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番外編

可愛い仔猫

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 屋敷の庭で、新しく植えてもらったハーブたちを見ていると、ココが近寄ってくる気配がした。俺は振り返り、ココが口に咥えているを見て、目を見開く。
「ココ、その子どうしたの?」
 ゆっくりとココが地面に置いたのは、小さな仔猫だった。
「きゅ」
 ココは、仔猫を見下ろしてから庭を振り返った。
 ふむ。庭のどこかに迷い込んでいた、というところか。
 ココは肉食獣だ。仔猫なら食べてしまってもおかしくはない。それなのに、拾って俺に見せに来たということは、この子を保護したい気持ちがあるように思う。
「みぃ」
 真っ白い毛に青い瞳をしていて、綺麗な仔猫だった。その仔猫は、震えながら小さな声で鳴いた。逃げる様子もなく、弱っているようだ。
「元気ないね。お医者様に診てもらおうか」
 俺は仔猫を抱き上げると、ココを伴って屋敷に入り、トリスタンに頼んで獣医を呼んでもらった。

 ガシャンっ、と陶器が割れる音がして、俺は思わず『コラっ!』と叫んだ。
 その大きな声に驚いた悪戯っ子は、ぴゅーっとココのそばまで走り寄り隠れてしまう。
 何て素早い。
「あーあ。割れちゃった」
「フィン様。危ないですから触れないでください」
 床に落ちて粉々になった花瓶に手を伸ばそうとしたら、エリクに止められた。
 絶対に触らないようにと念を押してから、エリクは雑巾と箒を取りに俺の部屋を出て行く。
 俺が机を離れ、本棚の前まで移動して本を物色している数分の間に起きた所業。
 やんちゃだなぁ。
 俺は、丸く寝そべっているココに近づいた。
「ラピくーん? どこにいるのかなぁ?」
 ココのお腹の毛に紛れた仔猫を見つけると、俺は後ろ首を掴み引き上げた。
「ラピ。花瓶がある棚の上に乗っちゃ駄目って、何度も言ってるでしょ?」
「みゃ」
 ぷらんっ、と吊り上げられた仔猫のラピは短く鳴いた。『なに?』とも取れるし、『ごめん』と謝っているようにも聞こえる。または『知らない』と、知らんぷりをしているのかもしれない。
 ココとは違い、ラピとの意思疎通は困難だった。
 このやんちゃ坊主め、と額をツンっとつついた後、ココの前に下ろしてやる。ココは俺の言葉が分かっているので、代わりにラピを軽く押さえつけて『きゅきゅ』と少し低い声音で叱ってくれた。獣同士で会話も成り立つのか、ラピはシュンっとしょげる。ココに拾われたからか、ラピはココが大好きだった。
 ラピは生後三ヶ月くらいでココに見つけられた。親とはぐれたのか、お腹を空かして弱っていただけで、病気も怪我もしていなかった。食事を与えると、数日したら元気になった。母猫を探したが見つけられず、今は里親を募集している最中だ。名前がないのも不便だと、俺が『ラピ』と名付けた。瞳の色が濃い青色で、ラピスラズリみたいだと思ったからだ。
 掃除をしてくれたエリクに礼を言い、新しい花瓶の用意は必要ないと告げる。ラピが割ったのは五個目の花瓶で、これ以上被害を出さない為には、最初から置かないのが一番だと判断した。花がないのは殺風景だと言われたら、花の描かれた絵画でも飾ろう。
 追加のお茶をエリクに頼むと、俺はソファに腰を下ろした。探していた本を見つけたので読み始めると、太ももに何かが触れた。見下ろすと、ラピの小ちゃな前脚だった。
「なあに? ラピ」
「みゃ」
 耳をペタンと器用に下げ、こちらを見上げてくる。どうやら謝っているようだと、今度は分かった。
 俺は本を机に置くと、ラピを抱き上げた。ラピは大人しく俺の腕の中に収まる。
「謝れて良い子だね。危ないこと、一個ずつ覚えていこうね」
 頭を数回撫でると、許しをもらえたと分かったのか、すぐに俺の腕からラピは抜け出した。ココに走り寄り『みゃあ!』と報告にいく。ココはラピの頭をペロリと舐めてやった。ラピはココに褒められたのが嬉しかったのか、スリスリとココに擦り寄った。それを見た俺は、しんなりと眉をひそめる。
「……僕にはツンで、ココにはデレ? これが世に言うツンデレか?」
 複雑な気分で呟いた俺の言葉を聞いてしまったトリスタンは、背後で吹き出した。

