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月の砂漠のかぐや姫 第322話
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でも、これですべてが収まるべきところに収まったといえるのでしょうか。
いいえ、そのようなことはありません。
そのことに皆の注意を促したのは、やはり、羽磋でした。
「そうです! ここにいる理亜の身体の中には、娘さんの心の半分が入り込んでいます。それをおわかりいただけて、良かったです。でも、さっきから何度もお話ししていますが、急がないといけないんです! 娘さんと理亜の心の残り半分はいまどこにありますか? 母を待つ少女の奇岩と呼ばれている娘さんの身体は、いまどこにありますか? 地上です。僕たちの頭の上の地上です。そこで、いま冒頓殿の騎馬隊と戦っているのです。急いでその戦いを止めないと、娘さんは冒頓殿に砂岩の像という身体を砕かれてしまいますっ!」
この時とばかりに、羽磋は一気に言葉を続けました。
「母を待つ少女」の母親に大事なことを伝えたかったのに中々うまく伝わらず、ずっと同じところをグルグルと回っているようで、焦る気持ちばかりが高まっていたのですが、やっと自分の言いたいことが伝わったのです。
そうであれば、冒頓に話をするために、一刻も早く自分たちを地上に送り返してもらわなければいけません。
母親に話したのは脅し文句でも何でもないのです。冒頓は「母を待つ少女」の奇岩を破壊するために、ヤルダンへ侵入しているのです。冒頓と彼が率いる護衛隊の強さを、羽磋はよく知っていました。冒頓が目的を達成するであろうことに、疑いは全くありません。
でも、「母を待つ少女」と呼ばれる奇岩の中には、理亜の心の半分が、確かに入っているのです。それに、奇岩に姿を変えられた少女「由」の心の半分も宿ったままなのです。冒頓に奇岩の像という実体を砕かれてしまったら、それらはどうなってしまうのでしょうか。さらには、いま地下世界にいる理亜の心と身体には、どのような影響があるのでしょうか。羽磋には、全くわかりません。ただ一つだけ、理亜が元の心と身体を取り戻すことはできないだろうということは、間違いないと思えます。
「そ、そうだった。地上では砂岩の像になってしまった娘が動き出して、何とかという男たちと戦っているんだと、お前は言っていたな。この少女の身体の中に娘の心の半分が宿っているのだから、残りの半分は地上にある砂岩の像の中に残っているに違いない。ああ、由! 由を助けなければ!」
羽磋一人が感じていた切迫感は、「母を待つ少女」の母親にも確実に伝わっていました。
人間が大慌てで身を起こすのと同じように、地面に触れるか触れないかのところに浮かんでいた濃青色の球体は、全体をブルブルッと大きく震わしました。母親が羽磋の頼みを受け入れようと、全身に力を込めたのです。
ところが、羽磋たちの頭ぐらいの高さまで浮かび上がった濃青色の球体は、そこでブシュウッと灰青色の煙を外殻の割れ目から吐き出し、フラフラと地面の近くまで落ちてきてしまいました。
羽磋たちを飲み込んだ時とは違って、彼らを吐き出した後の濃青色の球体の表面には、羽化寸前の卵のように無数のヒビや割れ目が生じていて、そのいくつかからは球体の内部で渦巻いている青い雲が、煙のようになって漏れ出ていました。
これほど彼女が傷ついているのは、先ほどまで羽磋たちを球体内部の精神世界に飲み込んでいた時に、怒りと絶望の力を集めた竜巻を投げつけて羽磋たちを消し去ってしまおうとしたのですが果たせず、狙いから逸れた竜巻が自らを酷く傷つけてしまったためでした。
傷ついた人間が十分に力を発揮できないのと同じように、「母を待つ少女」の母親はその外見どおり弱り切っていて、浮かび上がる事さえも思い通りにならないようでした。
「うう・・・・・・、力が入らない・・・・・」
喉の奥から絞り出したかのような掠れた声が、球体から伝わってきました。
一度は、精霊の力によって砂岩の像にされた、つまり、死んでしまったと思っていた娘が心を生きながらえていた、でも、その娘の心が、この地下世界の真上で、今度こそ本当に殺されてしまうと、彼女は知ったのです。
それなのに、思い通りに身体を動かすことができないのです。
「悔しい、悔しい、悔しいっ! 何とかしろおっ! 由が生きてたんだぞっ!」
彼女は心の中で叫び声を上げて、自分を鼓舞しました。いまここで娘を助けに行かないで、どうするのでしょうか!
