63 / 155
63
しおりを挟む
「綺麗にカウンターが決まったから、後遺症も残らねえよ。早く病院に連れてってやりな。オレもそろそろここからおいとまするわ。じゃ」
部屋を出ていこうとするTの頭上を鋭い風圧が襲った。
強烈な左踵落としをTに降り下ろした島田──の左腿が「く」の字に曲がり、折れた大腿骨が肉を突き破った。
Tのカウンターの右拳が島田の左腿裏に決まったのだ。
絶叫。
後ろへひっくり返った。
「ぐがっ、ぅおおおお……」
顔面は蒼白で額に脂汗が滲んでいた。
Tは島田の前にしゃがみこんだ。
「悪ぃ。力の加減間違えた。でもすぐ治るよ」
そう言うと口を閉じたままモゴモゴ動かし、骨が飛び出た傷口に唾を吐きかけた。
「じゃあな」
立ち上がり再びドアへと向かう。
マジックミラー越しに覗いていた刑事たちがなだれ込んできた。
Tは歩みを止めない。ならばどうなる? ぶつかる──否。
ハエを追い払うような軽い仕草でTは全員順番に壁に叩きつけ気絶させた。
三秒もかからなかった。
村西、島田のとき以上に物理を無視したような力と速さだった。
にもかかわらずその動きは軽さしか感じさせなかった。
「おい兄ちゃん、こっち見れるか?」
Tが島田に呼びかけた。
激痛に顔を歪めながら島田はTに顔を向けた。
「よく見とけよ。今から瞬間移動するからよ。いくぜ。いいか。あらよっ」
水に溶ける紙のようにTの姿はぼやけ、やがて消えていった。
一時間後、テレビ東京含め全ての地上波で「歴代Z務事務次官連続殺害犯、ついに逮捕!」の特番が放送される中、「歴代Z務事務次官連続殺害犯、脱走!」の速報が入った。
ちょうど夕食時、食い入るように特番を観ていた生き残りOB六人のうち三人が、探偵物語の松田優作のように口に含んでいた物を盛大に噴き出しながらいっぺんに銀河鉄道に乗ってしまった。
彼らにしてみればアナフィラキシーショックのようなものだった。
まさしく前代未聞の出来事だった。
特番を観続ける者たちもいれば、食事を中断してわけもわからず外へ飛び出す者たちもいた。
日本全国津々浦々で横浜中華街の旧正月のように爆竹が鳴らされ、渋谷センター街には若者を中心とした群衆が集まり人目も憚らず乱交した。
思いを寄せる経理の女性に愛を告白するも拒絶され、そのまま強姦に及ぶ者、恨みを持つ相手の家に火炎瓶を投げ込む者、中学校の窓ガラスを壊してまわる者、盗んだバイクで走り出す者、ギリギリまで社会と折り合いをつけていた者たちの心の枷が一斉に外されてしまったようだった。
数年前フランスで起きた黄色いベスト運動が形を変えて日本で起きたようだった。
あたかも革命前夜のようだった。
逮捕の速報のときも脱走の速報のときも、似顔絵は公開されたが、犯人が「T」と名乗っていることは公開されなかった。
どう考えても単なるイニシャルでしかなかったし、便乗犯が出現したときTと名乗るかどうかで、本物かどうか判別するための意味もあった。
逮捕前はともかくなぜ脱走後も犯人の顔写真を公開しないのか? という当然のごとく沸き上がった世論に対しての説明は、こういう場合よくある警察の信じ難い失態として、取り調べを最優先したことによる写真の取り忘れということだったが、実際は違った。
全ては官邸からの指示だった。
Tにとって脱走など造作もない──それが官邸中枢の認識だった。
いつでも脱走できるはずのTの恨みを買うことを亜婆首相以下全員が死ぬほど怖れた──情けないがそれが本当の理由だった。
つまり一国、それも世界に冠たる日本の首相以下全員が、犯人たるTに媚びたのだ、阿ったのだ、全力で。
その媚びと阿りは、脱走後に公開されたより詳細なTの似顔絵に如実に表れ、結実していた。
それはよくある法廷画家が描くような悪意に満ちたそれではなく、まるで台湾の美人画イラストレーター、平凡と陳淑芬が描くようなそれであった。
これ本当に犯人の似顔絵か?
