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第三章

125話 遠い昔

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 魔界では、人間界へと続く入り口の前に、様々な魔物や魔獣たちが密集していた。
 上級悪魔などを指揮官に据えた魔王軍だ。
 もうすぐ二つの世界を分けていた結界が崩壊する。
 現魔王は、今度こそは人間の領土を侵略しようと軍を準備し、その時が来るの今か今かと待っていた。

 魔王城にあるバルコニーから、その様子を静かに見つめている悪魔がいる。
 泣き黒子が印象的なヴィオリーネだ。
 可愛らしい顔立ちをしているが、現魔王よりも前に誕生した古い悪魔だった。
 ヴィオリーネがこの魔王城で暮らしていた頃は、人間界との間に結界などなく、自由に行き来することができた。
 人間とは、お互いの領域を侵さないように必要最低限の交流を持つような関係性で、渇望するように人間界に行きたいなどと思うこともなかった。
 人間は餌だけど、むやみに狩らない。
 それは、ヴィオリーネが仕える王の意向でもあった。
 その王は、今はもういない。
 現魔王に破れ、この地を去ってしまった。
 ヴィオリーネにとっては、あの方だけが唯一の王だ。
 だから、他の誰が王になろうと興味などない。
 久しぶりに来た魔王城を振り返り、ヴィオリーネは昔を思い出す。

 まだ魔王城に住んでいた頃、ヴィオリーネは、よく城内を歩かされていた。
 それもこれも、姿を現さない魔王のせいだ。
 探してこいと言われ、何で僕がと文句を言いつつ、扉を一つずつ開けていく。
 二十三部屋目の扉を開けて、やっと大きな背中を見つけ、ヴィオリーネは思わず叫んだ。

『あーっ!またこんな所で落ち込んでる!会議が始まるのにフリューゲルが来ないって、クラヴィアが怒ってたよ!』

 クラヴィアは、魔王フリューゲルの側近だった。
 むんずと襟首を掴むも、部屋の隅で座り込んでいるフリューゲルは、俯いた顔を上げなかった。
 連れて行こうと体を引っ張るも、大男であるフリューゲルを小柄なヴィオリーネが運ぶのには無理があった。
 一ミリくらいしか動かない。

『重い!もう、自分で歩いてよ~。またフラれたの?』
『っ!!』

 核心をついたヴィオリーネの言葉は、グサリとフリューゲルの胸に刺さり、どっと涙が溢れ出てきてしまった。
 それを見たヴィオリーネは、己の失態に気づく。

『わぁ!フリューゲルってば泣かないでよ。魔王でしょ!』

 ヴィオリーネは、頭を撫でてやってから、フリューゲルのマントを引っ張り顔を拭ってやった。
 その時、マントの裏側に張り付いていた丸っこい生き物を見つける。
 掴むと、それには耳と尻尾があり、くりりっとしたつぶらな瞳を持っていた。

『ピュイ?』
『何こいつ』
『うぅ、ぐすっ、私の一部だ』
『一部?フリューゲル分裂したの?』
『分身みたいなモノだ』
 
 分身にしては、フリューゲルとは似ても似つかぬ可愛らしい姿をしていた。
 丸い生き物を見て悲しいことを思い出したのか、フリューゲルは更に泣き出した。

『か、可愛いのが好きって、言ってたのに』

 今回、フリューゲルが恋に落ちた相手は可愛いモノ好きだったらしい。
 フリューゲルの外見は可愛さから程遠いので、少しでも可愛さアピールをしたく、可愛くて丸い生き物を連れて行ったのだとか。
 それを『私の一部だけど、良かったら』とプレゼントしようとしたら『気持ち悪い』とドン引きされてフラれたそうな。
 何でそんな言い方したんだ。