ヴュウオオン、シュウゥ!
母親の強い想いが表れているのでしょうか、濃青色の球体の内部で渦巻く嵐が、どんどんとその回転する速度を上げていきます。まるで、その中で夏の雷雲が育っているかのように、カッピカッという輝きが何度も生じ、球体の辺りに明かりが漏れ出てきます。
羽磋と王柔は、濃青色の球体の変化を、固唾を呑んで見守っていました。彼らには地上に上がる術はありません。羽磋が母親に頼んだように、なんとかして球体に地上まで送ってもらわないといけないのです。
ゴウオンン、オン、オオオンッ!
球体の内部で青い雷雲が回転する音が、まるで、滝の真下で水音を聞いているかのように、激しく彼らの耳を打つようになりました。これまで灰青色の煙が漏れ出ていたひび割れからは、切りつけられた動物の傷口から鮮血が飛び散るかのように、灰青色の煙が勢いよく吹き出すようになりました。
「母を待つ少女」の母親は、自分に残されている力をすべて振り絞っているのです。娘のために。由の命を救うために。
フスンッ。
急に濃青色の球体からの音が聞こえなくなりました。球体内部での雲の回転も徐々に穏やかになっていきます。
「いよいよだっ」
これは、動物が跳ねる前にしゃがむのと同じで、きっと濃青色の球体が飛び上がる前触れに違いありません。羽磋はピンッと身体に力を入れ、いつでも球体の内部に飛び込めるように気持ちの準備をしました。彼の様子を見た王柔と理亜も、何かが起きるのだろうと気を張っていました。
「少年よっ!」
「は、はいっ!」
母親の苦しげな声が響きました。
「お前たちを飲み込んで地下世界の天井まで飛び、割れ目から地上へ吹き出してほしいとのことだったなっ」
「そうです。地上で娘さんと戦っている男は・・・・・・」
母親は羽磋に話を続けさせませんでした。それだけの余裕も無かったのです。
「いいか、残念だが、それはできない。私はもうそこまで飛べないっ」
いいえ、そのようなことはありません。
そのことに皆の注意を促したのは、やはり、羽磋でした。
「そうです! ここにいる理亜の身体の中には、娘さんの心の半分が入り込んでいます。それをおわかりいただけて、良かったです。でも、さっきから何度もお話ししていますが、急がないといけないんです! 娘さんと理亜の心の残り半分はいまどこにありますか? 母を待つ少女の奇岩と呼ばれている娘さんの身体は、いまどこにありますか? 地上です。僕たちの頭の上の地上です。そこで、いま冒頓殿の騎馬隊と戦っているのです。急いでその戦いを止めないと、娘さんは冒頓殿に砂岩の像という身体を砕かれてしまいますっ!」
この時とばかりに、羽磋は一気に言葉を続けました。
「母を待つ少女」の母親に大事なことを伝えたかったのに中々うまく伝わらず、ずっと同じところをグルグルと回っているようで、焦る気持ちばかりが高まっていたのですが、やっと自分の言いたいことが伝わったのです。
そうであれば、冒頓に話をするために、一刻も早く自分たちを地上に送り返してもらわなければいけません。
母親に話したのは脅し文句でも何でもないのです。冒頓は「母を待つ少女」の奇岩を破壊するために、ヤルダンへ侵入しているのです。冒頓と彼が率いる護衛隊の強さを、羽磋はよく知っていました。冒頓が目的を達成するであろうことに、疑いは全くありません。
でも、「母を待つ少女」と呼ばれる奇岩の中には、理亜の心の半分が、確かに入っているのです。それに、奇岩に姿を変えられた少女「由」の心の半分も宿ったままなのです。冒頓に奇岩の像という実体を砕かれてしまったら、それらはどうなってしまうのでしょうか。さらには、いま地下世界にいる理亜の心と身体には、どのような影響があるのでしょうか。羽磋には、全くわかりません。ただ一つだけ、理亜が元の心と身体を取り戻すことはできないだろうということは、間違いないと思えます。
「そ、そうだった。地上では砂岩の像になってしまった娘が動き出して、何とかという男たちと戦っているんだと、お前は言っていたな。この少女の身体の中に娘の心の半分が宿っているのだから、残りの半分は地上にある砂岩の像の中に残っているに違いない。ああ、由! 由を助けなければ!」
