月の砂漠のかぐや姫

くにん

文字の大きさ
上 下
330 / 342

月の砂漠のかぐや姫 第327話

しおりを挟む
 敵と対峙しているにもかかわらず、自分の注意を別のものに向けるなんて、歴戦の強者である冒頓に似つかわしい行動ではありません。冒頓の目に入った羽磋の姿は、それだけの大きな衝撃だったのです。

 ヤルダンに入る直前に、冒頓や羽磋たちは切り立った岩壁に沿った細い道を通ったのですが、そこで、「母を待つ少女」の奇岩が率いるサバクオオカミの奇岩に襲われてしまいました。岩壁の上段に陣取ったサバクオオカミの奇岩たちが、逃げ場のない細い道の上にいる護衛隊めがけて、次々と落下してきたのです。それは、命と心を持たない砂岩の塊だからこそできる攻撃でした。
 でも、その攻撃を受ける側であった冒頓の護衛隊や、彼らが連れていた駱駝や馬は、命と心を持った生き物ですから、突然頭上から落ちてきた大きな岩の塊に驚いて、大混乱に陥ってしまいました。
 その騒ぎの中で、理亜が乗っていた駱駝が酷く驚き、どうにも押さえつけることができなくなってしまいました。駱駝は彼女を乗せたまま走り出し、止めようとした羽磋と王柔もろとも道から飛び出して、谷底へと転落してしまったのです。崖下には川が流れていて、羽磋たちはその水に受け止められて命を拾うことができたのですが、そこから岸に這い上がることはできませんでした。川はヤルダン一帯を支える台地の下部へと流れ込んでいて、その先は地上からは見えなくなっていました。羽磋たちは、激しい川の流れに巻き込まれたまま、地下へと続いているのであろう大きな洞窟の中へと消えて行ったのでした。
 声を振り絞って指示を発し、なんとか混乱した護衛隊をその崖際の危険な場所から救い出した冒頓は、羽磋たちが崖から落下して川に流されたこと、その川の流れはヤルダンの地下へと落ちて行っていて、羽磋たちの姿もそこに飲み込まれて消えてしまったことを、部下の小苑からの報告で知りました。
 冒頓が羽磋と初めて会ったのは、彼が護衛を務めていた小野の交易隊が讃岐村の近くを通った時のことでした。羽磋はまだ少年と言ってもいいような若者でしたが、しっかりと目的を持った芯のある男であると、冒頓には思えました。そこから土光村へと同行する間、冒頓は羽磋には特に目を掛け、古くからの付き合いである護衛隊の部下と同じように、いや、むしろそれ以上に、可愛がっていたのでした。
 その羽磋が、川を流されてヤルダンの地下へと消えて行ったと聞かされた時、護衛隊の誰もが「羽磋はもうお終いだ」と悲しむ中で、冒頓は「まさか、これで終わりじゃないよな、羽磋」と自分自身に信じ込ませるように呟きました。それは「羽磋は、こんなところで死なすには惜しい男だ」という思いと、「奴なら何とか生き延びてくれるはずだ」という、祈りとも言えるような根拠のない確信からでした。
 でも、まさか。
 如何に羽磋が命を拾ってくれること、そして、再び地上に戻って来ることを願っていた冒頓であっても、まさか、このような形で戻って来るなどとは、うっすらとでも思い浮かべていなかったのでした。