『いや、自分の一部をプレゼントって、そりゃ気持ち悪いでしょ』
『ぐはっ!』

 思わず突っ込んだヴィオリーネの言葉が致命傷となり、フリューゲルは胸を押さえてパタリと倒れてしまった。
 フリューゲルは、恋愛が下手くそだ。
 惚れっぽいし、好きになるとグダグダになって空回りし、いつもフラれる。
 愛だの恋だのと、魔王らしからぬ感情に振り回されて、浮かれたり落ち込んだりと毎日大忙しだった。
 そのくせ、魔王に君臨するほどの力量を持つ。
 戦場に立てば向かう所敵なしな強さは、ヴィオリーネにとって憧れでもあった。
 中身がヘタレでさえなければ完璧なのにと、まだボソボソと後悔の言葉を呪詛のように呟く魔王を見下ろし、ヴィオリーネは溜息を吐いた。
 配下にクラヴィアを呼んできてもらい、フリューゲルを回収してもらう。

『まったく。クソくだらない理由で会議をサボらないでください。さぁ、仕事が溜まってますから行きますよ』
『クラヴィア、ひどい』
『あっ待って待って!フリューゲル、これ返すよ』

 ヴィオリーネが、掴んだままだった丸い生き物を返そうとしたら、フリューゲルは首を横に振った。
 見るとまだ悲しくなるから、しばらく預かって欲しいと、ヴィオリーネは頼まれる。

『預けておいて言うのもなんだが、くれぐれも無くさないでくれ。別個体になるが、一応、私の一部だから』
『え~?仕方ないなぁ。ちょっとだけだからね?早く立ち直ってよ!』

 数日して立ち直ったフリューゲルは、魔王の座を賭けた勝負を挑まれた時、新しく惚れた相手に騙されて罠に嵌り、あっさりと勝負に負けてしまった。
 その後、フリューゲルは王城に戻ってくることなく、消息を絶ってしまう。
 ヴィオリーネは、フリューゲルが勝負に負けたことが信じられなかった。
 惚れた相手に騙されたと聞いて、らしいと笑えばいいのか、馬鹿じゃないのと悲しめばいいのか分からず、フリューゲルが残していった丸い生き物を抱き締めた。
 微かだが、フリューゲルと同じ魔力を感じて、鼻の奥がツンっと痛くなる。

『ピュイ?』
『…しばらくって言ったじゃん。早く引き取りに来てよね』

 けれど、いくら待っても、預けたものをフリューゲルが引き取りに戻ってくることはなかった。


 過去に想いを馳せていたヴィオリーネは、声をかけられ、現実に引き戻された。

「ヴィオリーネ。制圧は完了したぞ」

 声がした方に顔を向けると、眼鏡をかけ、髪をオールバックにした執事姿のクラヴィアが立っていた。

「…早くない?」
「主力メンバーが殆どいなかったからな」
「そうなの?」
「あぁ。王城を空にするなど、愚の骨頂だ」

 我々の時代では考えられんとクラヴィアはご立腹である。

「何度も失敗してるから、勢力をあちら側に集中させたのかもね」
「王座を狙う奴も、ここ数百年は現れなかったからな。自信過剰になっているのかもしれん。我々が再び王座を奪還しようと企んでいるなど、夢にも思ってなかろうよ」

 クラヴィアは、眼鏡を押し上げつつニヤリと笑った。
 企むも何も、三週間前にこの話を持っていっただけで、そこまで計画性があるわけでもない。
 当時、フリューゲルの配下で、帰還を信じていた者たちに声をかけた。

『フリューゲルを探して、再び魔王になってもらおうと思うんだけど、その前に一緒に王座奪還しない?』

 突発的な提案にも関わらず、思ったより賛同してくれる者がいて、ヴィオリーネは内心で驚いた。
 それだけ、フリューゲルは部下たちに愛されていた。

「しかし、フリューゲルは本当に見つかるのか?探した者もいたが、結局見つけられた者はいなかったんだぞ。当てはあるのか?」
「当てはない」
「おい」
「だけど、手掛かりはある」

 ヴィオリーネは、王座奪還計画をするきっかけとなった出来事をクラヴィアに話した。



 
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