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6歳の僕♢学園編 3♢
黒の君 (ブリデリアニシュ(リディ)視点)
しおりを挟む我ら聖獣は、人の子らとは異なる理の中で生きている。
この世界に遍く降り巡る神の御力。
その余剰の吹き溜まり、そこが聖域となり、集まり膨れ上がった力が世界を壊さぬよう、調律する為に我ら聖獣が生まれる。
生まれ、力の均衡を見守り、やがて自分の身をもって溢れる力を消化し、消えゆく前に次代がまた生まれ出でる。
我が母とされる黒帝も、人の理で言えば母ではない。
我ら聖獣は、自ら子を産み落とす事はないからだ。
人の言葉で言うなれば、先達、と言うのだろう。
今代の黒帝もあと100年もすれば力を消化し、昇華する。
その時、我が次代黒帝となる。
我等が使うは神の力。
人の子はそう思っているようだが、実際は少し違う。
我等が使うのは、神の理のほんの一部。
神が持て余した力を調律する為に支え、促し、滞りなくするように巡らせているだけ。
我等も理の一部なのだ。
我等を害すれば、それはそのままこの世界への歪みとして顕れ、害した聖獣がまた世に生まれ、調律が正されるまで世は荒れ続ける。
遥か昔、そのようにして滅んだ国が幾つもあった。
それを人は、聖獣が神の力を使って罰したのだと伝え続けているようだ。
我等には調律が成ればどう捉えられても構わないので、それが正される事はないだろう。
自らの生きるその地ですら、欲のままに壊し続ける。
人の子らとは、げに解し難い。
そう思っていた。
生まれ出でたその時、己を理解する前にこの世の理を識り、今の世を母である黒帝に教えられながら日々過ごしていたある日。
まだ己で飛べぬ我に母が、偶には空から眺めるか、と言った。
聖獣として必要な事は生まれ持って識ってはいるが、自分で見るこの世は何もかもが初めてだ。
それも良いかと思い、母の背に乗せてもらった。
空から住まう聖域の森を見下ろしていると、聖域の入口(人の子が定めた入口であるが)の辺りから、いつもとは違う気配がしていた。
どうやら定期的にこの時期に来る小さき人の子らが来る日だったようだ。
聖獣は滅多な事では人の前には出ぬ。
母は知っていて私を空へと誘ったのだろう。
こちらに気付かぬ小さき子らを上から眺めていると、その中に酷く惹かれる存在を感じた。
思わず身を乗り出して覗き込んだ時、母も同じだったのだろう。
その場に長く留まろうと、体を回し、旋回した。
それが良くなかった。
我も母も、その存在に気を取られすぎていて、気がついた時には森の中に落ちていた。
小さき子らを気にして、森のどの辺か確認していなかった上に、体が見事枝の隙間に挟まってしまった。
あの存在も、分からなくなってしまった。
なんと悲しくも悔しいのかと、思わず呼ぶように鳴き続けていると、遠くにまたあの存在を感じた。
ゆっくりとこちらに近づくそれに、ここだと、我の元に来てくれと鳴き呼び続けながら、枝から逃れようと短き手足を必死に動かし身を捩った。
まだ人のカタチも取れぬ幼き我が身が、酷く腹立たしく感じる。
必死に動かし、落ちたその先は、惹かれ焦がれ呼んだ子だった。
小さき人の子の姿をしているのに、我等と近しく、酷く懐かしく愛しく感じる。
生まれた時より強く個を持っているにも関わらず、本能でその子に擦り寄り甘えていた。
その温かさの、気配のなんと心地良いことか。
幸福というものを、初めて感じた。
これは本当に人の子なのかと思ったが、話しかけてくる言葉も、我を気遣って与えてくれた糧も人のものであった。
我を気遣ったあと、その子は人の輪に戻ってしまった。
その時の喪失感は筆舌にし難い。
これが寂しさと言うものかと、恋しさと言うものかと、その子と接した少しの時の間に、我は得難い感情というものを幾つも覚えた。
それから程なくして母が迎えに来た。
どうやら遠くから我等の様子を伺っていたらしい。
「あれは貴重な存在だね。我等に近しく、彼の方の存在を感じる。
我が其方でない事が口惜しいよ。
あの子の元に行くのだろう?」
我は子の去っていった方角から目を離さずに頷いた。
他のものが目を付ける前に、我のものにしなくては、と強く思う。
黒帝が渡りを付けてくれる事に感謝しながらも、見えるまでの一時が酷く永く感じた。
これから遥か先まで生きる事も苦と感じない聖獣である我には、それは酷く不思議な感覚だった。
また逢えた時には、母の前だと言うことも忘れ、もう離すまいと縋り付く始末。
本来の我ならば有り得ない事だと分かっているのだが、体が勝手に擦り寄りしがみついてしまうのだから仕方ない。
我等からすれば瞬く程の時間だと言うのに、束の間離れていたその時間が耐え難い苦痛だった。
まだ人の言葉も喋れぬ我の代わりに、母が我の気持ちを伝えてくれる。
人が我らの願いを無下に出来ぬ事は解っているが、どうしても共に在りたかった。
我の望みは叶えられ、我が名を与え、子の名も知ることが出来た。
母も名を与えたがったが、名を識るのは我のものだけでいい。
代わりに母には定期的に子のことを教える約束をした。
子の名はレティシオ。
やはり人の子として生まれ、人と共に生活している。
その様は、時の流れの違いはあれど、理として識っている人の営みのままだった。
ただ、レティシオは酷く周りに愛されているようで、我も限られた条件の元でしか傍に居れない。
片時も離れるのは不服ではあるが、それもレティシオを想えば我慢出来た。
またひとつ、新しい感情が増えた。
それからの日々は、輝かしくも幸福だけではない日々であった。
幸福、安堵、安らぎ、癒し、慈しみ。
嫉妬、羨望、欲望、怒り、哀しみ。
そのどれもが新しく感じ、また人にでもなったような錯覚に陥らせた。
しかし、どれもあの子から与えられるものだと思うと得がたく感じ、そしてあの子からしか得られぬだろう事も同じく感じる。
人の子の生は短い。
この終わりの視える幸福を、潰えるその瞬間まで大切にしたい。
我ら聖獣は身体が完全になるまで、人の姿は成さない。
そもそも人の姿をとるのは人と意思の疎通を図るため。
それは調律の一環として、より良き環境を得るために何時からか人と寄り添い生きる様になってからの、本来ならば必要も無い事。
故に姿を成すのは調律をする成熟した聖獣であるし、自然と必要のない人のカタチの幼体を晒すのは己の未熟を晒すのと同義となった。
しかし我は恥を晒してでもレティシオと言葉を交わしたかった。
元よりそう思ってはいたが、人のカタチになり、成れることを周りに知れれば一層傍を離されるのは目に見えていたし、あの子の兄達に、我が人のカタチをとって見える隙を与えても貰えなかった。
それでもレティシオが、あの子が幸せであるならばそれでいいと思っていたのだが。
あれ程に愛を受けていても、あの子はふと辛そうな、哀しそうな瞳をする。
それはあの子の兄達のいない時は特に顕著であった。
我がその隙間を埋めてやれぬ事が酷くもどかしかった。
ある日から、パッタリと兄達が帰らぬようになり、レティシオは日に日に自分を追い詰めるように作業をするようになった。
我がどれだけ擦り寄り宥めようとも、言葉も通じぬ異種の幼体の我では大した気休めにもなってやれぬ。
我ならば、ずっと、その生命尽きる時まで離れず傍に居れるのに。
心を押し殺し、涙を溜めて耐えるその手をそっと包み、擦る。
我の肩口に顔を埋め、言葉も通じぬ唯の幼子と同じだと思っている我にまで悟られまいとするその姿に。
もう堪えられなかった。
我は恥知らずにも未熟な幼体のままの人のカタチを晒し、しかしずっと願っていた言葉を交わす手段を得て、レティシオの美しい瞳に同じカタチの我が映っているのを認めると、その嬉しさのまま、愛しさのまま、レティシオに嬉しいと伝わるようにと言葉を紡ぎ、愛しいと伝わるように、そっと小さく柔らかな唇に口付けた。
人の子故の愛情の示し方を真似て。
人の子であるこの子に、どうか我の想いが伝わるようにと。
その後どうやら我が人のカタチを成したことに驚いたレティシオは、すっかりと哀しみが心のうちに引っ込んでしまった様で、2人だけの秘密というものを作り、これからの2人だけの時間の約束も結び、その日は限りある限りレティシオと語り合った。
我の知るあの森をレティシオに聞かせ、レティシオの知らぬ我を、我の知らぬレティシオを分かち合う。
それは唯触れ合うだけの時よりも、深い部分まで繋がるかの様に感じた。
人の子らは、こうして個を繋いでゆくのだな。
それからは兄達が帰らぬ日には、稀にだがレティシオから願われ、共寝をするようになった。
レティシオの執事が夜半にレティシオの様子を見に毎日部屋を訪れているのは知っていたので、我も人のカタチにはならず、竜の姿のままで寄り添う。
この例えようのない気持ちを何と名付ければ良いのか。
我だけのこの子を知れる歓びに浸りながら、僅かでも永くこの時が続くようにと。
聖獣らしからぬと解りながらも、心の内で神に祈った。
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