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PART8
最愛の祖母の死
しおりを挟む私は自他共に認めるおばあちゃん子だった。
私自身が彼女の初孫で、二世帯で一緒の家に住んでいたこともあり、とても可愛がられた。
おばあちゃんは家族の中でも1番大好きな人だった。
喧嘩ばかりの両親。共働きで家をしょっちゅう空けていた母親。一人娘で友達の少ない私。
必然的におばあちゃんが唯一の心の居所だった。
誰よりも愛情を注いでくれていたのに。なのに。
赤信号でブレーキを踏む。雨が降り出した。
ワイパーを回して、何度も垂れ流れる雨水を掬っては濡れだす。
こんなに大好きな大好きな人が亡くなった。
でも私ときたら、ここ数年、忙しさにかまけて、おばあちゃんのお見舞いの一度も行ったことがないじゃない。
絶対に泣いちゃダメだ。
母も親戚の叔母も、みんな祖母のお見舞いや介護で尽くしていたじゃないか。
どうして私、一度も顔すら見せなかったんだろう……。
こんなにも後悔で胸が押し潰されそうになったのは初めてかもしれない。
◆◆◆
庭に駐車して車を出ると、ざんざんと降り出した雨にすぐに全身ずぶ濡れになった。
私は見慣れた実家の敷居を跨ぐ。玄関のフローリングに私の衣服から雨水が垂れ落ちる。
心臓が思いの外、ばくばくと跳ねて。今にも現実から逃げ出したい気持ちに駆られた。
驚くほど静まり返った居間には、大勢の親戚が正座していて、皆、おもむろに私の姿をじろじろと見つめてきた。
こんなに人がたくさんいるのに、とても静かだ。
母に促されて、仏間の方へ向かうと、布団に横たわった静かな祖母の遺体がある。
すると、その部屋の隅でおじいちゃんが虚な目をしてポツンと座っているのが目に入った。
心が押し潰される。私はおじいちゃんの手を優しく握った。
「ほら、里帆。おばあちゃんに手を合わせて」
りん棒を取る手がぶるぶると震える。
この歳になって、初めて身近な人の死に直面して、私は恐怖に身をすくませてしまう。
悲しみよりも、恐怖を感じるだなんて。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
昨夜は数年ぶりに実家の自室で夜を過ごした。
母に用意されていた喪服に着替えて、姿見に映る自分を見つめる。
目の下に薄っすらと紫色のクマがある。泣き腫らした上に睡眠不足で出来たものだろうか。
この私がメイクをする気にもなれず、そのままのくたびれた姿で家を出た。
お寺に着くと、お通夜の会場の準備に追われた。来客の一人一人に頭を下げて、香典を受け取り、帳簿を付け、他愛もない昔話をする。
お葬式イコールそれは親戚との会合でもあった。
悲しみに暮れる暇も無く、親戚への対応やお弁当の手配におじいちゃんのお世話、その他諸々の雑務に勤しむことになる。
逆にこの忙しさに救われるのかもしれない。
余計なことを考えずに済むのだから。
「大変だったわね、里帆ちゃん……しばらく見ない間に、すっかり大人になったわね」
名前も分からない親戚のおばさんにそんな事を口々に言われる。
「えぇ、そうですね……」
本当に大変だったのは、母だ。
祖母が入院する前は仕事の傍ら叔母と日替わりで介護をつきっきりでしていた。
それも足腰の弱った祖父の面倒をみながら……。
思えば、私が幼い頃から共働きで家を空けていたのだって、家計を助けるためであって家族のことを想ってしていたことだ。
私はそんな母に感謝のひとつもせず、自由奔放に生きてきた。
たくさんの花に囲まれた祖母の遺影を見上げて、私ははらはらと涙をこぼす。
このまま、私は自由に1人で生き続けるのだろうか。
このまま、母にも孫の顔も見せずにこうしてお別れしていくのだろうか。
私が死んだ時には、こんなにたくさんの人が集って泣いてくれるのだろうか。
今とても独りになりたい気分なのに、わらわらと親戚が集まってきて、また他愛もない話で接待をしなければならない状況になった。
「里帆ちゃん~久しぶりね。私、タエ子おばさんよ!分かる?里帆ちゃん小さい頃によくうちに遊びに来てたのよ?またべっぴんさんになって。今S市にいるんだって?結婚はしたの?」
出ましたよ……。アラサーの独身女が親戚の集まりで必ずと言っていいほど聞かれる質問。
「いえ、まだなんです……」
「あら、そうなの?ごめんなさいね、てっきり……だって、今おいくつなの?」
「31です……」
「あら!そうなの?全然見えなかったわぁ~。31なら、もう子どもの2人はいてもいいものね?おばさんの知り合いで、とても良い人がいるの!紹介してあげるわ!」
余 計 な お 世 話 だ ! ! !