羽磋一人が感じていた切迫感は、「母を待つ少女」の母親にも確実に伝わっていました。
人間が大慌てで身を起こすのと同じように、地面に触れるか触れないかのところに浮かんでいた濃青色の球体は、全体をブルブルッと大きく震わしました。母親が羽磋の頼みを受け入れようと、全身に力を込めたのです。
ところが、羽磋たちの頭ぐらいの高さまで浮かび上がった濃青色の球体は、そこでブシュウッと灰青色の煙を外殻の割れ目から吐き出し、フラフラと地面の近くまで落ちてきてしまいました。
羽磋たちを飲み込んだ時とは違って、彼らを吐き出した後の濃青色の球体の表面には、羽化寸前の卵のように無数のヒビや割れ目が生じていて、そのいくつかからは球体の内部で渦巻いている青い雲が、煙のようになって漏れ出ていました。
これほど彼女が傷ついているのは、先ほどまで羽磋たちを球体内部の精神世界に飲み込んでいた時に、怒りと絶望の力を集めた竜巻を投げつけて羽磋たちを消し去ってしまおうとしたのですが果たせず、狙いから逸れた竜巻が自らを酷く傷つけてしまったためでした。
傷ついた人間が十分に力を発揮できないのと同じように、「母を待つ少女」の母親はその外見どおり弱り切っていて、浮かび上がる事さえも思い通りにならないようでした。
「うう・・・・・・、力が入らない・・・・・」
喉の奥から絞り出したかのような掠れた声が、球体から伝わってきました。
一度は、精霊の力によって砂岩の像にされた、つまり、死んでしまったと思っていた娘が心を生きながらえていた、でも、その娘の心が、この地下世界の真上で、今度こそ本当に殺されてしまうと、彼女は知ったのです。
それなのに、思い通りに身体を動かすことができないのです。
「悔しい、悔しい、悔しいっ! 何とかしろおっ! 由が生きてたんだぞっ!」
彼女は心の中で叫び声を上げて、自分を鼓舞しました。いまここで娘を助けに行かないで、どうするのでしょうか!
ヴュウオオン、シュウゥ!
母親の強い想いが表れているのでしょうか、濃青色の球体の内部で渦巻く嵐が、どんどんとその回転する速度を上げていきます。まるで、その中で夏の雷雲が育っているかのように、カッピカッという輝きが何度も生じ、球体の辺りに明かりが漏れ出てきます。
羽磋と王柔は、濃青色の球体の変化を、固唾を呑んで見守っていました。彼らには地上に上がる術はありません。羽磋が母親に頼んだように、なんとかして球体に地上まで送ってもらわないといけないのです。
ゴウオンン、オン、オオオンッ!
球体の内部で青い雷雲が回転する音が、まるで、滝の真下で水音を聞いているかのように、激しく彼らの耳を打つようになりました。これまで灰青色の煙が漏れ出ていたひび割れからは、切りつけられた動物の傷口から鮮血が飛び散るかのように、灰青色の煙が勢いよく吹き出すようになりました。
「母を待つ少女」の母親は、自分に残されている力をすべて振り絞っているのです。娘のために。由の命を救うために。
フスンッ。
急に濃青色の球体からの音が聞こえなくなりました。球体内部での雲の回転も徐々に穏やかになっていきます。
「いよいよだっ」
これは、動物が跳ねる前にしゃがむのと同じで、きっと濃青色の球体が飛び上がる前触れに違いありません。羽磋はピンッと身体に力を入れ、いつでも球体の内部に飛び込めるように気持ちの準備をしました。彼の様子を見た王柔と理亜も、何かが起きるのだろうと気を張っていました。
「少年よっ!」
「は、はいっ!」
母親の苦しげな声が響きました。
「お前たちを飲み込んで地下世界の天井まで飛び、割れ目から地上へ吹き出してほしいとのことだったなっ」
「そうです。地上で娘さんと戦っている男は・・・・・・」
母親は羽磋に話を続けさせませんでした。それだけの余裕も無かったのです。
「いいか、残念だが、それはできない。私はもうそこまで飛べないっ」
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