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PART9

すれ違う

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◆◆◆


胃が消化不良を起こしそうだった。
私は空になった弁当箱を抱えて、桜庭くんと並んでオフィスまで戻ろうと2人きりでエレベーターに乗った。
桜庭くんが『15』の階ボタンを押すと、私達を乗せたかご室は静かに上昇する。

『俺に頼って』なんて桜庭くんは言うけれど、私、彼に本音とか悩みを話すのが何か怖いんだよな……。

均整のとれた横顔を眺めながら寝不足の頭でぼうっと考えていると、彼は視線に気付いて私におもむろに近寄り、キスをしてきた。


「んぅ、んっ。ちょ、桜庭くん!エレベーターに誰もいないからってダメだよ!会社で、こんな」


誰もいないエレベーターで課長と散々キスをしたことがある私が何を言っているのだろう。


「だって、キスしてほしいから俺のことじーっと見てたんじゃないの?」


「ち、ちがわい!」


あまりに動揺した私は噛みまくって変な口調になってしまった。


「え、カンタ?里帆うける。可愛いんだけど……耳まで真っ赤だよ?」


桜庭くんは真っ昼間のエレベーターの中で私の耳に舌を這わせてきた。
まだ昼休みなのに、変なスイッチが入ったら私、午後から仕事どころじゃなくなるんだけどな……。

耳の中に舌を捩じ込まれ、鼓膜に桜庭くんの吐息が当たる。膝から崩れ落ちそうだ。


「ねぇ……里帆?今日、このまま抜け出しちゃう?」


こんな声で耳元で囁かれると、性行為もしていないのに妊娠しそうになる。んでもって仕事をサボるという魔の誘惑に負けそうになる。
誰かこの小悪魔桜庭を止めてください……!!

私の悲痛の叫びが天に届いたのか、エレベーターは15階で停止した。
止めてくれたエレベーターに感謝の意を表しようと思ったが、桜庭くんは私の半身から離れなかった。


「もう、桜庭くん着いたよ!ほら、離れて」


もっと早くに離れていれば良かった。
エレベーターの扉が開くと、目の前に課長の姿があった。資料と鞄を抱えている。
午後から近隣の作業所へ出張に行くという話をたった今思い出した。

桜庭くんは私と体を密着させていたことに悪びれもない様子で扉の向こうへ足を踏み出した。


「雪村さん、行こうっ。昼休憩終わっちゃうよ」


条件反射で私も15階に足を踏み出した。
恐る恐る課長の顔を見たら、目が合った。
それは怒っているでもなく、驚いているでもなく、感情を宿していない瞳だった。
その目はゆっくりと私の視線から逸らされ、エレベーターの扉は私と課長を阻んだ。

どうしよう……次に課長に合わせる顔がない。
今の、絶対に嫌われたかもしれない。

だって、同僚と2人きりのエレベーターで体を密着させていたなんて、どう言い訳しても弁明の余地がない。

絶望感に青ざめる私をよそに、上原さんがオフィスから走って駆け寄ってきた。泣きっ面に蜂とはこのことか。
事もあろうか桜庭くんの目の前で、上原さんはわざとに私の腕に擦り寄ってきた。


「チャオ!ねー、ユッキー!私これから宮野と作業所へ出張に行くけど、なんかお土産いる?」


「う、上原さん。悪いですよ、私こうみえてお腹いっぱいですし……」


「こう見えてって!なんかユッキーげっそりしてるけど大丈夫かにゃ!?かわいちょーに。桜庭に虐められたのかにゃ?」


ちょー!!!上原さん!桜庭くんの目の前で何てことをいうんだ!!もうこの世の終わりだ!嗚呼!


「上原さん?これから出張でしょ?早く行かなくていいの?」


桜庭くんは明らかに怒りを含ませた不機嫌な声色で上原さんに言った。
そして私の腕を思い切り引っ張ってきた。


「えー、別にあっちとの約束の時間にはまだ余裕あるしなぁ~。ユッキーとお茶くらいする時間あるしなぁ~」


上原さんは上原さんで私の反対側の腕を組んできてそれを離さなかった。

私は桜庭くんと上原さんに腕をそれぞれの進行方向に引っ張っられる構図となり、抱えていたお弁当箱を床に落とした。


これから私はどうするべきか。

A.上原さんに着いて行く
B.桜庭くんに着いて行く
C.何もかも振り解いて逃げる


私は桜庭くんと上原さんの腕を振り解いて、お弁当箱を拾い上げると、駆け足でオフィスに向かった。

もう嫌だ……!自分で蒔いた種とは言え、こんな生活を続けていたら身が持たない!


◆◆◆


課長に頼まれていた書類の打ち込みと、B作業所の事務員さんと電話のやり取り等をして午後からの仕事に集中した。

課長と上原さんがオフィスにいないだけでも仕事がしやすい……。
私は2人のことはとても大好きなのに、桜庭くんがいるとどうしても視線が気になって会話すらロクにできないからだ。
かと言って桜庭くんのことも大好きであることには変わりない。

どうして私はそんな大好きな人達の顔色を伺っているのだろう。

たくさんの人を好きになって何がいけないのだろう。

終業のチャイムが鳴り響いて、私は大人しく定時で帰ることにした。





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