 生き物のようにヒラヒラと踊る長い布を目で追っていたラピは、ゆらゆらと尻尾を揺らした後、今だ! と跳躍した。しかし、伸ばした前脚はスカッと宙を切る。着地したラピは、すぐに再び狙いを定め、高く飛び上がった。
「おぉ! すげぇ飛ぶな」
 猫用のオモチャを手にしているゴットフリートは楽しそうだ。ラピに飽きられないように、変化を細かくつけながら棒の先に付いている長い複数の布を振っている。よく相手をしてくれるからか、ラピはゴットフリートのことも好きだった。
「フィン。この板はどこに付けるんだ?」
「えっとね、それはこっちだよ」
 ラインハルトに聞かれ、俺はラピから自分で書いた完成図に視線を戻す。猫には上下運動が必要だと前世の記憶を頼りに、キャットタワーを作ろうと奮闘中だった。里親に出すつもりなのに必要だろうかと悩んだのだが、貰い手がなかなか見つからないし、と作ることに決めた。
 ヴィルヘルムたちからは、別にこのまま飼ってもいいぞと言われている。
 ココにも懐いているし、二匹を引き離すことに罪悪感もあった。たくさん世話係はいるし、このまま飼ったほうがいいのではないかという思いは、日々強くなってきている。
 でもなぁ。ラピは魔獣じゃない。普通の猫なのだ。ここはラピにとって安全な場所とは言い切れなかった。
 ココが本気で怒れば、一振りでラピなど殺せてしまう。ドラゴンであるコハクだっているし、魔物であるピューイもいる。この三匹は主に忠実なので、余程のことがない限り無体な真似はしないだろう。
 けれど、外敵から守ってやれるかが分からなかった。
 第二王子であるヴィルヘルムを始め、俺たちには敵が多い。一般人に比べれば、という話だが。嫌がらせ程度でも、俺たちの周りにいる弱い者は狙われやすいのだ。
 物事に絶対はない。
 だから、別の普通の家庭に貰われていったとしても、不慮の事故にあったり、野生の獣に襲われて死んでしまうことだってあるだろう。
 何が最善の選択なのかは、きっと最後にならないと分からない。せめて一緒にいるうちは、ラピに最高の環境を用意して可愛がってやりたい。俺はラインハルトに手伝ってもらいながら、初の手作りキャットタワーを頑張って完成させた。

 チリンっと軽やかな音が耳を掠め、ヴィルヘルムは書類から顔を上げた。書斎にあるソファでは、フィンがブランケットに包まれてスヤスヤと眠っている。一緒に眠っていた筈の仔猫のラピが、起きて床に降りた音だった。ラピには先日から鈴の付いた首輪がつけられている。小さくてどこにいるのか分からないと、悪戯っ子なラピに手を焼いたフィンが買ってきた物だ。
 ラピは、とととっと近寄ってくると、机の上に飛び乗った。フィンが起きていたら『コラっ!』と言って、ヴィルヘルムの仕事の邪魔をしてはいけないと叱っただろう。
「おいで」
 ヴィルヘルムから差し出された手をラピは嗅ぐと、頭から擦り寄った。可愛らしい仕草に、ヴィルヘルムは笑ってラピを抱き上げる。撫でてやると、喉をゴロゴロと鳴らした。目を細めたラピの瞳と甘えた顔を見て『やっぱり少し似ているな』と、ヴィルヘルムはソファで眠る恋人を見た。
 青い瞳の色合いは違うが、たまに澄んだ瞳がフィンと重なる。ココが気にかけるわけだ。
「あんまりフィンを困らせるなよ」
 ヴィルヘルムの言葉を分かっているのかないないのか、ラピは『にゃ』と控え目に返事をした。


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