滅多に怒らない私も、寝不足で余裕が無いせいか額に青筋を浮かべる思いで名前も知らない親戚のおばさんに苛立ちを覚え始めると、喪服のポケットの中でスマホが長く振動したのを感じた。
ディスプレイを見ると『宮野孝司』と表示されていて、私は心に明かりが付いたように晴れ晴れした気分で電話に出た。
「はい、雪村ですっ」
「……雪村?俺だけど」
課長の低い声が鼓膜に心地良く響く。背中から緊張の強張りが消えていくのを感じた。
「お疲れ様です。どうしましたか?」
「今日、たまたまお前の実家がある町の近くの作業所に出張で来てるんだが、通夜の会場どこだ?ちょうど今、作業所の仕事が終わったから行こうと思って」
「えー!!悪いですよ、そんな!」
「いいから、教えろ」
「……国道沿いの、南に向かって左手側の、えっと、何て説明したらいいんだろ」
「お前アホか、会場の名前だけ教えろよ。あとは検索したら分かるから」
「は、ハイ!そうでした!それでは、後ほどすぐにメッセージでお寺の名前を送信いたしますっ」
いつもの調子でやり取りしていると、鬱屈していた気分が分かりやすく解消されていくのを感じた。
課長がここに来てくれるなんて……!!
祖母のお通夜なのに飛び跳ねてしまうほど私は舞い上がってしまった。
◆◆◆
20分ほどすると、課長らしき人がお寺の入り口で受付係の人と会話している様子が目に入り、私は一目散に駆け寄った。
「課長!」
「この度は、ご愁傷様です。宮野孝司と申します。里帆さんには仕事でいつもお世話になっています」
いつもより他人行儀な課長は私に向かって深々とお辞儀をしてきた。
私も慌てて頭を深く下げると、真後ろに母がいて、私ではなく母に対しての挨拶だったことに今更気付いた。
「あら、いえいえどうも、すみません。来ていただいてありがとうございます……。宮野さんは娘の上司の方と伺っております。こんなにお若い方が上司なんて、ねぇ、里帆?」
眉を上げて母は嬉しげな表情で私を見た。
「はい、お世話になってます、いつも……」
気まずさを感じながら広間へと課長を誘導すると、母が彼に何やらよからぬ詮索を入れてきた。
「宮野さんは、おいくつなんですか?里帆よりお若いですよね?独身ですか?」
「27です。まだ独り身でして」
「まあ、27で課長さんでいらっしゃるんですか?すごいですね。どうです、うちの娘、まだ独身で彼氏がいるとの報告も未だに無いんですよ?」
「お母さん!!何言ってるの!」
みるみるうちに血圧が上がってしまった。母に課長が来ることを知らせるべきじゃなかったと、今更ながらに後悔する。
「いえ、実は……、ご挨拶が遅れて申し訳ないです。里帆さんとは結婚を前提にお付き合いをさせていただいています」
……は?
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