「ちっ、俺としたことがっ」
 地表に触れて割れた繭玉の中から現れた羽磋が、膝に手を当てながら立ちあがったことを確認すると、冒頓は素早く意識を「母を待つ少女」の奇岩に戻しました。自分が相手に隙を見せてしまったことは自覚できていましたから、どこから攻撃が来ても避けられるように、全身の筋肉に準備の指令を出しながらでした。
 でも、意外なことに、冒頓の隙をついて相手が攻撃をしてくることはありませんでした。
 「母を待つ少女」の奇岩にとっては、冒頓を打ち倒すのにこれ以上の好機は無いというのに、どうして彼女はそれを見過ごしたのでしょうか。
 それは、「母を待つ少女」の奇岩の側でも、青い水の大きな噴出が地上に運んできた繭玉の一つに、意識の一部を奪われてしまったからでした。
「お、お前は・・・・・・」
 冒頓が漏らしたのと同じような言葉が、「母を待つ少女」の奇岩から発せられました。
 彼女も冒頓と同じように羽磋の登場に驚いたのでしょうか。いいえ、彼女の意識が向かっていたのは、羽磋のすぐ近くに降り立って割れた残りの繭玉の方でした。三つの繭玉のうち二つは空っぽでしたが、最期に割れた繭玉の中から少女が現れたのです。そうです、「母を待つ少女」の奇岩の意識を奪ったのは、羽磋と共に地下世界から地上へと吹き上げられた理亜だったのでした。
 思い返せば、羽磋や理亜たちは冒頓の護衛隊と一緒にヤルダンへと向かい、その途中でサバクオオカミの奇岩の群れに襲われましたが、その時には「母を待つ少女」の奇岩はヤルダンを出てきてはいませんでした。また、彼らが切り立った岩壁と深い谷との間に差し掛かったところで、岩壁の真上に「母を待つ少女」の奇岩が現れ、岩の塊を落とすという奇襲を仕掛けてきました。でも、彼女と冒頓たちとの間にはかなりの高低差が存在していましたし、切り立った崖の縁から下を覗き込んで注視することなど、「母を待つ少女」の奇岩はおこなっていなかったので、冒頓の護衛隊が連れている小規模の隊商の中に小さな女の子が含まれていることを、知ることはなかったのでした。
 つまり、「母を待つ少女」の奇岩が、理亜と言う存在をしっかりと認識し向き合う機会は、これまでなかったのです。
「お、いや・・・・・・。あの時の・・・・・・」
 先ほどまで「母を待つ少女」の奇岩から冒頓に向かって一直線に発せられていた、燃えるような怒りと憎しみが、急に弱々しく揺らぎ出しました。
 まるで命ある戦士のようにしなやかで力強かったその動きが、人形の動きのようなギクシャクとしたものに変わり、最期には止まってしまいました。
 「母を待つ少女」の奇岩は、昔話に登場する少女「由」と理亜の二人が、それぞれ持っていた悲しみや怒りなどの心の暗い部分を集めて、自らの心としていました。その寄せ集められた心の断片が、理亜と言う少女に集められた二人の心の明るい部分を初めて見ることで、何かに自分が裏切られたような気がして一層怒りを燃え立たせたり、何かに慰められたかのように気持ちが穏やかになったり、理由も無いのにとても悲しい気持ちになったりして、収拾がつかなくなってしまったのでした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

淫らなお姫様とイケメン騎士達のエロスな夜伽物語

瀬能なつ
恋愛
17才になった皇女サーシャは、国のしきたりに従い、6人の騎士たちを従えて、遥か彼方の霊峰へと旅立ちます。 長い道中、姫を警護する騎士たちの体力を回復する方法は、ズバリ、キスとH! 途中、魔物に襲われたり、姫の寵愛を競い合う騎士たちの様々な恋の駆け引きもあったりと、お姫様の旅はなかなか困難なのです?!

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

魔力∞を魔力0と勘違いされて追放されました

紗南
ファンタジー
異世界に神の加護をもらって転生した。5歳で前世の記憶を取り戻して洗礼をしたら魔力が∞と記載されてた。異世界にはない記号のためか魔力0と判断され公爵家を追放される。 国2つ跨いだところで冒険者登録して成り上がっていくお話です 更新は1週間に1度くらいのペースになります。 何度か確認はしてますが誤字脱字があるかと思います。 自己満足作品ですので技量は全くありません。その辺り覚悟してお読みくださいm(*_ _)m

処理中です...