超人ゾンビ

魚木ゴメス

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「綺麗にカウンターが決まったから、後遺症も残らねえよ。早く病院に連れてってやりな。オレもそろそろここからおいとまするわ。じゃ」

 部屋を出ていこうとするTの頭上を鋭い風圧が襲った。 

 強烈な左かかと落としをTに降り下ろした島田──の左ももが「く」の字に曲がり、折れた大腿骨だいたいこつが肉を突き破った。

 Tのカウンターの右拳が島田の左腿裏に決まったのだ。
 
 絶叫。

 後ろへひっくり返った。

「ぐがっ、ぅおおおお……」

 顔面は蒼白で額に脂汗が滲んでいた。

 Tは島田の前にしゃがみこんだ。

「悪ぃ。力の加減間違えた。でもすぐ治るよ」

 そう言うと口を閉じたままモゴモゴ動かし、骨が飛び出た傷口に唾を吐きかけた。

「じゃあな」

 立ち上がり再びドアへと向かう。

 マジックミラー越しに覗いていた刑事たちがなだれ込んできた。

 Tは歩みを止めない。ならばどうなる? ぶつかる──否。

 ハエを追い払うような軽い仕草でTは全員順番に壁に叩きつけ気絶させた。

 三秒もかからなかった。

 村西、島田のとき以上に物理を無視したような力と速さだった。

 にもかかわらずその動きは軽さしか感じさせなかった。

「おい兄ちゃん、こっち見れるか?」

 Tが島田に呼びかけた。

 激痛に顔を歪めながら島田はTに顔を向けた。

「よく見とけよ。今から瞬間移動するからよ。いくぜ。いいか。あらよっ」

 水に溶ける紙のようにTの姿はぼやけ、やがて消えていった。

 一時間後、テレビ東京含め全ての地上波で「歴代Z務事務次官連続殺害犯、ついに逮捕!」の特番が放送される中、「歴代Z務事務次官連続殺害犯、脱走!」の速報が入った。

 ちょうど夕食時、食い入るように特番を観ていた生き残りOB六人のうち三人が、探偵物語の松田優作のように口に含んでいた物を盛大に噴き出しながらいっぺんに銀河鉄道に乗ってしまった。

 彼らにしてみればアナフィラキシーショックのようなものだった。

 まさしく前代未聞の出来事だった。

 特番を観続ける者たちもいれば、食事を中断してわけもわからず外へ飛び出す者たちもいた。

 日本全国津々浦々で横浜中華街の旧正月のように爆竹が鳴らされ、渋谷センター街には若者を中心とした群衆が集まり人目もはばからず乱交した。

 思いを寄せる経理の女性に愛を告白するも拒絶され、そのまま強姦に及ぶ者、恨みを持つ相手の家に火炎瓶を投げ込む者、中学校の窓ガラスを壊してまわる者、盗んだバイクで走り出す者、ギリギリまで社会と折り合いをつけていた者たちの心のかせが一斉に外されてしまったようだった。

 数年前フランスで起きた黄色いベスト運動が形を変えて日本で起きたようだった。

 あたかも革命前夜のようだった。

 逮捕の速報のときも脱走の速報のときも、似顔絵は公開されたが、犯人が「T」と名乗っていることは公開されなかった。

 どう考えても単なるイニシャルでしかなかったし、便乗犯が出現したときTと名乗るかどうかで、本物かどうか判別するための意味もあった。 

 逮捕前はともかくなぜ脱走後も犯人の顔写真を公開しないのか? という当然のごとくき上がった世論に対しての説明は、こういう場合警察の信じがたい失態として、取り調べを最優先したことによるということだったが、実際は違った。

 全ては官邸からの指示だった。

 Tにとって脱走など造作ぞうさもない──それが官邸中枢の認識だった。
 
 いつでも脱走できるはずのTの恨みを買うことを亜婆首相以下全員が死ぬほど怖れた──情けないがそれが本当の理由だった。

 つまり一国、それも世界にかんたる日本の首相以下全員が、犯人たるTにびたのだ、おもねったのだ、全力で。 

 そのびとおもねりは、脱走後に公開されたより詳細なTの似顔絵に如実にょじつに表れ、結実けつじつしていた。

 それはよくある法廷画家が描くような悪意に満ちたそれではなく、まるで台湾の美人画イラストレーター、平凡ピンファン陳淑芬チェン・シュウフェンが描くようなそれであった。

 これ本当に犯人の似顔絵か? 

 見たもの誰もがそう思い、そう囁き合い、そんな似顔絵を公開した政府の意図をいぶかしんだ。
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