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古い子はかわいそうなのか
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前日に大きなミッションを無事果たした亜希は、何の懸案も無く、翌日の朝寝坊を楽しんだ。起き出すと予報通り寒く、空には灰色の雲が立ち込め、雪でも落ちて来そうな気配である。
裸のももちゃんは寒そうに見えて、亜希は彼女の身体に軽く布団をかけた。ベッドと箪笥だけが置かれた部屋から出て、洗面台に向かう。暗いので電気を点けた。
ももちゃんの写真は室内でも撮るが、スマートフォンのカメラの限界を感じるのは、こういう時である。曇りや雨の日の屋内撮影は、ただただ薄暗い画面になってしまう。
投稿仲間には、パソコンに落として加工ソフトを使う人も多いが、亜希は基本的に、ももちゃんの写真に手を入れない。それは、SNSに投稿を始めて半年ほど経った頃、フォロワーからやや無思慮な言葉を投げかけられたことがきっかけだった。
「古くて何だかかわいそう」
他のぬいぐるみ撮影ファンからは、こんな言い方ありえない、気にしないで、といった慰めの声が次々に届いた。発言者は古いぬいぐるみを大切にしている人たちから総スカンを食らったのだったが、ももちゃんを大切に扱っているつもりだけに、かわいそうと言われたのは傷ついた。
しかし普段、顔の見えない客から、時に犯罪レベルの理不尽なクレームの電話を受けている亜希は、匿名で自分に向けられたマイナスの感情を短時間でスルーする術を身につけている。開き直りは翌日に訪れた。勝手に憐れんでろ、見たくなきゃ見なければいいし、何なら見ることができないようにしてやる。少し迷ったが、亜希はその人物をブロックした。
そして考えた。古くて惨めに見えようとも、写真を加工せず、ありのままのももちゃんで勝負する。それが自己満足であることもわかっているが、だからどうなんだと言いたくなる。
亜希は遅い朝食を終え、歯を磨いてから、昨夜見ていたぬくもりぬいぐるみ病院のホームページに再度アクセスした。小児科の診療所のような柔らかいトーンのトップページから、料金表に進んだ。今、亜希が気になっているももちゃんの「怪我」を全て何とかしてもらい、綿抜きの上クリーニングしたとしたら、2万円はかかりそうである。
そんなに金を使うのは愚かしいと思う反面、ももちゃんが「古くてかわいそう」な子ではなくなる可能性を考えると、ときめいてしまう。亜希だって、四半世紀近く可愛がっているぬいぐるみを、美しく蘇らせたくない訳がない。
「あーあ、宝くじでも当たれば即決するんだけどなぁ」
呟いてみて、愛が足りないと亜希は自分が残念になる。SNSで繋がっている人はみんな、自分のぬいぐるみを本当に愛している。よく晴れた日に手洗いし、手作りの服を着せて、可愛く撮れるよう工夫を凝らす。自分はそんな人たちの足許にも及ばない。
亜希は昨夜もチラ見した、病院のスタッフ紹介のページをタップした。専任医師、つまりぬいぐるみを扱い慣れた常勤のお針子が、7人もいる。他に非常勤もいるようなので、大した繁盛ぶりだ。
大西千種は、専任医師の中でもベテランらしく、院長の次の次に大きな写真が載っていた。マスクを外しても、彼はイケメンである。目許に加えて、鼻から下のパーツもバランスが良い。何げにおっとりと上品な雰囲気で、ちょっと小売業では見かけないタイプだ。
「ぬいぐるみはお客様の大切な思い出を分かち合うパートナー。だから、いつも真摯に向き合っています」
コメントまでイケているような気がするのは、単なる贔屓目だろう。亜希はこの男に、幾許かの好感を抱いていることを自覚せざるを得なかったが、脳内でその気持ちに対してデリートキーを3回叩いた。
裸のももちゃんは寒そうに見えて、亜希は彼女の身体に軽く布団をかけた。ベッドと箪笥だけが置かれた部屋から出て、洗面台に向かう。暗いので電気を点けた。
ももちゃんの写真は室内でも撮るが、スマートフォンのカメラの限界を感じるのは、こういう時である。曇りや雨の日の屋内撮影は、ただただ薄暗い画面になってしまう。
投稿仲間には、パソコンに落として加工ソフトを使う人も多いが、亜希は基本的に、ももちゃんの写真に手を入れない。それは、SNSに投稿を始めて半年ほど経った頃、フォロワーからやや無思慮な言葉を投げかけられたことがきっかけだった。
「古くて何だかかわいそう」
他のぬいぐるみ撮影ファンからは、こんな言い方ありえない、気にしないで、といった慰めの声が次々に届いた。発言者は古いぬいぐるみを大切にしている人たちから総スカンを食らったのだったが、ももちゃんを大切に扱っているつもりだけに、かわいそうと言われたのは傷ついた。
しかし普段、顔の見えない客から、時に犯罪レベルの理不尽なクレームの電話を受けている亜希は、匿名で自分に向けられたマイナスの感情を短時間でスルーする術を身につけている。開き直りは翌日に訪れた。勝手に憐れんでろ、見たくなきゃ見なければいいし、何なら見ることができないようにしてやる。少し迷ったが、亜希はその人物をブロックした。
そして考えた。古くて惨めに見えようとも、写真を加工せず、ありのままのももちゃんで勝負する。それが自己満足であることもわかっているが、だからどうなんだと言いたくなる。
亜希は遅い朝食を終え、歯を磨いてから、昨夜見ていたぬくもりぬいぐるみ病院のホームページに再度アクセスした。小児科の診療所のような柔らかいトーンのトップページから、料金表に進んだ。今、亜希が気になっているももちゃんの「怪我」を全て何とかしてもらい、綿抜きの上クリーニングしたとしたら、2万円はかかりそうである。
そんなに金を使うのは愚かしいと思う反面、ももちゃんが「古くてかわいそう」な子ではなくなる可能性を考えると、ときめいてしまう。亜希だって、四半世紀近く可愛がっているぬいぐるみを、美しく蘇らせたくない訳がない。
「あーあ、宝くじでも当たれば即決するんだけどなぁ」
呟いてみて、愛が足りないと亜希は自分が残念になる。SNSで繋がっている人はみんな、自分のぬいぐるみを本当に愛している。よく晴れた日に手洗いし、手作りの服を着せて、可愛く撮れるよう工夫を凝らす。自分はそんな人たちの足許にも及ばない。
亜希は昨夜もチラ見した、病院のスタッフ紹介のページをタップした。専任医師、つまりぬいぐるみを扱い慣れた常勤のお針子が、7人もいる。他に非常勤もいるようなので、大した繁盛ぶりだ。
大西千種は、専任医師の中でもベテランらしく、院長の次の次に大きな写真が載っていた。マスクを外しても、彼はイケメンである。目許に加えて、鼻から下のパーツもバランスが良い。何げにおっとりと上品な雰囲気で、ちょっと小売業では見かけないタイプだ。
「ぬいぐるみはお客様の大切な思い出を分かち合うパートナー。だから、いつも真摯に向き合っています」
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