見たもの誰もがそう思い、そう囁き合い、そんな似顔絵を公開した政府の意図を訝しんだ。
部屋を出ていこうとするTの頭上を鋭い風圧が襲った。
強烈な左踵落としをTに降り下ろした島田──の左腿が「く」の字に曲がり、折れた大腿骨が肉を突き破った。
Tのカウンターの右拳が島田の左腿裏に決まったのだ。
絶叫。
後ろへひっくり返った。
「ぐがっ、ぅおおおお……」
顔面は蒼白で額に脂汗が滲んでいた。
Tは島田の前にしゃがみこんだ。
「悪ぃ。力の加減間違えた。でもすぐ治るよ」
そう言うと口を閉じたままモゴモゴ動かし、骨が飛び出た傷口に唾を吐きかけた。
「じゃあな」
立ち上がり再びドアへと向かう。
マジックミラー越しに覗いていた刑事たちがなだれ込んできた。
Tは歩みを止めない。ならばどうなる? ぶつかる──否。
ハエを追い払うような軽い仕草でTは全員順番に壁に叩きつけ気絶させた。
三秒もかからなかった。
村西、島田のとき以上に物理を無視したような力と速さだった。
にもかかわらずその動きは軽さしか感じさせなかった。
「おい兄ちゃん、こっち見れるか?」
Tが島田に呼びかけた。
激痛に顔を歪めながら島田はTに顔を向けた。
「よく見とけよ。今から瞬間移動するからよ。いくぜ。いいか。あらよっ」
水に溶ける紙のようにTの姿はぼやけ、やがて消えていった。
一時間後、テレビ東京含め全ての地上波で「歴代Z務事務次官連続殺害犯、ついに逮捕!」の特番が放送される中、「歴代Z務事務次官連続殺害犯、脱走!」の速報が入った。
ちょうど夕食時、食い入るように特番を観ていた生き残りOB六人のうち三人が、探偵物語の松田優作のように口に含んでいた物を盛大に噴き出しながらいっぺんに銀河鉄道に乗ってしまった。
彼らにしてみればアナフィラキシーショックのようなものだった。
まさしく前代未聞の出来事だった。
特番を観続ける者たちもいれば、食事を中断してわけもわからず外へ飛び出す者たちもいた。
日本全国津々浦々で横浜中華街の旧正月のように爆竹が鳴らされ、渋谷センター街には若者を中心とした群衆が集まり人目も憚らず乱交した。
思いを寄せる経理の女性に愛を告白するも拒絶され、そのまま強姦に及ぶ者、恨みを持つ相手の家に火炎瓶を投げ込む者、中学校の窓ガラスを壊してまわる者、盗んだバイクで走り出す者、ギリギリまで社会と折り合いをつけていた者たちの心の枷が一斉に外されてしまったようだった。
数年前フランスで起きた黄色いベスト運動が形を変えて日本で起きたようだった。
あたかも革命前夜のようだった。
逮捕の速報のときも脱走の速報のときも、似顔絵は公開されたが、犯人が「T」と名乗っていることは公開されなかった。
どう考えても単なるイニシャルでしかなかったし、便乗犯が出現したときTと名乗るかどうかで、本物かどうか判別するための意味もあった。
逮捕前はともかくなぜ脱走後も犯人の顔写真を公開しないのか? という当然のごとく沸き上がった世論に対しての説明は、こういう場合よくある警察の信じ難い失態として、取り調べを最優先したことによる写真の取り忘れということだったが、実際は違った。
全ては官邸からの指示だった。
Tにとって脱走など造作もない──それが官邸中枢の認識だった。
いつでも脱走できるはずのTの恨みを買うことを亜婆首相以下全員が死ぬほど怖れた──情けないがそれが本当の理由だった。
つまり一国、それも世界に冠たる日本の首相以下全員が、犯人たるTに媚びたのだ、阿ったのだ、全力で。
その媚びと阿りは、脱走後に公開されたより詳細なTの似顔絵に如実に表れ、結実していた。
それはよくある法廷画家が描くような悪意に満ちたそれではなく、まるで台湾の美人画イラストレーター、平凡と陳淑芬が描くようなそれであった。
これ本当に犯人の似顔絵か?
見たもの誰もがそう思い、そう囁き合い、そんな似顔絵を公開した政府の意図を訝しんだ。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる