおばちゃんたちのアイドルだった。
「鷺ノ宮店のお客様ってさ、意外性は無いけど目玉を堅く買いに来てくれるよな、こんな天気でティッシュが完売する店って無いぞ」
「あ、そうですか……」
亜希は適当に相槌を打つ。5人ほどの客を捌いたあと、榊原は小声で言った。
「今1人なの?」
セクハラかよ! 亜希は流石に彼を横目で睨みつけた。
「だとしたら、あなたに何の関係が?」
最大限に冷ややかに言ったつもりだったが、榊原はいけしゃあしゃあと応じる。
「え? 元カノの現状とか気になるし」
「……最高に余計なお世話です、馬鹿にしてません?」
「まさか、車上狙いに毅然と対応した話に感動したよ、ほんと大変だったね」
本社ではまた少し変異した噂が流れているように感じられたが、亜希は訂正しようとも思わなかった。元カノが黙っているのを、良いように受け止めたのか、榊原は何やらしみじみとした口調になる。
「いや、俺実は結婚が決まったんだけどさ……亜希ちゃんが事件に巻き込まれた話聞いて、今日実際会って、何だか惜しいことしたかなと思ってる」
はぁ? その言葉に、亜希の頭の中の細い神経がピキッと音を立てた。何なんだそれ! 怒鳴りそうだったが、気力で声帯を抑えつけた。
「……そうですか、そんな話をして私が喜んだりあなたにふらついたりすると思ってるんですか? ほんと馬鹿にして」
亜希は言葉を切った。エスカレーターから、よく知る人が降りてきたのが視界に入ったからである。榊原も、亜希の視線の先を追うように顔を反対側に向けた。
その時亜希の口から、勝手に言葉が出た。
「今私好きな人がいます、今後そういう話はしないでください、食事の誘いもお断りします」
亜希の強い言葉に、榊原はこちらに首を振り向け、マスクの上の目を真ん丸にした。あ然、をそのまま表情にしたようだった。
「レジが人少ないんです、雨が止んで1階混んできたので」
相手はこの店に3年半居た元チーフなので、亜希の雑な説明でも、状況はちゃんと通じた。榊原は軽い口調を変えずに話す。
「8時上がり? 俺レジ閉め手伝おっか、一緒に上がって飯でも食わない?」
「バイヤー様にそんなことしていただかなくても次長に頼んでます」
つい冷ややかな言い方になる。食事の誘いは無視した。
戸村が離れた場所からこちらを見ているので、イラっとした亜希は榊原の顔も見ずに言った。
「戸村さん、何か用事あるっぽいですよ」
「え? ……戸村くん、どうした?」
客が居ないからといって、榊原は声のボリュームを上げてその場から戸村に話しかける。そっちまで行けよ! 亜希はますますイラついたが、戸村がこちらにやってきた。
「ティッシュが定数いきそうなんですよ、もう売価変更したほうがいいか迷ってます」
榊原はてきぱきと指示した。
「今お客さん入って来てるからさ、もう少しこのままでいけば? 戸村くんが9時に上がる時に変更したらいいよ、在庫いけるよな?」
「あ、全然余裕です」
今日の目玉商品であるティッシュペーパーが、先着200パックの販売上限に達しつつあるらしい。戸村にとっては、この店の傾向をよく知る榊原は頼りになる。
榊原はさらに、横にローションティッシュを並べるよう言った。
「今ティッシュを買いにくる人の8割は花粉症だからな、3Pも絶対出るぞ」
「はい、メーカーで品切れしないんですかね」
「心配だからこっちも確保にかかってる」
亜希はレジを開けて、硬貨の棒金を作りながら、2人の話を耳に入れていた。電話で商品の問い合わせを受ける身としては、こういった情報は役に立つ。
先を見て動く榊原のような人間は、本社勤務に向いているだろう。かつては亜希も、こんな榊原をかっこいいと思い、憧れた。交際するようになると、何かと先回りされ過ぎて、今思えばやや面倒くさかったが……。
戸村は売り場を作りに行った。亜希が腕時計を見ると、19時45分である。あと15分、この男の相手をしなくてはいけないのだろうか……今すぐレジを閉めて帰りたいと思った。
榊原の話した通り、ティッシュを買いに2階にやってくる客が増えてきた。別に手は要らないのに、榊原は亜希の横に入ってきて、シールでよろしいですか? などと客に応対し始める。彼は接客も好きで、容姿が整っていることもあり、チーフ時代から客のおばちゃんたちのアイドルだった。
「鷺ノ宮店のお客様ってさ、意外性は無いけど目玉を堅く買いに来てくれるよな、こんな天気でティッシュが完売する店って無いぞ」
「あ、そうですか……」
亜希は適当に相槌を打つ。5人ほどの客を捌いたあと、榊原は小声で言った。
「今1人なの?」
セクハラかよ! 亜希は流石に彼を横目で睨みつけた。
「だとしたら、あなたに何の関係が?」
最大限に冷ややかに言ったつもりだったが、榊原はいけしゃあしゃあと応じる。
「え? 元カノの現状とか気になるし」
「……最高に余計なお世話です、馬鹿にしてません?」
「まさか、車上狙いに毅然と対応した話に感動したよ、ほんと大変だったね」
本社ではまた少し変異した噂が流れているように感じられたが、亜希は訂正しようとも思わなかった。元カノが黙っているのを、良いように受け止めたのか、榊原は何やらしみじみとした口調になる。
「いや、俺実は結婚が決まったんだけどさ……亜希ちゃんが事件に巻き込まれた話聞いて、今日実際会って、何だか惜しいことしたかなと思ってる」
はぁ? その言葉に、亜希の頭の中の細い神経がピキッと音を立てた。何なんだそれ! 怒鳴りそうだったが、気力で声帯を抑えつけた。
「……そうですか、そんな話をして私が喜んだりあなたにふらついたりすると思ってるんですか? ほんと馬鹿にして」
亜希は言葉を切った。エスカレーターから、よく知る人が降りてきたのが視界に入ったからである。榊原も、亜希の視線の先を追うように顔を反対側に向けた。
その時亜希の口から、勝手に言葉が出た。
「今私好きな人がいます、今後そういう話はしないでください、食事の誘いもお断りします」
亜希の強い言葉に、榊原はこちらに首を振り向け、マスクの上の目を真ん丸にした。あ然、をそのまま表情にしたようだった。
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